「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

北条早雲の言葉①

2020-05-26 11:14:24 | 【連載】続『永遠の武士道』
「続『永遠の武士道』」第一回

上下万民に対し、一言半句にても虚言を申べからず。
                       (「早雲寺殿廿一箇條」(『武士道全書』第一巻)

 前著『永遠の武士道』では、江戸以降の武士道についての言葉を紹介したので、その続編として江戸以前の武士道の言葉を先ずは紹介して行きたい。

 私は、戦国時代は下克上であり謀略渦巻く興亡の姿はあまり好きにはなれなかったのだが、戦国武将に関しての「観」を転換させた書物がある。和辻哲郎『日本倫理思想史』下巻である。第五編「後期武家時代における倫理思想」の第二章「戦乱の間に醸成された道義の観念」では、北条早雲や朝倉敏景、多胡辰敬の家訓や武田信玄について述べた『甲陽軍鑑』を通して、戦国武将に求められた高い倫理観について記されてある。和辻は、戦国時代の武士特有の体験から自覚されてきた道徳的理想とは「力を正しいとする倫理思想ではなくして、正直、慈悲、智慧の理想を個人の心構えや気組みの中に貫徹しようとする自敬の道徳、高貴性の道徳なのである。」と述べ、それ故に儒教の君子道徳と困難なく結びつき得た、と述べている。

 北条早雲(1432~1519)は戦国時代初期の武将である。今川氏に拠って駿河を平定し、後に相模を取って小田原城を拠点として後の北条氏の基礎を築いた人物である。その早雲は子孫の為に二十一カ条の家訓を残した。それを「早雲寺殿廿一箇條」と言う。

 早雲はその冒頭に「第一仏神を信じ申べき事」と記している。そして第五条には「拝みをする事、身のおこなひ也」と記し、心を真直ぐやわらかく持って正直を根本として上の人を敬い、下の者を憐れみ、有る事は有りとし、無い事は無いとする「ありのままなる心持」が天や仏の心に適う、例え祈らなくともこの心持があれば神明の加護があるし、祈っても心が曲がっているならば天の道に見放されてしまう、と述べる。

 そして十四条にここで紹介している「上下万民に対し、一言半句にても虚言を申べからず。かりそめにも有のまゝたるべし。そらごと言つくればくせになりて、せゝらるゝ也。人に頓而(やがて)みかぎらるべし。人に糺され申ては、一期の恥と心得べきなり。」と記している。「そらごと」は虚言、「せゝらるゝ」は「もてあそばれる」や「軽んじられる」の意である。その結果、人に軽んじられて見限られるのである。神仏を敬い、正直を旨として決して虚言を言わない生き方は、正に日本人が貫いて来た高い道徳である。戦国という弱肉強食の時代を生き抜いた武将からこの言葉が述べられる意義は大きい。論語に「民信なくば立たず」とあるが、戦国武将が国を維持出来た根源は、虚言を排す「信」の力にあったのである。

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