ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

香港を“脱出” 幼い子を連れ日本へ移住したある家族 中国の統制強化に“恐怖と怒り”

2021-11-30 06:37:59 | 国内
日本人が平和ボケで今ある日本の状況を

把握していない。

安倍政権で5万人の移民受け入れを行った。

今の文雄政権も外国人受け入れの拡大。

「日本へ移住」は現在進行形で行われています。

フランスのような移民国家になるのは、間違いない。

平和な日本は国際社会になれば、外国人犯罪が多発して、暴動、治安は悪化。

個人的には受け入れは良いとは思いますが最低限、日本語が話せる事が

必要ではないだろうか?

最近、大声で会話する外国人が多い。そのような状況に慣れていない日本人

政府はどのように考えているのだろうか?

女性市長が外国人に参政権を与えようとしています。

動きは徐々にどうやら、移民国家に流れているようだ。

そーすから

香港を“脱出” 幼い子を連れ日本へ移住したある家族 中国の統制強化に“恐怖と怒り”

香港に生まれ育ったある家族が、先月、幼い子を連れて日本へと移り住んだ。

中国の統制が強まる香港では、将来への不安から外国に移住する人が急増している。

■香港から日本へ 

移住を決断 香港在住の祁(き)さん(35)は子どもの頃から日本アニメが好きで、大学では日本語を勉強。娘のエブリンちゃん(4)にも日本語を教えている。

祁さんと夫はエブリンちゃんを連れて日本に移住することを決断。

香港と娘の将来を考えた結果だという。

 移住決断のきっかけとなったのは、2年前に地元のショッピングセンターで目にしたデモ鎮圧の光景。

若者たちが統制を強める中国や香港政府に対して抗議活動を行なっていたところ、武装した警官隊が突入。

拘束者も出た。 さらに去年、デモなどを禁止する「香港国家安全維持法」が施行されると、

当局は周庭氏などの民主活動家を次々と逮捕。

買い物中にデモに出くわしただけの12歳の少女を「不審な動きをした」という理由で押し倒すなど取り締まりはエスカレートしていった。

 1997年にイギリスから返還されて以来、「一国二制度」によって保障されてきた香港の「自由」は急速に失われていった。 

「悲しい。これはもう香港ではない。

自由が制限される可能性が高い」と祁さんは語る。 

祁さん夫妻は変質する香港社会に恐怖と怒りを感じ、娘のために、自由がある日本で暮らすことに決めたのだった。

 夫は去年11月に単身日本に渡り就職。祁さんとエブリンちゃんはコロナ禍で渡航が延期となっていたが9月に日本のビザが発給され、

10月にようやく合流し日本での生活を開始した。

 香港では将来への不安から外国に移住する人が急増していて

去年「国家安全維持法」が施行されてからの1年間に流出した人は約9万人にのぼっている。 

■香港と中国本土

 進む経済的一体化 一方で中国本土に移住する香港市民もいる。

香港に隣接する深センでは、市が香港から移住して働く人に家賃を補助したり、最大で1億7000万円の運営資金を給付したりするなど、

圧倒的な経済的メリットを示し香港市民の心をつかもうとしている。

 香港と深センの境界では香港側に深センのビル群が迫り、香港を飲み込んでしまうかのような光景が広がっている。

中国政府は、香港、深セン、マカオ、広州を含むベイエリアを「大湾区」と名付け経済面で一体化させる構想を進めている。

 香港が中国本土に飲み込まれてゆく大きなうねりの中、そこに住む香港市民の生活が翻弄されている。

“ウィズコロナ”施行後「ソウルの死者は約4倍増加」…感染者は「約2倍増加」=韓国

2021-11-30 06:30:37 | 韓国
韓国を見習えと言っていた連中が

だんまり。。

結局は菅政権のやり方が良かったことになる。



そーすから

“ウィズコロナ”施行後「ソウルの死者は約4倍増加」…感染者は「約2倍増加」=韓国

韓国では、今月1日からの「段階的日常回復(ウィズコロナ)」施行以降、

ソウル地域の新型コロナウイルス感染症による死者が約4倍も急増していることがわかった。

また感染者も約2倍増加している。 

きょう(29日)ソウル市によると、

10月24~30日に計32人(一日平均4.6人)であった週間新型コロナ死者数は、その後32人から48人、

さらには76人と増加し、先週には120人(一日平均17.1人)に急増した。

ウィズコロナ施行の直前と比較すると、3.7倍増加したことになる。

 一方、ソウル市の一日平均の感染者数は、

11月第1週(10月31日~11月6日)の848.3人から896.6人→1237.4人→1605.7人と3週連続で過去最多記録を更新してきた。 

また、先週の重症患者数は一日平均222.4人で、2週間前(199.2人)より23.2人増加した。

親には「死ぬまで隠し通すつもり」コロナ禍で収入減によって生活が困窮『夜の街』に飛び込む女性たち

2021-11-29 19:17:55 | 国内
親には「死ぬまで隠し通すつもり」コロナ禍で収入減によって生活が困窮『夜の街』に飛び込む女性たち

今年は緊急事態宣言が3回出されるなど、特に飲食業界にとっては厳しい1年でした。そんな中、非正規雇用の労働者数が激減し、とりわけ女性が大きな影響を受けているとみられています。突然仕事を失い、さらに公的な支援なども行き届かず、「夜の街」に飛び込む女性たちの姿を追いました。 

時短解除で活気戻るなか…夜の接客業「ぶっちゃけ変わっていない」

MBSニュース

10月25日、大阪府に出されていた飲食店への時短要請が解除されました。11か月間という長い長いトンネルでした。11月12日に取材班が大阪・ミナミの繁華街を訪れると、コロナ前までとはいかないものの、活気が戻ってきていました。

今年6月に大阪・ミナミの街で1人の女性と出会いました。18歳のななこさん(仮名)。1歳の娘を育てる母親です。取材した日は、夜の接客業を始めるために、面接を受けに来ていました。 (1歳の娘を育てるななこさん・仮名 18歳 今年6月) 「あまり話さない方なんで、しゃべれるかなという不安があります」 コロナ禍で夫の収入だけでは生活が維持できず、働かざるを得なくなったといいます。 (1歳の娘を育てるななこさん・仮名 今年6月) 「(昼間の)保育所がいっぱいなんですよ、定員が。だから(夜間の)託児所しか空いていなくて、託児所の料金的にも夜の街の方がいいなとなりました。(Q託児所はどれくらい?)1か月で5万円ちょっとくらいです」
カフェでの収入が激減…夜の街で働くことを考える大学生

大学生 れなさん(仮名・今年7月)

生活の困窮から夜の世界に身を投じる女性たち。大阪府内の大学生で21歳のれなさん(仮名)は、これまで夜の街とは無縁だったといいますが、今年7月にナイトワークを始めようとしていました。 (大学生 れなさん・仮名 21歳 今年7月) 「(シフト)全然入れなくなって、お金ないしという感じですかね」 1人暮らしのれなさんは、コロナ前はカフェで働いていて、月15万円ほどの収入で大学に通いながら生活してきたといいますが。 (大学生 れなさん・仮名 今年7月) 「もともと週5で働いていたのが、2週間か1週間に1回くらいになっちゃって、月2~4万円くらいになりました。(Qそれがきっかけですか?)若いうちにしかできないし、せっかくだからやってみようって。今何やっても稼げなさそうだし。(Qご両親に仕事のことは?)お昼の仕事1本でやってると思ってます。死ぬまで隠し通すつもりです。(Qそれはなぜ?)やっぱり偏見とかもあるし、お母さん大好きだから後悔とかしたらかわいそうだなと思って」
ミナミの店に体験入店へ

体験入店する店の店長とれなさん(仮名)

夜の接客業で働こうとする大学生のれなさん。この日、ミナミの店で体験入店することになり、カメラも店の中に入ることが許されました。   (店長)「水商売自体は未経験?」 (れなさん)「未経験です」   (店長)「ちなみにどういうことされていたんですか?」 (れなさん)「お昼は飲食店で普通に働いていました」   (店長)「お料理は得意ですか?」 (れなさん)「なにもできないです。レンジくらいしか使えないです」   (店長)「接客は得意ですか?」 (れなさん)「カフェとかの接客は好きです」   (店長)「緊張すると思うんですけど、フランクに」

面接を受けて、その後、接客用のドレスに着替えます。華やかな白いワンピースに身を包んだれなさん。そしてすぐに客のタバコに火をつける方法など接客の所作を学びます。   (店員)「手で覆ってあげて火が消えないようにして、お客様の口元にもっていく」 (れなさん)「(ライターの火がつかず)ちょっと、さっきまでついてましたよね?」 一抹の不安を抱えながらもその日のうちに接客することになりました。ここからは撮影NGのため、取材班は一旦外へ。
体験入店を終えて「夜の街で働くのは仕方ないかな」
大学生 れなさん(仮名)

2時間後、体験入店を終えたれなさんが出てきました。 (大学生 れなさん・仮名) 「(Qどうでしたか?)なんか疲れました。(Qどんなところが?)しゃべりながら手を動かしたり。(Qお給料はいくらくらい?)6500円くらいだと思います。2時間くらいなので。(Qコロナ禍でこの仕事をしている自分は?)仕方ないかなと思います。(Qこの業界で働こうと思いますか?)ちょっと考えようかなと。1回寝て」 この2週間後、れなさんは夜の街で働くことを決めました。 夜の街では突然、生活が苦しくなり安易に身を投じる女性たちもいます。その多くは行政などの支援の存在を知らないことが多く、「行き届く支援」がより求められています。


“ウィズコロナ”施行後「ソウルの死者は約4倍増加」…感染者は「約2倍増加」=韓国

2021-11-29 19:15:47 | 韓国
“ウィズコロナ”施行後「ソウルの死者は約4倍増加」…感染者は「約2倍増加」=韓国

韓国では、今月1日からの「段階的日常回復(ウィズコロナ)」施行以降、

ソウル地域の新型コロナウイルス感染症による死者が約4倍も急増していることがわかった。また感染者も約2倍増加している。

 きょう(29日)ソウル市によると、10月24~30日に計32人(一日平均4.6人)であった週間新型コロナ死者数は、その後32人から48人、

さらには76人と増加し、先週には120人(一日平均17.1人)に急増した。

ウィズコロナ施行の直前と比較すると、3.7倍増加したことになる。

 一方、ソウル市の一日平均の感染者数は、11月第1週(10月31日~11月6日)の848.3人から896.6人→1237.4人→1605.7人と3週連続で過去最多記録を更新してきた。 

また、先週の重症患者数は一日平均222.4人で、2週間前(199.2人)より23.2人増加した。

《日本人同士の人身売買》1人あたりの値段は約2000円…上杉謙信の指示で始まった“連れ去り商行為”のリアル

2021-11-29 10:15:49 | 日本
二束三文で売られた人々
 永禄9年(1566)2月、小田氏治の籠る常陸小田城(茨城県つくば市)は、上杉謙信の攻撃で落城した。落城直後、城下はたちまち人身売買の市場になったという。
 その様子は『別本和光院和漢合運』に「小田城が開城すると、謙信の意向によって、春の間、人が20銭・30銭で売買されることになった」と記されている。この一文を読む限り、人身売買が謙信の指示に拠ることは明らかである。つまり、謙信の公認だったといえよう。おそらく城内には、周辺に住んでいた農民らが安全を確保するため逃げ込んでいたのだろう。戦争になると、農民らが城へ逃げ込むことは珍しくなかった。
 ちなみに20銭といえば、現在の貨幣価値に換算して、たったの約2000円にすぎない(30銭は3000円)。おそらく、雑兵たちは相当な数の女・子供(あるいは男も)を生け捕りにし、奴隷商人を介して売ることにより、利益を得ていたのだろう。まさしく戦争に出陣する「旨み」であり、将兵にとって賞与のようなものだった。なお、城下での攻防戦で、人や馬が連れ去られた例はほかにも報告されている。
 それにしても、20銭、30銭とはかなりの安値である。数が多いので供給過多となり、薄利多売になったのであろうか。フロイスの『日本史』によると、九州ではかなりの安値で売買された例が報告されている。売られた者は家事労働などに使役されるか、あるいはさらに転売されたのかもしれない。人身売買は、過酷な現実であった。また、連れ去られた人々は、金銭を負担することで買い戻されることもあった。
 こうした人々は、城下で将兵自身によって売買されたか、あるいは奴隷商人を介して売られたのだろう。奴隷商人にとって、どれだけの利益があったのかは、残念ながら判然としない。戦場では武器や兵糧を取り扱う商人のほか、奴隷を売買する商人も存在した(両方を担当していたかもしれない)。つまり、戦場における人の連れ去りは、大袈裟に言えば、一種の商行為として彼ら商人の懐を潤わせていたのである。
大坂の陣における乱取り
 乱取りは、以後の戦争でも止むことがなかった。徳川家と豊臣家の最終決戦の大坂の陣(慶長19年〔1614〕~同20年〔1615〕)でも、乱取りの実態を確認することができる。『義演准后日記』によると、慶長20年(1615)5月の大坂夏の陣で勝利した徳川軍の兵は、女・子供を次々と捕らえて、凱旋したことを伝えている。大坂城内には将兵だけでなく、普通の人々も逃げ込んでいたので、落城後はそうした人々を捕縛して連れ去ったのである。

徳川方に与した阿波の蜂須賀軍は、約170人の男女らを捕らえたといわれている。その内訳は、女が68人、子供が64人とその多くを女・子供が占めていた。40人程度が成人した男だったのだろう。捕らえられた女・子供が多い理由は、これまでの戦争と同じと考えられる。
「大坂夏の陣図屛風」(大阪城天守閣所蔵)は大坂夏の陣を描いた屛風絵で、逃げ惑う戦争難民の姿が見事に活写されている。左隻全面には、戦場から逃亡する敗残兵や避難民だけでなく、徳川軍が略奪・誘拐・首取りする姿が描かれている。なかでも注目されるのは、将兵に捕まった女性たちの姿である。将兵は戦いに集中せず、むしろ人やモノの略奪に熱中していた。それが彼らの稼ぎとなっていたからだ。そして、捕縛された人々は奴隷に身を落とすか、売買されたのである。
 こうした地獄絵図のような乱取りは、戦国時代を経て織豊政権期に至っても続き、さらに最後の大戦争となった大坂の陣まで脈々と続けられたのである。

信長公記』に見る乱取り・人身売買
 各地の戦場で乱取りや人身売買が横行していたが、織田信長の時代にも見られた現象である。以下、特に売春の例について確認しておこう。
倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史(星海社新書)
 天正3年(1575)、織田信長は越前国で蜂起した一向一揆を討伐した。その際、3・4万人に及ぶ人々が、殺害または生け捕りにされたという(『信長公記』)。殺害または生け捕りにされた人々は、将兵だけでなく農民や女・子供も含まれていた。生け捕りにされた農民や女・子供は連行され、奴隷のようにこき使われるか、または売買して金銭に換えられたに違いない。つまり、彼らは戦利品として扱われ、出陣した将兵にとっての賞与のようなものだったのだろう。
 ところで、信長が京都を支配しているとき、女性の売買が問題となった。『信長公記』天正7年(1579)9月には、次のような記事がある。
 去る頃、下京場之町(京都市下京区)で門役を務めている者の女房が、数多くの女性を騙して連れ去り、和泉国堺(大阪府堺市)で日頃から売っていた。この度、この話を聞きつけ、村井貞勝が召し捕らえて尋問すると、これまで80人もの女性を売ったと白状した。
 この女性は、門番の妻という普通の女性だったが、裏では女性の売買に関わり、少なからず収益を得ていた。この場合の女性を騙したという手口が不明であるが、数が80人というから尋常ではない。誰かが京都所司代の村井貞勝に密告したのだろうか。京都所司代には、京都市中を取り締まる役割があった。
 わざわざ和泉国堺で女性を売ったのは、商人が多い土地柄ということに加え、堺の商人にとってもその後の転売がしやすかったからだろうか。こうした話は、やがて織田政権下で京都所司代を務める村井貞勝の耳にも入った。織田政権下においても人身売買は禁止されていたので、このあと女性は厳しい処罰を受けたのである(その後、女性がどうなったかは不明)。以下、戦国時代における売春の問題について、もう少し考えてみよう。

室町・戦国時代の売買春
 戦場で捕らえられた人々のうち、特に女性の一部は売買春に従事させられた可能性がある。すでに中世においては、売買春のシステムが整っていた。以下、この点を詳しく確認することにしよう。
 傾城(傾国)という言葉があり、それは美人・美女を意味するが、転じて遊女を示すようになった。中国の正史の一つの『漢書』外戚伝には、「北方に佳人有り。(中略)一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」と書かれている。この記述を典拠として、傾城とは「美女の色香におぼれて城や国が傾く」こと、つまり国が滅びることを意味するようになった。中国の春秋時代(紀元前770~同403)における、呉王の愛姫・西施は「傾城の美女」として非常に有名である。
『漢書』外戚伝を出典として、傾城は日本でもたびたび遊女を示す言葉として使用されてきた。したがって、日本の史料であっても「傾城(屋)」と書かれていれば、間違いなく遊女あるいは遊女屋を示す。