
聖週間の受難の金曜日。
本来なら、
教会の御ミサにあずからんとイケんのに、
コロナのせいで、
お家祈祷😢
キリストの受難を考える時に、
二つの裏切りがあった。
イスカリオテのユダの裏切り!
そして、
もうひとつが、
愛弟子ペトロの裏切り!
やけど、
ペトロの裏切りについては、
質が違う。
キリストは十字架の道を決意された時、
ペトロは、
「私も主とともに十字架にかかります」と言った。
キリストは答えられた。
「あなたは、ニワトリが鳴く前に三度私を知らないと言うだろう」と。
ペトロは、
このキリストの言葉を否定して、
「どんなことがあっても、主とともに行きます」と宣言する。
が、
実際、
キリストが捕らえられた時、
ペトロは、
キリストの仲間であることを、
恐ろしさのあまり、
三度、
打ち消した!
ニワトリが泣いた。
その時、
キリストとペトロの視線が合った。
キリストは優しい憐みの眼差しを向けられていた。
ペトロは外に出て、
激しく泣いた。
時は過ぎて、
ネロ皇帝によるクリスチャンの迫害が始まった。
多くの仲間が、
ペトロを逃した。
アッピア街道と呼ばれるところを歩いていた時、
キリストが現れて、
ローマの方へと歩まれようとしていた。
ペトロは言った。
「クォ・ヴァディス・ドミネ(主よ、どこへ行かれるのですか?)」
キリストは答えられた。
「私は私の名の故に、迫害される兄弟の為に、もう一度、十字架にかかりに行く」と。
ペトロは涙を流しながら、
「主よ私がまいります」と言って、
ローマに戻り捕縛されて、
ペトロの意志で逆さ十字架にかけられた。
ウチらも、
自分がかわいい。
人助けとか気が乗らない。
でも、
そんな時、
キリストは、
苦しめる者のそばに来られる。
クォ・ヴァディス・ドミネ(主よ、どこへ行かれるのですか?)と問う信仰を常に保ちつつ、
兄弟姉妹の痛みを担いたい。
それがキリストの御意であり、
創造主の願いなんやから。
受難の金曜日。
自らの罪を恥じ、
十字架へと向かう主に、
「クォ・ヴァディス・ドミネ(主よ、どこへ行かれるのですか?)と問いかける信仰に生きて、
明日の、
復活徹夜祭へと、
全身全霊に主を讃えよう。