「良知」の言葉 第1回
「此の心、光明。亦復(ま)た何をか言わん。」
(私の心は光明そのものである。他に言うべき事など無い。)(『王文成公全書』巻三十四「年譜」)
王陽明が亡くなったのは、嘉靖7年(1528)11月29日である。享年57歳だった。文武に秀でた王陽明は書斎の人では無い、朝廷からベトナムや雲南省に近い広西省の思恩・田州で起こった反乱鎮圧を命じられて平定し、更に八塞・断藤峡の乱賊を討伐、その間に持病の肺の病が悪化し、広州で二ヵ月療養後に、故郷(浙江省余姚)を目指して船や輿に乗って北上中、江西省を流れる贛(かん)江(こう)上流の青竜鋪で亡くなった。その時の最後の言葉がこの言葉である。
心の中に輝く良知を見出し、その光を自己発見する事の大切さを説き続けた陽明、その確信の言葉である。私たちも、最期の時を迎えた時に、それ迄の自己の人生の歩みを振り返って、悔いのない一瞬を迎えたい。その為には、日々「良知」に尋ね、良知が行動に反映する「知行合一」の生活を送る事だと思う。
「此の心、光明。亦復(ま)た何をか言わん。」
(私の心は光明そのものである。他に言うべき事など無い。)(『王文成公全書』巻三十四「年譜」)
王陽明が亡くなったのは、嘉靖7年(1528)11月29日である。享年57歳だった。文武に秀でた王陽明は書斎の人では無い、朝廷からベトナムや雲南省に近い広西省の思恩・田州で起こった反乱鎮圧を命じられて平定し、更に八塞・断藤峡の乱賊を討伐、その間に持病の肺の病が悪化し、広州で二ヵ月療養後に、故郷(浙江省余姚)を目指して船や輿に乗って北上中、江西省を流れる贛(かん)江(こう)上流の青竜鋪で亡くなった。その時の最後の言葉がこの言葉である。
心の中に輝く良知を見出し、その光を自己発見する事の大切さを説き続けた陽明、その確信の言葉である。私たちも、最期の時を迎えた時に、それ迄の自己の人生の歩みを振り返って、悔いのない一瞬を迎えたい。その為には、日々「良知」に尋ね、良知が行動に反映する「知行合一」の生活を送る事だと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます