第2回(令和4年12月2日)
「世は第(だい)を得ざるを以て恥と為すも、吾は第を得ずして心を動かすを以て恥と為す」
(世間では落第するのを恥と思っているが、私はそのために心が動揺するのを恥とする。)
(『王文成公全書』巻三十二「年譜」)
若い時に王陽明は、現代の高等文官試験に当る「科挙(かきょ)」の会試(かいし)を受けたが二度落第した。その二度目の時に、落第を恥と見なす者に対し、それを慰めて陽明が述べた言葉である。弘治九年(1496)陽明二十五歳の時の事だった。
人間である以上、失敗はつきものである。その時、志まで砕けてしまうのか、再起を期して前に進む事が出来るかが、人生の分かれ目である。王陽明が後に儒学で大成する事が出来たのは、価値観を世間の評価には置かずに自分の心に置き、自らを信じ毅然と生きる事が出来たからだと思う。
尚、陽明は二十八歳の時に会試に合格している。
「世は第(だい)を得ざるを以て恥と為すも、吾は第を得ずして心を動かすを以て恥と為す」
(世間では落第するのを恥と思っているが、私はそのために心が動揺するのを恥とする。)
(『王文成公全書』巻三十二「年譜」)
若い時に王陽明は、現代の高等文官試験に当る「科挙(かきょ)」の会試(かいし)を受けたが二度落第した。その二度目の時に、落第を恥と見なす者に対し、それを慰めて陽明が述べた言葉である。弘治九年(1496)陽明二十五歳の時の事だった。
人間である以上、失敗はつきものである。その時、志まで砕けてしまうのか、再起を期して前に進む事が出来るかが、人生の分かれ目である。王陽明が後に儒学で大成する事が出来たのは、価値観を世間の評価には置かずに自分の心に置き、自らを信じ毅然と生きる事が出来たからだと思う。
尚、陽明は二十八歳の時に会試に合格している。
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