第24回(令和5年9月5日)
「徹根徹底、那(こ)の一念の不善をして潜伏して胸中に在らざらしめざることを須要す。」(『伝習録』下巻二十六)
王陽明はこの項で、「知行合一」を説く事の真意を述べている。
「いま、この知行合一を説くのは、他でもない。少しでも念慮が動けば、それがとりもなおさず行ないだからだ。それ故、その念慮の動きに不善があれば、ただちにその不善の念は克服すべきであり、しかもそれは、ほんの一念の不善たりとも胸中に潜ませないほどに、徹底をきわめなくてはならないのだということを、どうしても人にさとってもらいたいからである。」
「知」と「行」は同じである。それ故に、少しでも心の中に不善の念が兆したならば、直ぐに「良知」を致して克服せねばならない。私欲が兆した時には、それは心の曇りであると、直ぐに祓い除去しなければならない。「光風霽月」という言葉があるが、心の状態が晴れ渡り、常に良知の輝きを失わない事が理想である。その為には、「徹根徹底、那の一念の不善をして潜伏して胸中に在らざらしめざることを須要す。」徹底して、不善の念慮を胸中に在らしめない事が重要なのである。一念一念の在り方が問われている。
その様な厳しい「行」を実践し、積み重ねた結果、「徳」が養われ、孔子が述べる様な「従心」=「七十にして、心の欲する所に従えども、矩を踰えず。」の境地に達するのであろう。
佐藤一斎は、「春風接人。秋霜自粛。」春風の様に優しく人には接し、秋の霜の様に厳しく自分を粛(ただ)す、と「言志後録」(57歳~66歳)み記したが、正にこの「自粛」こそが、「知行合一」の実践に他ならない。
日々、一瞬一瞬の自分の心の在り方が問われる言葉である。
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「徹根徹底、那(こ)の一念の不善をして潜伏して胸中に在らざらしめざることを須要す。」(『伝習録』下巻二十六)
王陽明はこの項で、「知行合一」を説く事の真意を述べている。
「いま、この知行合一を説くのは、他でもない。少しでも念慮が動けば、それがとりもなおさず行ないだからだ。それ故、その念慮の動きに不善があれば、ただちにその不善の念は克服すべきであり、しかもそれは、ほんの一念の不善たりとも胸中に潜ませないほどに、徹底をきわめなくてはならないのだということを、どうしても人にさとってもらいたいからである。」
「知」と「行」は同じである。それ故に、少しでも心の中に不善の念が兆したならば、直ぐに「良知」を致して克服せねばならない。私欲が兆した時には、それは心の曇りであると、直ぐに祓い除去しなければならない。「光風霽月」という言葉があるが、心の状態が晴れ渡り、常に良知の輝きを失わない事が理想である。その為には、「徹根徹底、那の一念の不善をして潜伏して胸中に在らざらしめざることを須要す。」徹底して、不善の念慮を胸中に在らしめない事が重要なのである。一念一念の在り方が問われている。
その様な厳しい「行」を実践し、積み重ねた結果、「徳」が養われ、孔子が述べる様な「従心」=「七十にして、心の欲する所に従えども、矩を踰えず。」の境地に達するのであろう。
佐藤一斎は、「春風接人。秋霜自粛。」春風の様に優しく人には接し、秋の霜の様に厳しく自分を粛(ただ)す、と「言志後録」(57歳~66歳)み記したが、正にこの「自粛」こそが、「知行合一」の実践に他ならない。
日々、一瞬一瞬の自分の心の在り方が問われる言葉である。
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