「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

祖国に捧げた九十一年の生涯―日本会議熊本代表委員國友多賀夫氏の逝去を悼む

2008-11-12 20:21:49 | 【連載】 日本の誇り復活 その戦ひと精神
【連載】
「日本の誇り」復活―その戦ひと精神(三十六)

祖国に捧げた九十一年の生涯―日本会議熊本代表委員國友多賀夫氏の逝去を悼む
 
 八月二十八日、日本会議熊本代表委員で社会福祉法人天水(てんすい)福祉事業会・若宮福祉会理事長の國(くに)友(とも)多賀夫(たがお)氏が逝去された。享年九十一歳だつた。國友氏は台湾軍の小隊長・中隊長として戦地で活躍され、復員後は小天(おあま)保育園を創設、日の丸園長として地元の方々に慕はれて来られた。ここに、告別式での私の弔辞を紹介し、國友氏の晩年の立派な生き様を伝へたい。

以下、弔辞文

 國友多賀夫先生が亡くなられたとの報に接し、深い悲しみと共に大きな支へを失つた寂寥(せきりょう)感にさいなまれてをります。先生のにこやかな中にも毅然(きぜん)たる志を内包される素晴らしい温容に、再び接する事がもはや適(かな)はないとは、誠に悲しみの極(きわ)みであります。

 愛国・憂国心溢(あふ)れる國友先生は、私共、「日本の誇り」を復活せんと志す者にとつて、導きの師であり、日本人とはこの様に生きる者だと身を以てお示し戴く、手本でありました。縁あつて私が日本会議熊本のお世話に当るに際して、日本人らしい日本人、強くて優しい堂々たる日本人と仰ぎ尊敬申しあげる事の出来る多くの諸先輩とお会ひする事が出来、それが私の国民運動の支へであり、喜びでもありました。その中にあつても国友多賀夫先生は、日本の為になるとお考へになられれば、次々と構想を打ち出され、直(す)ぐに実行に移して行かれる「知行(ちこう)合一(ごういつ)」の方でした。お会ひする毎に先生は、新しい課題を提案され、その国を思はれる已(や)むに已(や)まれぬ思ひを語られる先生のお姿は、永遠の青年、憂国の士そのものでありました。

 十年前に日本会議熊本が設立されて以来、様々な事が思ひ起こされます。日本会議熊本が主催する講演会や集会には学園を挙げてお手伝ひ戴き、又ご参加戴きました。日本会議熊本草創の時に当り、國友先生の力強いご支援は何よりの支へでありました。平成十三年三月には奥様逝去の供養として、地元の福祉団体と共に、日本を精神的に支へてゐる「昭和聖徳記念財団」「靖国神社」「日本会議熊本」「熊本県神社庁」に多額の寄付を賜りました。先生の憂国の情溢れる「指定寄付申し入れの趣意について」のご文章に深い感動を覚えた事は今でも忘れません。更には、米寿を迎へられた平成十六年八月にも「伊勢神宮」「昭和聖徳財団」「靖国神社」「日本会議本部」「日本会議熊本」に対して再び多額の寄付を賜りました。先生は、人生の節目に当つて自らの勤労によつて貯蓄したお金を、志を共にし、励ますべき大切なる存在に対して提供されるといふ、志に生きる無私の御精神を親(みずから)らの行為を以て示されました。

 先生は、日本国の持つ病を自らの痛みとして、自らが為しうる精一杯の行動を行つて来られました。国会に憲法調査会が設置されるや、天水生命学園で憲法問題に関する討論会を開催され、私も三浦一水参議院議員と共にお招き戴きました。平成十二年の森総理の「神の国発言」に対するマスコミの誹謗中傷に対しては、「日本は歴史的事実として天皇を中心とする神の国である」と断固支持を表明され、学園にも大きな文字で「日本は天皇を中心とする神の国」と書いて掲示されると共に多くの方々に発信されました。

平成十五年十一月には百名に及ぶ「李登輝先生に感謝する日台国際親善熊本訪台団」を実現されました。それは、当時の日本政府が李登輝前台湾総統の日本訪問の希望を踏みにじつてゐるのは、けしからん。私達が日本を代表して李登輝前総統に感謝の言葉を伝へに行かう、との先生の高い志に多くの方々が共鳴されて実現したものでした。

平成十八年に皇室典範改悪問題が起るや、逸(いち)早(はや)く小天(おあま)保育園の若い先生方に皇室の真実を伝へねばならないと、学習会を開催されました。

靖国神社への所謂(いはゆる)A級戦犯分祀問題が起るや、先生は、東條さんを始め当時の国家指導者を悪(あ)し様(ざま)に誹謗する事は、大東亜戦争の真義を踏みにじるものであり、七名の御霊が可愛(かわい)そうであるとの信念から、天水の地に日本で四番目となる、「昭和特別殉難者」顕彰・慰霊碑の建立を志され、遂に昨年四月二十八日に「大東亜大戦殉国七烈士慰霊碑」を建立され、慰霊祭を盛大に挙行されました。戦後日本人が陥つてしまつた「自虐」の病をどうにかして晴らし、日本人はかくあつたのだとの叫びを、先生は常に発し続けて来られました。

そして、これらの活動が先生の個人の活動としてでは無く、お子様やお孫様にまでその志が受け継がれ、天水生命学園や小天保育園の職員の方々にも、学習を通じて、日本への誇りを確りと伝へて理解を深めて行かれたのでした。正に、一族・一門勤皇の拠点、平成の千早(ちはや)城(じょう)とも言ふべきお城をこの天水(てんすい)の地に打ち立てられました。

 私は、國友先生の謦咳(けいがい)に接する事が出来て本当に幸せでした。日本人としての有り方を先生のお姿を通じて教へて戴きました。戦後六十三年が経ち、國友先生にもご協力賜つた、北朝鮮拉致問題や教育基本法改正などを通じて日本及び日本人は漸(ようや)くその本姿(ほんし)を取り戻す方向に変はりつつあります。しかし、六十数年を掛けて失はれた日本人の魂を取り戻すにはまだまだ時間が必要です。その間、私共は國友先生が親らお示しになられた様に、次の世代・その次の世代に志を伝へ、必ずや先生の悲願であつた憲法改正を実現し、「天皇陛下を中心に戴く神々の国日本」「美しい国日本」を取り戻して参ります。

日本会議熊本も今年十周年を迎へました。先生を失つて次の十年を歩む事は本当に悲しうございます。しかし、志を継がれる國友家の皆様と手を携へて、日本の為に戦つて参ります。天界で再び先生に相まみゆる時、先生の志を受け継いでここまで頑張りましたと報告出来るやうに確(しっか)り頑張つて参ります。最後に拙(せつ)詠(えい)を捧げて弔辞を終らせて戴きます。

情けなき國の姿を憤り天水の地ゆ正気(せいき)示しぬ

日本を背負ひ生きらるその姿益(ます)良男(らを)の道かくあるべしと

志受け継ぎいよよ戦はむ日本の真(しん)姿(し)取り戻すまで

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