ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

『ゴルゴ13』さいとう・たかをさん、すい臓がんのため死去 84歳 本人の遺志を継ぎ連載は継続へ

2021-09-29 14:14:44 | 漫画
漫画家のさいとうたかをさんが亡くなりました。

少し前に久松文雄さんが亡くなりました。

残念ですね~~

子供ん頃のさいとうたかをさんは少年誌で活躍していました。少年マガジンでは「サイレントワールド」宇宙物の漫画がありました。少年では「ザ、シャドウマン」が連載されていました。冒険王では「0011ナポレオンソロ」が掲載、秋田サンデーで全3巻出ましたが今も再版されずで絶版になっています。ボーイズライフで「挑戦野郎」あたりから青年誌で活躍の場を移していました。プロダクションスタイルで会社組織をいち早く取り入れたマンガ家でした。子供の頃活躍していた漫画家さんが亡くなるのは実に寂しいです。

ソースから

『ゴルゴ13』などの作品で知られる漫画家さいとう・たかをさんが、すい臓がんのため24日午前10時42分に亡くなった。84歳。なお、さいとうさんの生前の遺志により、『ゴルゴ13』は今後も、さいとう・プロダクションや脚本スタッフなどが協力し連載を継続することも発表された。 『ゴルゴ13』連載を継続することも発表  『ゴルゴ13』を連載中のビッグコミック編集部は「本誌にて『ゴルゴ13』を連載いただいております劇画家のさいとう・たかを氏が、2021年9月24日 膵臓がんのため逝去されました」と発表。  「氏には創刊の年から53年続く看板連載作品『ゴルゴ13』のご執筆のほか言葉に尽くせぬお力添えを賜りました。生前のご功績に心から賛嘆と感謝を申し上げ、謹んで氏のご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。  さらに「だが、物語は続く」とし、さいとうさんの遺志をついで『ゴルゴ13』の連載を継続することも発表。「さいとう氏は生前から「自分抜きでも『ゴルゴ13』は続いていってほしい」という、いわば分業体制の究極とも言えるご希望を持たれ、さいとう・プロダクションを、そのような制作集団として再構築されました」と説明した。  その上で「今後は、さいとう・たかを氏のご遺志を継いださいとう・プロダクションが作画を手がけ、加えて脚本スタッフと我々ビッグコミック編集部とで力を合わせ『ゴルゴ13』の連載を継続していく所存です。どうか今後とも、ご愛読ご声援をよろしくお願いいたします」と呼びかけている。  さいとうさんは1936年11月3日生まれ。和歌山県出身。1955年、『空気男爵』で漫画家デビュー。1968年「ビッグコミック」創刊号にて『探し屋はげ鷹登場!!』を連載。同年、同誌にて『ゴルゴ13』の連載を開始し、同作で第21回小学館漫画賞、日本漫画家協会賞「大賞」、第50回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞。2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章を受章。2018年には『ゴルゴ13』連載50年、2020年には画業65年を迎えた。  なお、葬儀は新型コロナウイルスの状況を鑑み、親族のみで執り行われた。ビッグコミック編集部によると、お別れの会などは今後の状況を踏まえ検討するとしている。

漫画家の望月三起也さん死去 77歳 「ワイルド7」がヒット

2016-04-04 06:32:06 | 漫画
アクションマンガの第一人者でした。。

えっ!!

残念です、、

少年画報社から「ムサシ」連載、単行本は朝日ソノラマのサンコミック全1巻刊行、この作品は後の「秘密探偵JA」や「ワイルド7」などの要素が

含まれた作品でした。

当時読んでいた少年サンデーには「日の丸陣太」や「竜の旗」を読んでいました。

、、

ご冥福をお祈りします。。。





ソースから

1970年代にテレビでヒットした「ワイルド7」などで知られる漫画家の望月三起也(もちづき みきや)さんが3日午前7時56分、肺腺がんのため川崎市中原区の病院で死去した。77歳。横浜市出身。

 葬儀・告別式は近親者で行い、喪主は妻早苗(さなえ)さん。しのぶ会を後日開く。

 1938年(昭和13)生まれ。高校卒業後、会社勤めを経て漫画家に。60年「特ダネを追え」でデビュー。64年に「秘密探偵JA」がヒットした。

 犯罪の限りを尽くした極道が一転して白バイの警察官になり、悪党を問答無用で倒す「ワイルド7」が人気となり、72年にテレビドラマ化された。

 「ワイルド7」は10年連載が続き、2011年に俳優の瑛太主演で映画化された。

漫画家の水木しげるさんが東京・調布市の病院で死去、93歳

2015-12-03 17:41:16 | 漫画
水木しげるさんはは妖怪だから

特別と思っていました。

悪魔くん。ゲゲゲの鬼太郎が代表作ですが個人的には異質な画風だったので好きではありませんでした。

水木しげる作品は売れないのだけど絶版になるのが早く、その後プレミアが付く漫画家でした。

虫コミック全8巻のゲゲゲの鬼太郎は高い時は全巻揃い美本だと10万円はしていました。朝日ソノラマの初期初版本は1冊1万以上していました。

朝日ソノラマの貸本漫画全集全20巻は20万円とか

今はさすがに値下がりしていますが

貸本漫画は今も人気があり貸本の悪魔くん全3巻で30万円とか赤電話は100万円もしていました。

コアなファンが多い漫画家です。

安らかにお眠りください。






ソースから





水木しげるさんは1922年3月8日生まれ、武蔵野美術学校を中退し、1958年に漫画家としてデビュー。幼少時にまかない婦として家に出入りしていた景山ふささんが語り聞かせたという妖怪話の影響を受けた作品を多数発表していました。

漫画家としてデビューしてからは「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」などを発表し、「ゲゲゲの鬼太郎」が「週刊少年マガジン」に掲載されたことから人気漫画家に。精力的に活動を続けていましたが、2014年12月に心筋梗塞で入院していたことも報道されていました。


014年からビッグコミックで連載していた「わたしの日々」が2015年5月に終了したときには、水木プロダクションは水木さんが体調を崩し気味ではあることを認めたものの、「連載が精神的に負担」「あちこち出かけなくなったので漫画のネタが不足気味」と健康不安説を否定していました。

水木しげるの“重病説”を否定、連載終了は「漫画のネタが不足気味」。

2015-05-12 08:22:28 | 漫画
93歳

未だ現役です。

素晴らしいです。

縛られないでマイペースで描いてほしい。

漫画全集が刊行されています、注目です。

連載当時のまま復刻なのでカラーページとか

単行本でしか知らないファンにはたまらないでしょうね。








ソースカラ

水木プロダクションは5月11日、「ビッグコミック」(小学館)に連載していたマンガ「わたしの日々」が突然最終回を迎えたことについて、水木氏の重病説を否定した。

「わたしの日々」は2013年12月発売の同誌より始まった水木氏の新連載作品で、水木氏の日常が描かれている。しかし、5月9日に発売された同誌10号で「突然ではございますが、本作品は今回をもちまして終了の運びとなりました」と告知、いきなり連載終了となった。

この件について、水木プロダクションのFacebookやTwitterにはファンから質問が寄せられたが、その中には93歳の水木氏の“重病”を疑う声も。

しかし、Facebookでは「ビッグコミックの連載終了しました。『なんで?水木サン倒れたんですか!』と聞かれるんですが、そんなことはありません。昨年暮れから体調を崩しぎみなのは確かですが、高齢で連載が精神的にも負担なのと、あちこち出掛けなくなったので漫画のネタが不足気味で……です。皆さまご心配なくです!」とコメントしている。


「『劇画』の命名者」漫画家の辰巳ヨシヒロ氏が死去、79歳

2015-03-09 15:05:44 | 漫画
前から体調が思わしくないと

伺ってましたが、、、残念です。

辰巳ヨシヒロ氏の「ドンコミック」が神保町にオープン、目録も限定で発行していました。

横浜に住んでいた頃、休みのたびに古本の街の神保町に出かけていました。

当時、古書マンガ専門店があり、「中野書店」「遊星堂」「翠光堂書」「長島書店」そして「ドンコミック」は

必ず寄っていました。

時代の流れでしょうか今年3月で「中野書店」も閉店、目録専門になるようです、「翠光堂書」も数年前に撤退しています。

「ドンコミック」の目録では良く買っていましたがいつ頃からか、目録も来なくなりました。

その目録には、フランスで賞をいただいたことなどの近況報告がありました。

残念ですね、

ご冥福をお祈りいたします。





ソースカラ


「劇画」の命名者として知られる漫画家、辰巳ヨシヒロ氏(たつみ・よしひろ、本名・嘉裕)氏が7日、死去した。79歳だった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

 昭和10年、大阪生まれ。中学時代から漫画家を目指し、26年「愉快な漂流記」でデビュー。従来の漫画の概念を超越した新たな手法を模索し、コマ数を多く使ったよりリアルな作風を確立。自ら「劇画」と名付ける。主に社会の底辺に生きる人々を描いた短編で特に海外で高い評価を受け、2005年の仏アングレーム国際漫画祭特別賞など多くの賞を受賞。2011年にシンガポールで、辰巳漫画をモチーフにした映画「TATSUMI マンガに革命を起こした男」が制作された。代表作に自伝的長編漫画「劇画漂流」など。