第25回(令和5年9月10日)
「聖人は須くこれ本体明らかなるべきも、亦た何に縁りてか能く尽く知り得ん。(略)その正に知るべき所の的(もの)は、聖人自ら能く人に問ふ。」(『伝習録』下巻二十七)
「聖人は、何よりも本体をこそ明らかにするが、天下の全てを知り尽くすことなどどうしてできよう。知る必要がないものは、聖人はわざわざそれを求めようとはしない。知らねばならないことがあれば、聖人は自分からよく人に問うのである。」
この項で王陽明は、「聖人は知らざる所なし」と言われる事の真意について述べている。聖人は神では無い。それ故全ての事を知っているはずはない。聖人と呼ばれる所以は、天理の本質だけはしっかり掴んでいるからである。即ち「良知」の存在である。それ故、些末な事については知る必要も無く、それについては人に聞く事を厭わない。この事を溝口雄三氏は「ここでは、聖人は万善の完備態としてではなく、ただ良知が即今に発揮されているか否かの現在の一瞬の自己のあり方としてとらえられている」と説明している。
王陽明は、下巻の20で「後世の学者は、ありあまる知識を胸中に滞らせているが、これは食傷の類である」と、「博聞多識」が「胸中に留滞す」る事を戒めている。王陽明が求めたのは、人間の本質に関する確信としての知であった。単なる知識は、それを知っている人に教えて貰えば良い訳で、知識の多寡は人間の本質とは無関係なのである。
論語に「之れを知るを之れを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知れるなり。」(為政)との言葉がある様に、不知を誤魔化すのでは無く、自らの知と不知を正直に弁別すれば良いのである。その上で、人間にとって最も大切な事=天理と人間の本質を知り体認する事が、人生の一大事なのである。
人間にとって、最も大切なものは、筋の通った一本の「背骨」である。即ち、その人の「人生哲学」なのだ。佐藤一斎は、人間にとって最も大切なのは「志」であり、「志有るの士は利刃の如し。百邪辟易す。志無きの人は鈍刀の如し。童蒙も侮翫す。(志のある士は、良く切れる研いだ刀の様で、凡ゆる邪悪は恐れて逃げて行く。志の無い者は、役に立たない切れない刀と同じで、子供からだって馬鹿にされる。)」〈『言志録』33〉と、述べている。
私達の回りには、知識の豊富さを売り物にしている「売文家」が多数存在するが、其々の日常生活に於いて、人格の尊卑を観れば、その者が本物の人物であるか否かは自ずと解って来る。人間の人格は、日常の些細な「言葉」の中に垣間見る事が出来るのである。
知らない事は、知っている人に素直に聞けば良い。私達には、日々「心を磨き、良知を輝かしめる」努力こそが求められているのである。
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「聖人は須くこれ本体明らかなるべきも、亦た何に縁りてか能く尽く知り得ん。(略)その正に知るべき所の的(もの)は、聖人自ら能く人に問ふ。」(『伝習録』下巻二十七)
「聖人は、何よりも本体をこそ明らかにするが、天下の全てを知り尽くすことなどどうしてできよう。知る必要がないものは、聖人はわざわざそれを求めようとはしない。知らねばならないことがあれば、聖人は自分からよく人に問うのである。」
この項で王陽明は、「聖人は知らざる所なし」と言われる事の真意について述べている。聖人は神では無い。それ故全ての事を知っているはずはない。聖人と呼ばれる所以は、天理の本質だけはしっかり掴んでいるからである。即ち「良知」の存在である。それ故、些末な事については知る必要も無く、それについては人に聞く事を厭わない。この事を溝口雄三氏は「ここでは、聖人は万善の完備態としてではなく、ただ良知が即今に発揮されているか否かの現在の一瞬の自己のあり方としてとらえられている」と説明している。
王陽明は、下巻の20で「後世の学者は、ありあまる知識を胸中に滞らせているが、これは食傷の類である」と、「博聞多識」が「胸中に留滞す」る事を戒めている。王陽明が求めたのは、人間の本質に関する確信としての知であった。単なる知識は、それを知っている人に教えて貰えば良い訳で、知識の多寡は人間の本質とは無関係なのである。
論語に「之れを知るを之れを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知れるなり。」(為政)との言葉がある様に、不知を誤魔化すのでは無く、自らの知と不知を正直に弁別すれば良いのである。その上で、人間にとって最も大切な事=天理と人間の本質を知り体認する事が、人生の一大事なのである。
人間にとって、最も大切なものは、筋の通った一本の「背骨」である。即ち、その人の「人生哲学」なのだ。佐藤一斎は、人間にとって最も大切なのは「志」であり、「志有るの士は利刃の如し。百邪辟易す。志無きの人は鈍刀の如し。童蒙も侮翫す。(志のある士は、良く切れる研いだ刀の様で、凡ゆる邪悪は恐れて逃げて行く。志の無い者は、役に立たない切れない刀と同じで、子供からだって馬鹿にされる。)」〈『言志録』33〉と、述べている。
私達の回りには、知識の豊富さを売り物にしている「売文家」が多数存在するが、其々の日常生活に於いて、人格の尊卑を観れば、その者が本物の人物であるか否かは自ずと解って来る。人間の人格は、日常の些細な「言葉」の中に垣間見る事が出来るのである。
知らない事は、知っている人に素直に聞けば良い。私達には、日々「心を磨き、良知を輝かしめる」努力こそが求められているのである。
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