「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

熊澤蕃山⑫「大道とは大同なり。俗と共に進むべし、独抜(ひとりぬきん)ずべからず。衆と共に行ふべし、独異なるべからず。」          

2020-11-21 11:49:37 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第二十七回(令和2年11月21日)

熊澤蕃山に学ぶ⑫
「大道とは大同なり。俗と共に進むべし、独抜(ひとりぬきん)ずべからず。衆と共に行ふべし、独異なるべからず。」 
                                            (『集義和書』巻第四)
 「大道」についての質問書簡に対する返信。

「世間一般で言っている道とは小さな道の事であり、人の踏み行うべき道は大道という。大道とは大同である。俗世に生きる人々と共に進むべきであり、自分一人だけが抜きん出てはいけない。大衆と共に行うべきで、自分だけが異なってはならない。他人が悪事をする時でも、自分だけはしなければそれで良い。人を咎めたり謗ったりしてはならない。善を行うべき時には、自分一人で為せば良い、人に強要してはならない。大軍の将軍が士官や兵隊を率いて駆け引きを為して、自ら先駆けの勇を奮う事をしないのと同じである。大衆の多くが従う気持になった事を見て取ったなら、先立って勧める事もある。自分の気力が高まっていても、人の従う事の難しい事は為さないが良い。(自分の事だけしか教えない)今の世の道学は、小道でしかない事は、私が言わなくても解るであろう。」

 この蕃山の回答は、一見、人と違う事をするなとの付和雷同の勧めの様にも思えるが、決してそうでは無い。「俗と共に進む」「衆と共に行ふ」事無くして、その人物は大衆から信用されない。だが、大衆が悪に進んでも、自分は決して悪事を為さず、自分が善と思う者はただ一人淡々として行う人物は、自ずと周りの人の信用を得て行くのである。その在り方を、蕃山は大軍を自在に動かして勝を得る将軍になぞえている。全ての将兵が将軍の心と完全に一つになった時に最強の軍隊が生まれる。その様に、周りの人々の気持ちが善に向いて来た時にこそ、衆と共に善を行い、その先頭に立つべきなのである。真に世の中を変えたいとの志ある者にとって、深い戒めの言葉として受け止めるべきである。

 巻五でも次の様に述べている。「聖人は俗と共に遊ぶ。生れ故郷の魯の人々が狩猟をして競えば孔子様も狩猟をされた。衆と共に行う事を大道という。善なるべき時は衆と共に善である。時が至らない時は、衆と共に愚である。故に、道を学ぶ者は、俗と離れる事は無く、道は衆を離れては存在しない。徳が至って教化が及び、行われるべき時には天下と共に行われる。衆人が善にすすみ悖る者も居なくなる。」

 論語の「周して比せず」「和して同ぜず」、聖徳太子十七条憲法の「我れ独り得たりと雖も、衆に従って同じく挙(おこな)へ」等の「和の精神」に連なる蕃山の言葉である。


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