丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

高校の授業2

2011年01月25日 | 個人史
一番好きな教科はやっぱり数学だったが、先に書いたように高校では数学は二人の教師で分野を分けて授業をやっていた。どんな分け方だったのかはよくわからない。

数学の分野と言えば、代数、関数、幾何、確率に分けられるのだが、どれも中学に比べてかなり難しくなっている。

数学の片方の分野では比較的点数を取ったのだが、もう一つは散々。今でもはっきり覚えているのが、問題が全部で4問。1問25点。それの3問がちんぷんかんぷんでまったく書けず、ようやく1問をなんとか埋めたけれど正解ではなく、中間点で15点をもらった。後にも先にも得意の数学で15点はない。かなりショックでもあった。

逆に、中学ではそんなに好きでもなかった国語がけっこう性に合うようになる。国語の勉強というと漢字の書き取りしか思い浮かばなかったのだが、高校授業で深く読むということを覚えた。

それまで書かれた文章に何の疑いも覚えることがなかったけれど、批判的に読むことを覚えた。この文章、どこかおかしいのではないかとか。こういう読み方は推理小説を読むのに役立っている。一般社会的に言えば、新聞の論説や誰かの主張でも、それまで鵜呑みに信じていたことが、この人の発言はおかしいのではないだろうかと思えるようにもなった。
小説でも書かれた文章の奥の意味とか、文字になっていない感情とかも読めるようになってこういった部分、それまでのうわべだけの勉強と違った学習だった。

古典の授業では教科書以外の文章も多く扱って、難しくはあったけれどもけっこう面白かった。出典がわからない作品のコピーも多かったので、読み返せないのが残念。今でも本棚には当時使用していた源氏物語、枕草子、徒然草が並んでいる。

体育の授業はさっぱりだった。運動神経がないから仕方がない。それでも1年時には体育委員をやってはいたが。ラジオ体操だけは得意だったからよかったが。

体育と言えば、この年から体育大会は学校で行うようになる。それまで服部緑地の競技場を使用していたが、雨天の時とか不便なことも多かったためだが、僕が服部緑地に近い場所に引っ越ししたのに、その年に場所が学校に変更になったのは残念でもある。
クラスが各学年4クラスだったので、縦割りのクラス対抗をやって、頼まれもしないのにクラスの応援団長を勝手にやって、結果、クラス優勝をしたのが体育大会での思い出となる。