「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

武士道の言葉 その7 「葉隠 4」

2013-04-06 21:22:29 | 【連載】武士道の言葉
葉隠その四(『祖国と青年』24年11月号掲載)

奉公人は四通りあるものなり。急だらり、だらり急、急々、だらりだらりなり。
                                   (聞書第四 50)

 一昨日(十月二十一日)浜松での日本の誇りセミナーで、「葉隠」の講演を行ってきた。話は二時間に及んだが、受講者は皆、目を輝かして聞いておられた。終了後、ある大手会社の営業業務部長の方が、「葉隠で語られている事は、現代の会社にもそのまま当てはまる事ですね。」と感動を以て語られた。現代では、江戸時代中期に記された葉隠の内容を殆んど知らずに、葉隠は難しい、時代錯誤だとの誤解が広がっているが、決してそうではない。三百年前の日本人も現代の日本人も全く変ってはいない。日本人の生き方は時代を超えて連綿と続いている。

 葉隠の中で、初代藩主の鍋島勝茂公が藩士を評する言葉が出てくる。勝茂公は、奉公人には四種類あると言われる。それがここで紹介した「急だらり、だらり急、急々、だらりだらり」である。仕事を言い付けられた者の仕事ぶりを表現している。「急々」とは、言い付けられた時に素早く理解し、仕事をしっかり仕上げる者の事だが、中々その様な者は得難い。「だらり急」とは、言い付けられた時は理解が遅く出足は鈍いが、期限に向けてハイピッチで行って仕上げる者の事である。「急だらり」は、言い付けられた時は、確かに理解するが、事をなすには時間がかかってしまう。この「急だらり」が多い。それ以外は「だらりだらり」と、言い付けられた時にもあまり理解が及ばず、仕事も中々捗らない者たちである。

 広島や福岡・熊本でのセミナーの際も、この言葉に受講者はニヤッとしていた。誰でも思い当たる節があるのであろう。葉隠では、「急々」は中々得難いが、それに近い人物が居る事を述べている。「急々」と迄は行かなくとも、「だらり急」と称される位にはなりたいものである。


芸は身を亡ぼすなり。何にても一芸これある者は芸者なり、侍にあらず。何某は侍なりといはるゝ様に心懸くべき事なり。
                                                             (聞書第一 88)

 現代はテレビ等映像の時代で、有名人と云えば俳優・芸人・スポーツ選手などである。テレビのワイドショーでは、芸人達の動向や結婚式・葬式などを大々的に報じている。確かに「一芸に秀でた者は万芸に秀でる」といえる達人もいるだろうし、その人が芸道を究めんとした努力は人間としては立派である。だが、葉隠は、それらの者は「芸者」に過ぎない、と一刀の下に斬り捨てている。

 葉隠は言う。芸が身を助けると言うのは、他国の侍の事であって、佐賀藩に於ては決してそうではない。わが藩では、芸は身を滅ぼすのである。何であっても特技をひけらかす者は「芸者」であって、サムライでは無い。あの者はサムライだと言われるようにならなければ本物ではない。そう心がけるべきである。

 例えば、野球選手の王貞治やイチロー、衣笠、金本など、確かに才能と人一倍の努力が花開いた鉄人ではあろう。だが、彼らとて平和時に咲いたあだ花に過ぎず、国家が崩壊すればスポーツ自体も出来なくなる。尖閣列島等国境防衛の為に身を張って中国船に対峙している海上保安官や自衛隊、領空侵犯に即座に対応するスクランブル発進のパイロットには、国の平和を守る為には死をも辞さないとの強い義務感が求められる。「サムライ」としての自覚がなければ戦えない世界である。

 かつて三島由紀夫氏は『葉隠入門』の中でこの言葉を引用し、「人間の全体像を忘れて、一つの歯車、一つのファンクション(機能)にみずからをおとしいれ、またみずからおとしいれることに人々が自分の生活の目標を捧げている。それと照らし合わせると、『葉隠』の芸能人に対する侮蔑は、胸がすくようである。」と記した。文学に秀で、映画や演劇などにも出演して話題となった三島氏が芸能人たる事を侮蔑し、あくまでも全人格的サムライたらんと努力した事が、晩年の義挙に結実して行くのである。

 私は、日本会議熊本で様々な講師をお招きして来たが、はっきり言って玉石混淆である。知名度が高い人でも人格的にこれではという人が居る。この人は本当に「サムライ」なのか、自らを磨き続けている人格者なのか、それとも地位や名誉やお金を目的に保守言論を語っているに過ぎないのか、真偽を見つめている。


勝ちといふは、味方に勝つ事なり。味方に勝つといふは、我に勝つ事なり。我に勝つといふは、気を以て体に勝つ事なり。
                                                        (聞書第七 1)

 戦闘の中にあって武士は、勇武を直接示す事が出来た。だが、元和偃武以来百年、元禄太平の世に生きる武士には、もはやその様な機会は失われていた。実際の場で敵に打ち勝つ様を示す機会は殆んど生じないのである。

 では平時に、如何にして「勝つ」力を養成して行くのか。その事について成富兵庫が語った言葉が、上の言葉である。「勝つというのは、味方に勝つ事をいうのである。味方に勝つには、自分に勝たなければならない。自分に勝つとは、『気(精神)』を以て『体(肉体)』に勝つことに他ならない。かねてから味方数万の武士に対して、自分に続ける様な者が誰も居ないほどに、自らの心身を錬磨して鍛え上げておかねば、いざという時に敵に打ち勝つことは到底出来ない。」

 敵に勝ち、味方に勝つ事の究極は、己に勝つ事にある。己に勝つ事をストイシズム(禁欲主義)とも言う。かつては、人を褒める言葉に「あの人はストイックな人だ」というのがあったが、今は殆んど聞かれなくなった。テレビが率先して、物欲を満たす事ばかりを推奨している。

 古来、人間は「肉体」に対して、「精神」の価値を重んじてきた。目に見える物質ではなく、目に見えない心や魂である。大塩平八郎は、「身の死するを恨まず、心の死するを恨む。」と記し、吉田松陰は「世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。心死すれば生くるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。」と述べた。王陽明の有名な言葉には「山中の賊を破るは易し、心中の賊を破るは難し」とある。

 人間の欲には、食欲・性欲・睡眠欲・名誉欲・金銭欲・安逸欲など様々な物が肉体に付随して生じてくる。その欲望に打ち勝つ事を「己に克つ」という。一例を上げれば、授業や講演を聞いていると眠くなる事がある。我々の若い頃は釘や押しピンを持っていて、腿を刺したり、顔を自分で殴ったりして眠気に打ち勝っていた。気が体に勝っていたのである。名前に「克己」という者も居た。侍達は「慎独(独りを慎む)」という言葉を好んた。周りの誰が見ていなくても、放逸に流されずに厳しく律する事である。日々、自らに何事かを課していく、厳しい心構えを持つ事こそ武士道への第一歩である。


うやうやしく、にがみありて、調子静かなるがよし。
                       (聞書第一 108)

 葉隠には、「風体」という、「身なり」の事が出てくる。山本常朝は、利発だった風体をしていた。そこで、利発さが表に出ている様では、人々の信用を得ることは出来ないと、毎日鏡を見て風体を直したという。常朝は理想的な風体を「ゆりすわりて、しかとしたる所のなくては、風体宜しからざるなり。(どっしりと落ちついて、しっかりした所が無くては、風体は良くない。)」と言う。

 そして、その後に続く言葉が、この言葉である。「うやうやしく」とは、礼儀正しく、常に敬意と謙遜を忘れない態度である。「にがみありて」とは、引き締まって威厳が伺われる様を言う。「苦み走った良い男」などと言う、その苦味である。安岡正篤氏の「煎茶三煎」には、煎茶は、先ず一服目に甘みが、二服目には渋みが、そして三服目に苦味が出てくると書かれているが、甘みと渋みを経て苦味は出てくる。現代の大人からは「威厳」が失われて久しい。昭和の四十年代位までは、高校生でさえおっさんの様な風貌をしていて、何となく恐ろしかったものである。現代では、時代劇にさえ軽い現代風の侍が出てくる。彼等には「威」が欠落している。それでは、侍とは言えない。謙遜さと威厳とを兼ね備えた上で、「調子静かなる(ゆったりと静かで落ち着いている)」事が重要である。吉田松陰は江戸に居た高杉晋作が犬を斬った話を聞いて、血気の勇を戒め、諸友に「一言する時は必ず温然和気婦人好女の如し。是れが気魄の源なり。」と諭した。日常の静かさの中に、いざという時の気魄の源が存する。

 威厳について常朝は、聞書第二・89で、「一見した所に、そのままその人が身に付けた威厳が表われて来るものである。遠慮し慎む所に威があり、物静かにしている所に威があり、言葉数が少ない所に威があり、礼儀深い所に威があり、立ち居振る舞いが落ち着いている所に威があり、奥歯の歯ぎしりして目つきが鋭い所に威がある。これらは、皆外に表れたものだが、畢竟は、気を強く持って緩めず、正念(正しい思い)で心を満たしている事が全ての基である。」と述べている。

「うやうやしく、にがみありて、調子静かなる」の言葉、サムライたらんと志す者は、是非とも、机上に書き記して日常工夫の目標として欲しい。

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