第10回(令和5年7月14日)
「精金の精たる所以は、但だその成色足って銅鉛の雑なきを以てなるがごとき」 (『伝習録』上巻100)
「聖人の聖たる所以は、只だこれその心天理に純にして人欲の雑なきのみ。猶ほ精金の精たる所以は、但だその成色足って銅鉛の雑なきを以てなるがごときなり。」(聖人が聖人と呼ばれるのは、その心が天理に純一で人欲が混じっていない事による。それは、純金が純金として貴ばれるのは、その純粋な黄金色となって銅や鉛などの夾雑物が一切混じっていない様なものである。)
人間として最高の境地に達した者を「聖人」と呼ぶのは、その心が「天理」そのものであり、そこに「人欲」=一点の私意も存しないからである。人間の価値は、心が天理に純一である程度を以て測られる。確かに、聖人にも様々な姿があり画一ではない。しかし、心の純度と言う「質」に於いては全く同じなのである。中国の聖人と言われている堯や舜、周公、孔子と変わらない心の純度を持つ事が出来るなら、我々だって「聖人」なのである。但し、その力量=「才力」の違いがその人物それぞれの活躍の場を違えているのである。
その事を王陽明は「精金(純金)の喩え」で説いている。金の価値は、その精錬度によって決まって来る。幾ら分量が大きくても銅や鉛などの夾雑物を含んでいれば、その価値は低い。純金である事によって価値が生まれるのである。しかし、純金には、様々な分量がある。その分量が人間で言う「才力」に相当する。純金の量が大きい者ほど社会で尊重され、活躍する事となる。
分量が幾ら大きくても、それが金以外の物で水増しをしているのであれば、それはニセモノに過ぎない。人間は、ともすれば他者に自分を大きく才能ある人間の様に見せたがるが、その者の実質を隠す事は出来ず、借り物の装飾は時が経てば必ずボロが出る。
人間とは何か。それは心の純度なのだと王陽明は言う。其々が生れ付き持っている純金を磨き出して、輝かしめる事こそが最も大切な事なのである。その分量が小さいからと言って、他から借りて来て飾る必要は無い。小さいなら小さいままに純金を輝き出せば良いのである。純金は純金である事そのもので価値を有するのである。
私達は、それぞれの持っている「純金」を磨き出せば良い。純金が輝き出せば「徳」が備わって来る。「徳は孤ならず。必ず隣あり。」(『論語』)という様に、周りには心の純金を持った人々が必ず集まって来る。
「精金の精たる所以は、但だその成色足って銅鉛の雑なきを以てなるがごとき」 (『伝習録』上巻100)
「聖人の聖たる所以は、只だこれその心天理に純にして人欲の雑なきのみ。猶ほ精金の精たる所以は、但だその成色足って銅鉛の雑なきを以てなるがごときなり。」(聖人が聖人と呼ばれるのは、その心が天理に純一で人欲が混じっていない事による。それは、純金が純金として貴ばれるのは、その純粋な黄金色となって銅や鉛などの夾雑物が一切混じっていない様なものである。)
人間として最高の境地に達した者を「聖人」と呼ぶのは、その心が「天理」そのものであり、そこに「人欲」=一点の私意も存しないからである。人間の価値は、心が天理に純一である程度を以て測られる。確かに、聖人にも様々な姿があり画一ではない。しかし、心の純度と言う「質」に於いては全く同じなのである。中国の聖人と言われている堯や舜、周公、孔子と変わらない心の純度を持つ事が出来るなら、我々だって「聖人」なのである。但し、その力量=「才力」の違いがその人物それぞれの活躍の場を違えているのである。
その事を王陽明は「精金(純金)の喩え」で説いている。金の価値は、その精錬度によって決まって来る。幾ら分量が大きくても銅や鉛などの夾雑物を含んでいれば、その価値は低い。純金である事によって価値が生まれるのである。しかし、純金には、様々な分量がある。その分量が人間で言う「才力」に相当する。純金の量が大きい者ほど社会で尊重され、活躍する事となる。
分量が幾ら大きくても、それが金以外の物で水増しをしているのであれば、それはニセモノに過ぎない。人間は、ともすれば他者に自分を大きく才能ある人間の様に見せたがるが、その者の実質を隠す事は出来ず、借り物の装飾は時が経てば必ずボロが出る。
人間とは何か。それは心の純度なのだと王陽明は言う。其々が生れ付き持っている純金を磨き出して、輝かしめる事こそが最も大切な事なのである。その分量が小さいからと言って、他から借りて来て飾る必要は無い。小さいなら小さいままに純金を輝き出せば良いのである。純金は純金である事そのもので価値を有するのである。
私達は、それぞれの持っている「純金」を磨き出せば良い。純金が輝き出せば「徳」が備わって来る。「徳は孤ならず。必ず隣あり。」(『論語』)という様に、周りには心の純金を持った人々が必ず集まって来る。
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