ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

自衛隊を送ったのは民主党政権..

2017-02-14 18:26:22 | 政治、経済
国会中継見てて

反日の辻元には呆れた。。。






ソースから


このクズすぎる民主党が「集団的自衛権行使容認」事案から
突如「自衛隊の皆様方の命が大切!!」と叫びだしたことに
本当に怒りが湧きます。

「自衛隊の命が大切!!」と今になって叫んでいる民主党が、
その政権時代、自衛隊に対してどんな仕打ちをしてきたことか。


民主党政権では2011年3月11日の東日本大震災時、
10万人規模(最大10万6千人)の自衛隊の動員をかけました。

通常、派遣が可能な規模というのは全部隊規模の約1/3だそうです。
自衛隊員は24万人ですから1/3と言うと8万人がマックスで、
このときはそれをゆうに超える状態だったというわけです。

震災直後は、これでいいのかもしれません。
自衛隊の人たちだって当然何とかして動きたい、被災地へ
向かいたい、恐らくほぼ全員がそう思ったでしょうから。

しかし、これが続くとなると、事態は深刻化していきます。

でもそんなことなど気にせず、菅直人は「10万人態勢」を
「自画自賛」していました。

「自画自賛」することではないのです。

実際には、これは「安全保障体制」も、更には自衛隊員の
安全と体力さえも考慮しているものなんかでは全くありませんでした。

それは、この後に決定された「南スーダン」へのPKO派遣を
見てもはっきりと判りますし、自衛隊への冷酷さは、「ハイチ」
へのPKO派遣を見ても判ります。

特に「南スーダン」の件は非常に問題があるので、是非
多くの人に知って欲しいと思います。


「ハイチ」へのPKO派遣は、2010年1月12日に中南米の
ハイチ共和国で発生した地震(ハイチ地震)により、20万人以上が
死亡したのを受けての国連のミッションでした。


【戦略なき民主党政権のPKO ハイチで続く「どぶさらい」】
 (産経新聞 2012年5月11日)

ハイチの国連平和維持活動(PKO)に派遣している
陸上自衛隊部隊の撤収方針決定には「遅きに失した」(防衛省幹部)
との批判が渦巻く。

「どぶさらいをやらされている」
「ゴミの移動ぐらいしか仕事がない」

陸自幹部によると、これが派遣開始から2年3カ月がたった
ハイチPKOの実情だという。

今年1月、野田佳彦首相が1年間の派遣延長を決めた際にも、
防衛省内には撤収を求める声が出ていたが、黙殺された。

揚げ句、施設部隊は民間ボランティアでもできるような仕事
ばかり任され、現地に留め置かれている。

これは民主党政権がPKOの「出口戦略」を描けていない
証しだ。

「どの任務をどれだけ達成するかという『入り口戦略』を示して
 派遣するのが本来あるべき姿だ。
 それに照らせば出口はおのずと決まる」。
外務省幹部はそう断じる。

民主党政権が入り口戦略を示した形跡はなく、出口戦略も
持ち得ないのは自明だ。

戦略なきPKOはハイチに限ったことではない。

昨年11月から開始した南スーダンPKOも同じだ。

野田内閣は南スーダンの国造りに向け5年間の派遣期間を
想定するが、国際協力機構(JICA)とも連動させ、オールジャパンで
国造りをどう主導していくのか道筋を示していない。

このため早くも、
「陸自部隊に5年間も道路補修だけをやらせるのか」
(自民党国防関係議員)との批判があがっている。

藤村修官房長官と玄葉光一郎外相、田中直紀防衛相は10日、
隣国スーダンとの軍事衝突が激化している南スーダンの現状に
ついて「軍事的緊張は限定的」との認識で一致し、6月までに
2次隊(約330人)を派遣する方針を決めた。

「国際貢献」の名の下、国防を担う自衛隊員を海外に送り続ける
民主党政権。

「われわれは“便利屋”じゃない」。
自衛隊幹部にはこんな不満がくすぶっている。


この記事で書かれていることは、これでも、もうほんの
一部のことで、本当はもっともっと酷い状態だったのです。

南スーダンPKO派遣の重大なる問題点の一つは、先にも
少し書きましたが、とにもかくにも東日本大震災から
さほど日が経っていないことに在ります。

当時の野田政権では9月22日、一川保夫防衛大臣が
防衛会議を開いたのが検討の最初であったのです。

9月の夏の終わり。
まだ震災後半年です。

そして、この頃の自衛隊は心身ともに疲労がピークに
達していた時期でもあったはずなのです。

そもそも自衛隊総人員が少ない中からの想像を絶する
出動量と過酷な作業の連続。

夏の疲れに加え、精神的にも疲弊しきっている頃のはず
なのです。
日本国民であれば、その過酷な状況は想像できると思います。

4月30日まで米軍にも「トモダチ作戦」で助けてもらっていた
日本。

いわば、日本自身が大変な時期の派遣であった
ということ。

そして、もう一つは、当時まだ南スーダンは超危険地帯
であったという事実。

さらには、そこには中国が大きく関わっていたという
事実です。


2011年12月。
南スーダンはPKO決定当時、非常に危険な地域でした。

7月に独立したばかりで部族間の抗争がずっと頻発しており、
またマラリアなどの病気の危険も高く、さらには補給困難
かつ緊急脱出困難な地域でした。

この南スーダンの現状を把握せず、自衛隊をPKOに
強行派遣したのが民主党政権です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿