「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

江戸時代の儒者・心学者を高く評価し敬仰した内村鑑三

2020-05-22 14:00:38 | 【連載】道の学問、心の学問
連載「道の学問・心の学問」第一回

江戸時代の儒者・心学者を高く評価し敬仰した内村鑑三
 

 江戸時代には、庶民に心の在り方を解り易く説く「心学者」が多数現れた。その学問の背景は儒学であり、更に神道、仏教の教えも含めた「神儒仏一体」の立場で、人としての「道」を教え諭した。それは「武士道」のみならず一般庶民にも「道」を求める気風を醸成し、日本人の高い倫理観を育んだ。江戸の昌平坂学問所の講義には一般庶民にも開放されたものもあった。市井の中にも「心学」や「人の道」を説く本物の儒者が多数出現した。江戸期の日本人には、人としての「道」を学び、「心」を磨く事こそが「学問」だった。それ故、学問が生活に活かされない者を称する「論語読みの論語知らず」などの言葉も生まれた。

 明治になって江戸時代の儒者や心学者を高く評価した人物がいる。基督者の内村鑑三である。武士の出である内村は日本人としての誇りを決して失わず、外国の宣教師を嫌い、日本独自の無教会主義を唱えた。内村は『代表的日本人』(明治41年)の中で、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の五人を挙げて紹介しているが、更に、大正4年から6年にかけて『聖書之研究』に左の様な江戸期の儒者に対する憧憬を記した。

「我国にも亦真儒なる者があつた、石川丈山、中江藤樹、山崎闇斎、伊藤仁斎等、皆な自由独立の人民の教師であった。」「誠に儒者に倣ふは宣教師に倣ふよりも遥かに高貴(ノーブル)である、」「我等は聖(きよ)められたる儒者として、仁斎藤樹の迹(あと)を践み、剛毅、独立、能く空乏に堪へ、富豪の門に出入せず、権者の援を籍(か)りず、自ら信者を作らんとして人の我が信仰を求めて我に来るを待ち、士としての品性を維持しつゝ神の栄光を顕はすべきである。」「我等は幸にして多くの高貴なる教師を有つた、惺窩、羅山、蕃山、益軒等、皆な徳を以て立つ士(さむらい)であつた。」(「寧ろ儒者に倣ふべし」)「伊藤仁斎は余の会心の儒者である。彼は今より二百年前の人、京都堀川に住し、自から出ることなくして天下の学徒を自己の膝下に引附けた」「終生平民の友であつた」「彼は学位尊称に身を飾りて喜ぶが如き人ではなかつた。而かも国民の大教師であつた、彼れ以後の儒者にして直接間接に彼の感化を蒙らざる者は無かつた、日本国が彼に負ふ所は多大である」(「大儒伊藤仁斎」)

 内村から更に隔てる事百年の現代に我々は生きている。現代では江戸期の儒者や心学者の事を振り返る人は稀有となってしまった。だが、彼らが人の道を説いた言葉は三百年を経た今日でも、我々が求めんとすれば強く心に響く普遍性を持っている。それは、彼らが学問を生き方に実践していた「本物」の人物だったからである。私は、毎朝彼らの遺した書物を紐解き、修養の糧にしている。それらの中から拾い出した珠玉の言葉を今後紹介して行きたい。

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