おはようございます。
アトリエebcのカフェ担当、クメタマリです。
昔、それこそ4半世紀前の事です。私は第一子を生みました。
なんだか、ステレオタイプ(この言葉も死語ですかしら)ですが、私は子どもを産んだら生活協同組合に入るものだと思っていたものですから(原因はわかりません。母が入っていた訳でもないのですが、)その頃住んでいた世田谷の生協に加入しました。
この後、神奈川に引っ越してからは神奈川の生協に入ります。
さて、神奈川の生協に入ると、これが驚いた事に、学習の連続。食べ物の事、生産者の事、流通の事、化粧品や洗剤の功罪、自然環境と人間の社会生活のの事、核に反対する運動など、など。
これまで知らなかった事がつまびらかになって行く事の面白さを、実に高校生以来たっぷりと味わうことができました。
その頃から、私は原発に反対する立場でいました。核の事を学べば学ぶ程、核によって発電する仕組みがそれこそ言い習わされて来た事ですが、パンドラの箱を開けたように恐ろしい仕組みだと言う事がわかったからでした。
「安心安全」であるという電力会社による説明のまやかしは知れば知る程あきらかになって行きます。
使用済み燃料は、使用前と比べると、放射能量は10億倍にもなります。核発電を続けると言う事は、それほど危険な使用済み核燃料が増え続けると言う事なのです。かつては、この使用済み核燃料を外国に持って行っていました。それも、問題ですよね。お金持ちだった頃の日本は、札ビラでほおを叩くようにして海外で処理をしたり、保存したりしてもらっていた訳です。
それができなくなると見込んで、高速増殖炉の開発研究運転がなされましたが、失敗に終わり、未だに年5百億を費やしている事はきっとご存知ですよね(勿論、税金と電気代を通して、私たちが支払っているのです。)。ウランを扱うのと、プルトニウムを扱うのとでは、エネルギーからしても、毒性からしても、危険性が違うのはあたりまえです。高速増殖炉は、危険なプルトニウムを増やし続けると言う事でその仕組み自体が問題なのだと思うのです。しかも、その仕組みを起こしている炉自体、永久にもつものではありません。どうするつもりなんでしょう?
そのもんじゅも、今、福島同様に危険な状態にあります。事故により、燃料棒の交換が出来なくなっていて、と、言う事は、全ての燃料を取り除いて廃炉にする事も、新しい燃料に取り替えて発電する事も出来ない状況にいると言う事です。核発電は、いつもこのような危険な状況と隣り合わせにいるのですよ。
普通の主婦が簡単に考えても、首を傾げる事ばかりが出て来てしまって、「反対です」、と言うしか無くなりまして、ずっと反対をとなえています。
でも、福島の事故が起こり、日本中が原発反対になった時に、私の中に別の疑問がおこってしまいました。いったい、電気無しで私はどう暮らすのだろう?核発電に反対を唱えながら、沢山の電気を使った生活を実際私はして来た。私の陶芸窯も電気だし、全ての部屋にエアコンがあるし、パソコンも各自持っている。一次はオール電化も考えた事がある(その時、熟慮の上にやめたと言うよりも、流れでやめることになった気がする。)。それらの電力は核発電によってまかなわれたものだろうと思うと、そして、結果として福島の事故に繋がったのだと考えると、かえって声が出せなくなってしまっていました。
でも、原点に立ち返り、やはり原発はいらないと思います。
やはり、原発は、無くなった方が良いと思う。
その気持ちを持って、18日、平井さんをお迎えしたいと思います。
アトリエebcのカフェ担当、クメタマリです。
昔、それこそ4半世紀前の事です。私は第一子を生みました。
なんだか、ステレオタイプ(この言葉も死語ですかしら)ですが、私は子どもを産んだら生活協同組合に入るものだと思っていたものですから(原因はわかりません。母が入っていた訳でもないのですが、)その頃住んでいた世田谷の生協に加入しました。
この後、神奈川に引っ越してからは神奈川の生協に入ります。
さて、神奈川の生協に入ると、これが驚いた事に、学習の連続。食べ物の事、生産者の事、流通の事、化粧品や洗剤の功罪、自然環境と人間の社会生活のの事、核に反対する運動など、など。
これまで知らなかった事がつまびらかになって行く事の面白さを、実に高校生以来たっぷりと味わうことができました。
その頃から、私は原発に反対する立場でいました。核の事を学べば学ぶ程、核によって発電する仕組みがそれこそ言い習わされて来た事ですが、パンドラの箱を開けたように恐ろしい仕組みだと言う事がわかったからでした。
「安心安全」であるという電力会社による説明のまやかしは知れば知る程あきらかになって行きます。
使用済み燃料は、使用前と比べると、放射能量は10億倍にもなります。核発電を続けると言う事は、それほど危険な使用済み核燃料が増え続けると言う事なのです。かつては、この使用済み核燃料を外国に持って行っていました。それも、問題ですよね。お金持ちだった頃の日本は、札ビラでほおを叩くようにして海外で処理をしたり、保存したりしてもらっていた訳です。
それができなくなると見込んで、高速増殖炉の開発研究運転がなされましたが、失敗に終わり、未だに年5百億を費やしている事はきっとご存知ですよね(勿論、税金と電気代を通して、私たちが支払っているのです。)。ウランを扱うのと、プルトニウムを扱うのとでは、エネルギーからしても、毒性からしても、危険性が違うのはあたりまえです。高速増殖炉は、危険なプルトニウムを増やし続けると言う事でその仕組み自体が問題なのだと思うのです。しかも、その仕組みを起こしている炉自体、永久にもつものではありません。どうするつもりなんでしょう?
そのもんじゅも、今、福島同様に危険な状態にあります。事故により、燃料棒の交換が出来なくなっていて、と、言う事は、全ての燃料を取り除いて廃炉にする事も、新しい燃料に取り替えて発電する事も出来ない状況にいると言う事です。核発電は、いつもこのような危険な状況と隣り合わせにいるのですよ。
普通の主婦が簡単に考えても、首を傾げる事ばかりが出て来てしまって、「反対です」、と言うしか無くなりまして、ずっと反対をとなえています。
でも、福島の事故が起こり、日本中が原発反対になった時に、私の中に別の疑問がおこってしまいました。いったい、電気無しで私はどう暮らすのだろう?核発電に反対を唱えながら、沢山の電気を使った生活を実際私はして来た。私の陶芸窯も電気だし、全ての部屋にエアコンがあるし、パソコンも各自持っている。一次はオール電化も考えた事がある(その時、熟慮の上にやめたと言うよりも、流れでやめることになった気がする。)。それらの電力は核発電によってまかなわれたものだろうと思うと、そして、結果として福島の事故に繋がったのだと考えると、かえって声が出せなくなってしまっていました。
でも、原点に立ち返り、やはり原発はいらないと思います。
やはり、原発は、無くなった方が良いと思う。
その気持ちを持って、18日、平井さんをお迎えしたいと思います。