「道の学問・心の学問」第二回
「道」を求める日本人の生き方
本題に入る前に、私が今後紹介したいと思っている江戸期の人々の人生観や学問観と現代の私達のそれとの間のギャップを埋める為に、二回ほどこの連載のテーマである「道の学問・心の学問」の意味について記したい。
現代に生きる日本人でも、剣道や柔道、弓道、茶道、華道、吟道など「道」の付く習い事を一つ位は体験した事があるのではないだろうか。私が「道」を意識し出したのは、高校時代に入部した空手道部の時(昭和四十四年)だった。何故「空手部」では無くて「空手道部」なのか、当初は解らなかった。厳しい稽古は、時として脱臼したり血を流したりする事もあった。しかし、稽古の最後には全員が正坐瞑目して「五条訓」を唱和した。それは
「一、人格完成に努むる事、一、誠の道を守る事、一、努力の精神を養う事、一、礼儀を重んずる事、一、血気の勇を戒むる事」である。
言霊の力であろうか、それを唱和すると清々しい気持ちで稽古を終える事が出来た。この中にも「誠の道」とある。当時「空手道」を理解していた訳では無いが、強く印象付けられていた。その後、大学に進学して人生の在り方を考え始めた時に自ずと「俺の道」を求めようとの強い意欲が湧いて来た。
お隣のシナ民族は根っからの商売人の民族であるのに対して、日本人は職人肌の民族だと称される。相手を騙してでも自らの利益を追求するシナ流に対し、日本人は自らが生産した物の品質にこだわり、改良に改良を重ねてより高度な完成品を目指して行く、その結果「メイドインジャパン」は最高の評価を世界から受けている。「匠の技」の様な、一つの物事を徹底的に追い求めて行く生き方、である。それを「道を求める」「求道心(ぐどうしん)」と称し、そしてその生き方が「○○道」と呼ばれて来たのである。宗教でさえ、日本人は「神道」と称した。神々の様な清き明かき心に近づいて行く道が神道なのである。
宮本武蔵は剣を通じた自らの生き方を「独行道」と称し、その中で「我事において後悔せず」と記した。独り行く道、とは寂しい道だが武蔵らしい孤高の姿である。
明治天皇は十万首以上の和歌を詠まれ、和歌の道を「敷島(しきしま)の道」と表現された。「敷島の」は大和に掛かる枕詞であり、「敷島の道」とは日本人のまごころを表現する言葉の道、和歌の事である。最晩年の明治四十五年の御製(天皇の和歌)に「寄道述懐(道に寄する述懐)」と題し
すぐに行く道は誠のひとすぢを踏みなたがへそやまと国民(くにたみ)
という歌がある。意味は、「日本の国民が真直ぐに歩む道は、誠を尽す一筋の道を決して踏みたがえてはならない。」と、後世への遺訓ともいうべき御製である。勿論、天皇自らがその道を求め続け歩み続けて来られた、その感慨を和歌に表現されているのである。
この様に、道を求め続けるには、道に則して自らの誠心を磨き上げて行かなければない。その為の学問を「道の学問・心の学問」と言う。それは、主にその道を歩んだ先人達がその心境を刻んだ言葉に、心を澄ませて「憶念」し、自らの体験と照し合せて「体得」して行く日々の営為となる。真実の「学問」とは、その様な心の磨きを言うのである。
「道」を求める日本人の生き方
本題に入る前に、私が今後紹介したいと思っている江戸期の人々の人生観や学問観と現代の私達のそれとの間のギャップを埋める為に、二回ほどこの連載のテーマである「道の学問・心の学問」の意味について記したい。
現代に生きる日本人でも、剣道や柔道、弓道、茶道、華道、吟道など「道」の付く習い事を一つ位は体験した事があるのではないだろうか。私が「道」を意識し出したのは、高校時代に入部した空手道部の時(昭和四十四年)だった。何故「空手部」では無くて「空手道部」なのか、当初は解らなかった。厳しい稽古は、時として脱臼したり血を流したりする事もあった。しかし、稽古の最後には全員が正坐瞑目して「五条訓」を唱和した。それは
「一、人格完成に努むる事、一、誠の道を守る事、一、努力の精神を養う事、一、礼儀を重んずる事、一、血気の勇を戒むる事」である。
言霊の力であろうか、それを唱和すると清々しい気持ちで稽古を終える事が出来た。この中にも「誠の道」とある。当時「空手道」を理解していた訳では無いが、強く印象付けられていた。その後、大学に進学して人生の在り方を考え始めた時に自ずと「俺の道」を求めようとの強い意欲が湧いて来た。
お隣のシナ民族は根っからの商売人の民族であるのに対して、日本人は職人肌の民族だと称される。相手を騙してでも自らの利益を追求するシナ流に対し、日本人は自らが生産した物の品質にこだわり、改良に改良を重ねてより高度な完成品を目指して行く、その結果「メイドインジャパン」は最高の評価を世界から受けている。「匠の技」の様な、一つの物事を徹底的に追い求めて行く生き方、である。それを「道を求める」「求道心(ぐどうしん)」と称し、そしてその生き方が「○○道」と呼ばれて来たのである。宗教でさえ、日本人は「神道」と称した。神々の様な清き明かき心に近づいて行く道が神道なのである。
宮本武蔵は剣を通じた自らの生き方を「独行道」と称し、その中で「我事において後悔せず」と記した。独り行く道、とは寂しい道だが武蔵らしい孤高の姿である。
明治天皇は十万首以上の和歌を詠まれ、和歌の道を「敷島(しきしま)の道」と表現された。「敷島の」は大和に掛かる枕詞であり、「敷島の道」とは日本人のまごころを表現する言葉の道、和歌の事である。最晩年の明治四十五年の御製(天皇の和歌)に「寄道述懐(道に寄する述懐)」と題し
すぐに行く道は誠のひとすぢを踏みなたがへそやまと国民(くにたみ)
という歌がある。意味は、「日本の国民が真直ぐに歩む道は、誠を尽す一筋の道を決して踏みたがえてはならない。」と、後世への遺訓ともいうべき御製である。勿論、天皇自らがその道を求め続け歩み続けて来られた、その感慨を和歌に表現されているのである。
この様に、道を求め続けるには、道に則して自らの誠心を磨き上げて行かなければない。その為の学問を「道の学問・心の学問」と言う。それは、主にその道を歩んだ先人達がその心境を刻んだ言葉に、心を澄ませて「憶念」し、自らの体験と照し合せて「体得」して行く日々の営為となる。真実の「学問」とは、その様な心の磨きを言うのである。
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