「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

毛利元就②「百万一心」

2020-07-07 13:05:28 | 【連載】続『永遠の武士道』
「続『永遠の武士道』」第七回(令和2年7月7日)

「百万一心」 一日・一力・一心
     (吉田郡山城「百万一心の由来」・「毛利元就」)

 広島市中心部から南東約十キロに位置する、陸上自衛隊海田市駐屯地(第十三旅団司令部所在地)の正門入って直ぐ右手に、不思議な字体の「百万一心」の石碑が建っている。この石碑の文字の由来は、毛利元就の教えに拠っている。

 元就の本拠地である吉田郡山城(安芸高田市)の拡張工事が行われた時、本丸石垣の普請が難航した。そこで人柱が必要だとの声が上がったが、元就は許さず、人柱の代わりに「百万一心」と記した紙を渡し、その文字を石に彫って人柱の代わりに本丸裏手の「姫の丸」に埋める様に命じた。その「百万一心」の文字は「百」の字の「ノ」を省いて「一日」、「万」の字を書き崩して「一力」とすることで、「一日一力一心」と読める様に書かれ、「日を同じうし、力を同じうし、心を同じうして、事にあたる」事で、全員が力と心を合わせて工事を成し遂げる様教え諭した。この文字は一致団結の訓えとして、今に語り継がれている。

 元就は、中国地方を平定した際、諸将を集めて次の様に述べた。「お前たちは皆私の手足同然だから、私の心の内を語りたい。この度服従して来た国々を如何に取り扱うかについてである。その際に『其の人を侮る者は、其の土に君たらず(侮其人者不君其土)』という言葉を決して忘れない様、良く心得て欲しい。」と。従来から住む民を決して軽くみる事無く、親しみ重んじる事こそが新しい土地を治めるに当り最も重要であると諭したのである。この言葉は、後に真田幸村が聞いて深く讃嘆したという。名将には名将の心中が解るのであろう。

 元就は、新しく加わった家臣達の俸禄は旧来のままかかえたので、譜代の家臣より高禄の者も多くなったが、新参の家臣達は禄の多寡に関わらず譜代の者を上座に上げて敬った。元就の精神が譜代の家臣達の中に行き渡っていたからである。

 ある年、日照りが続き領民達は集まって雨乞いをし始めた。元就はこれを聞いて、領民達の雨乞いを制止して、自ら潔斎して天に祈り、かつ戦で戦死した者達の跡を弔い、忠節の家臣には加増し、軍功のあった者の家には下され物をし、祈祷を三日間続けた。その二日後には大雨が降り、五穀も大いに実り、民は大いに喜び隣国までも其の徳を慕うに至ったと言う。

 組織が拡張して行く場合、旧来の仲間と新しく加わった者達との間にはともすれば摩擦が生じやすい。それらを纏め上げるのは中心者の心映えであり、力量なのである。人々の一致団結を諭した「百万一心」の訓えは、元就の力の源泉が何処にあったかを見事に教えている。


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