§18
考えてみればマリ子も浩二も俺に協力できないわけだ。二人とも口では上手いこと言いながら、3人グルになってたに違いない。やたら偶然が多かったのも裏であいつらが示し合わせてたのだと思えば何でもないことだったのだ。おかしいと思わなかった俺がどうかしていたのだ。
何もかも嫌になった。その日から俺は何をする気にもなれなくなってほとんど自室で寝るだけの生活に陥ってしまった。夏休みも残すところあと数日だというのに。自分でもあきれるくらいショックは大きかったようで、食欲もほとんど無くなってしまったくらいなのだから。
何度か浩二から電話もかかってきたが、ほとんど聞き流していた。奴とは口も聞きたくないと言ったところだろうか。せめて二学期が始まるまではそおっとしておいて欲しかった。
マリ子が電話を掛けてきたときも本当は何も話す気にはなれなかったのだが、おそらく浩二から頼まれたのだろう、随分俺のことを心配していて、俺の家に押しかけるか、自分の家に来るかどちらかにするように迫られた。俺の部屋は散らかりっぱなしで、マリ子にあれこれいじられたくもなかったから、仕方ないからマリ子の家に行くことにした。外に出るのも何日ぶるだろうか。体がめちゃくちゃ細くなり、体重も極端に減ったような気がして、気をつけないと真夏のアスファルトの路上で倒れそうだった。
よくマリ子の家にたどりつけたことかと思われるだろうが、実際には家を出てすぐにマリ子に迎えに来られていた。そんなに家が近いわけではないが、俺が家を出るのにかなりの時間を費やしただけの話だ。
久しぶりに見るマリ子はなぜか俺をほっとさせた。こいつには何も隠しようがない。秘書として俺のことをすべてしられているという、ある意味安心感があった。俺の行動パターン、すべて読み取られているような。だから、今俺がどうしたいのか、どうされたいのかも、何も言わなくても理解してくれている。
マリ子の家にはマリ子以外誰もいなかった。ちょうど昼食時間になっていたので、食堂に俺を座らせて、鮮やかな手つきでスパゲッティーを作ってくれた。
「胃薬も置いとく?」
「いらねえ。お前の腕、信用してるから」
悔しいが、俺の味の好みまで熟知されている。食欲が無くてあまり食べていない俺のお腹の具合まで測られた適量だった。
「お前、良いお嫁さんになるぞ。俺が保証してやる」
「素直にありがとう、言っておくわね」
食後にアイスコーヒーも入れてくれた。洗い物を済ませると、俺の隣に座って一緒にアイスコーヒーを飲み出した。
「あいつら二人のこと、知ってたんだろ」
こくりとマリ子はうなずいた。
「まあ、俺には言えないよな。あいつらもよく隠し通せた物だな。誰も気がつかなかったのかな?」
「京子の家に呼ばれるほどの友だちだったら誰でも知ってたと思う。でも、家によく来ていた中学の時の友だちはみんな別の高校に行っちゃって、最近はあまり来ないって言ってた。同じ中学から来た子も何人かはいるけれど、京子や浩二君とはそんなに親しくもないから」
「友だちいたのに、別の学校に行ったんだ」
「本当なら京子のレベルだったら、その友達が行った高校に行く筈なんだけど、わざわざ浩二君と同じ学校にしたんだって」
「何だよ、それ。追いかけてきたっての?でも、学校じゃあそんなに親しそうには見えなかったけれどな」
「京子ってけっこう変な子なのよ。家も近くで、学校でも近くだったら二人で話す内容が決まってしまって面白くないって。別々の経験があるから、それを話し合って、知らない話を聞くのが面白いんだって」
「じゃあ、別の学校にすればもっといいんじゃないか」
「普通はそう思うわね。まったく違う環境にするか、べったりになるか。でもね、違う環境だったらそれはそれで話がかみ合わないでしょ。先生や行事や友だちのことや、何となく知ってはいるけどよくは知らないから、そういう話で盛り上がれるのよ。だから、あたしがあんたのこと知ったのもそういうところからね。浩二君の話を聞いて、会ってみたいなって思ったのが始まり」
「どういうことだよ。街で俺と浩二が声を掛けたのが最初じゃないのかよ」
俺がそう言うと、マリ子はしまったという顔をした。いくら鈍感な俺でもその顔を見れば理解できた。
「そうか、あの出会いもお芝居なのか。道理でいくら浩二でも、あんな変なナンパするわけもないか」
「ごめんなさい。あたしが頼んだの。印象深くあんたと出会える方法ってないかなって頼んだの。ごめんなさい」
「もういいよ。お前と知り合えたこと、後悔はしてないから。おかげで優秀な秘書と出会えたんだから。まあ、もう少し自然な出会い方でも良かったとは思うけれど」
「だから、京子のことはだめだって言ったの」
「浩二の話では困っているって言うような印象だったけれど」
「浩二君の話、信用したらだめよ。あの二人、一緒に泊まりがけの旅行もしてるんだから」
俺は思いっきりコーヒーを吹いてしまって、あわててティッシュでテーブルを拭いた。
「何だよ、どういう意味だよ、まさかあいつら、もう……」
「ごめん、言い忘れてた。家族も一緒だった。両方の家で泊まりがけの旅行とかもよく出かけているらしいの。写真があったわ。全員の集合写真が」
「それを早く言え。二人だけかと思ったじゃないか」
「二人だけなら映画とか遊園地とか喫茶店とか買い物とか、あまり学校の友達に会わないような所にはちょくちょく行くらしいわよ」
「それくらいなら許す。しかし、浩二のどこがいいんだろ」
すっかりマリ子のペースに乗せられていた。やっぱり俺を生かせるのはマリ子の腕次第なんだろう。
「反対に聞くけど、あんたはどうして浩二君と仲が良いの?」
「そりゃ、ああ見えてもけっこうしっかりした奴だし、話も面白いし、付き合ってて損はしないからだろうな」
「京子もおんなじ。一緒にいると楽しいって。それに京子がね、あんたみたいに明るくてさっぱりしていて、活発な男の人っていいわ、なんて言ったら、浩二君、それの上を行く明るさでいくことにしたらしいの。三枚目って言われてるけど、あれ、京子の希望なの」
なんだよ一体。浩二の話とは全然違うじゃないか。俺に言ったのは照れ隠しなのかよ。
「ねえ、まだ京子のこと好き?」
マリ子が俺の方を見て言った。俺もマリ子を一瞬見て、また前を向いた。
「ああ、好きだった。現在形と過去形の中間。まだ好きなことは好きだけど、でも、俺の割り込む余地などなさそうだ。畜生!誰か浩二よりずっとずっといい男現れて、京子さんがそちらを向かないかな。このまま浩二に独り占めされるのは何となく嫌だな」
「女々しいのね」
「何とでも言え。でも、俺はもうあきらめた。あの人はアイドルだったんだ。遠くから眺めてればよい、そんな人だったんだ。そう思うことにした」
マリ子はただ頷くだけだった。
「でもな、勘違いするなよ。あの人をあきらめたからと言って、明日から別の人に乗り換えるなんてことじゃないから。お前にはっきり言っておく」
「判ってるわよ、それくらい」
「ひょっとしたら今までまったく知らなかった人と急に出会って、突然恋に落ちるかもしれない。しかし、少なくとも今俺が知っている女の子と明日から付き合い出すということはない。もしあるとしたら……。そうだな、5・6年して、俺たちが社会人になって、見違えるような大人になって再会したら付き合い出すことはあるかもしれないけど、今の今は考えられないから」
「5・6年か。長いな」
マリ子が溜息をつく音がしたので俺は付け加えた。
「お前の気持ちは聞いた。でも今は無しだ。お前だって、これから先、俺よりずっといい男と出会うかもしれないだろ」
「そんなことあるかな」
「ああ、大丈夫だ。お前が俺のことよく知っているように、俺もお前のことよく知ってる。お前のこと放っておかない奴だってきっと現れるに決まってる。それに……」
「何?」
俺は体ごとマリ子に向き直って言った。
「それに、お前と別れるとかいうんじゃないし。秘書はもう辞めたんだろうけど、俺たちは仲の良い友だちだ。浩二と同じ俺の親友だから。何て言うか、俺のこと一番上手に引き立ててくれるのがお前なんだから。お前がいないと、俺の調子が狂っちまうと言うか、空回りばかりしそう。だからもし、俺が好きな子を見つけたときには真っ先にお前に相談する。反対にお前に好きな男ができたら、いつでも相談に乗ってやる」
マリ子はニコッと微笑んだ。
「でもさ、あたし、もう傷物だし」
「傷物?」
「そう。ファーストキッスは勝手に奪われるし、胸とかも触りまくられたし」
俺は再びコーヒーを吹きだした。
「人聞き悪いこと言うなよ。そりゃ確かに人口呼吸したけど、胸には絶対触ってなんかいない」
「だってわからないじゃない。悔しいけど、あたし、何にも覚えていないのよ」
確かに自分の知らない間に女の子にとって大変な経験をしてしまっているのだった。
「あたしね、お嫁に行くまでは清い体でいようって決めてるの。まあキスくらいはしたいけど、それ以上はありえない。なのに自分の基準でも認めているキスさえ覚えてないなんてね」
「それは俺も同じだぞ。君とキスをしたなんてまったく思ってないから。本当に夢中で、学校で習った人口呼吸をやっただけで、感触とかも覚えてない」
「まったく?」
「まったく」
「ほんとに?」
「ああ、ほんとに」
「ちょっとは何か思わなかった?人形にしか思えなかったの?」
「そういう聞かれ方するんなら、答えられない。お前は人形じゃないから」
「ちょっとは意識したんでしょ」
「……。答えない!」
マリ子は椅子ごと俺に向き直った。そして俺の椅子もまっすぐに自分に向けた。
「あんた一人だけ覚えてるのなんて許せない。だから、もう一度きちんとキスして。お願い」
「何言ってるんだよ」
「あんたは一度キスしてるんだから平気でしょ。さっきも言ったけど、あたしもファーストキッスを覚えておきたいの。それとついでに、胸も触ったんだから、それも許してあげる。でもそれ以上は絶対に駄目だから」
「おいおい、もう一度言うけど、胸には絶対触ってないから」
「じゃあ、命を助けてくれたお礼と言うことにしておいてもいいから。許す」
そういうとマリ子は両手を後ろに組んで目をつぶって顔を俺の前に突きだした。俺はしばらく迷っていた。右手が前に伸びそうになって彼女の胸の手前で止まった。いいと言ってるんだから。でもためらわれた。唇がやけに大写しで見えた。俺はつばをごくんと飲み込んだ。
でも、結局、ためらった後、マリ子のおでこに軽くキスをして椅子を元に戻した。マリ子は拍子抜けしたように目を開けた。
「してくれないんだ……」
「そういうことじゃないよ。君が覚えてないんだったら、それはやっぱり無かったことなんだ。君はまだファーストキッスはしていない。それだけのことだよ」
「でも……」
「ファーストキッスは、君のことを本当に大事に思ってくれる人に取っておいた方がいい。その方が良い思い出になるだろ」
「そんな人が現れればいいけどね」
「大丈夫だよ。きっと君をお嫁に欲しいって男が現れるさ。もし……」
「もし……、何?」
「まあいくら待っても現れなかったら、その時は仕方ない。俺がお嫁に貰ってやっても良いからな。二人で縁側に座って。濃いめのお茶を飲んで。昔話をして。若いときは柔らかいおっぱいしてたのにな、とか話しながら……」
「やっぱり触ってたんだ!」
「冗談、冗談。軽いノリだから」
マリ子もそれが冗談だとわかってくれたようだった。
「冗談でごまかそうとするんだから。お返しにあたしも怖ろしい話して上げるわね」
「何だよ、今でも十分怖ろしかったけどな」
「実はね、今日、あんたを家に連れてくるってお母さんに言ったら、じゃあ夕方まで出て行くわねって。二人で好きなようにすればって言われたの。だからこの家には夕方まで二人っきり」
「何だよ、年頃の娘を置いて、家に帰らないって。それでもまともな親かよ」
「そうなの、狼を家に連れ込んで、子羊を好きに食べてもらっても構わないって。お母さん、あんたのこと気に入っててね。既成事実作っても構わないらしい」
「嫌だよ、俺は」
マリ子は笑いながら先を続けた。
「たぶん帰ってきたらあたしに聞くと思うんだ。どうだったって。だからこう答えるの。彼、とっても優しくしてくれたって」
「だめ!そんな言い方、誤解されたらどうするんだ!」
「あんたがあたしに優しかったの本当でしょ」
「だめだめ、絶対に誤解するって」
後日談だが、マリ子は本当にそういう言い方で母親に言ったらしい。振り返ればそれ以降、マリ子の母親が俺を見る目つきが少し変わったような気もしたりもする。気のせいだと思うが。
しかし、俺は軽いノリで言ったつもりだったのだが、6年後本当に言った言葉が実現することになるとは、その時には思いもしなかった。本当に俺の所に嫁に来るなんて。
京子さんのことは吹っ切れた。俺たち4人はそれから仲の良い4人組として有名になった。俺も京子さんとは気軽に話ができるようになっていた。もっとも浩二は今でもマリ子を苦手としているようではあったが、その関係は今でも続いている。
京子さんと浩二の関係がどうなったのか、ここで話すつもりはまったくない。まあ、あいつらにもいろいろあったといういことだけは言っておこう。
俺は今でもマリ子に操られている。昔は秘書だったけれど、今では個人マネージャーとでも言おうか。俺の一番良いところを引き出してくれるのが彼女だから、それに従うのが一番良い事だと思ってる。もっともマリ子の計算外の行動もとりたくなることもあるけれど、実はそれ自体、もっと大きな計算の中なのかもしれないが。
完
考えてみればマリ子も浩二も俺に協力できないわけだ。二人とも口では上手いこと言いながら、3人グルになってたに違いない。やたら偶然が多かったのも裏であいつらが示し合わせてたのだと思えば何でもないことだったのだ。おかしいと思わなかった俺がどうかしていたのだ。
何もかも嫌になった。その日から俺は何をする気にもなれなくなってほとんど自室で寝るだけの生活に陥ってしまった。夏休みも残すところあと数日だというのに。自分でもあきれるくらいショックは大きかったようで、食欲もほとんど無くなってしまったくらいなのだから。
何度か浩二から電話もかかってきたが、ほとんど聞き流していた。奴とは口も聞きたくないと言ったところだろうか。せめて二学期が始まるまではそおっとしておいて欲しかった。
マリ子が電話を掛けてきたときも本当は何も話す気にはなれなかったのだが、おそらく浩二から頼まれたのだろう、随分俺のことを心配していて、俺の家に押しかけるか、自分の家に来るかどちらかにするように迫られた。俺の部屋は散らかりっぱなしで、マリ子にあれこれいじられたくもなかったから、仕方ないからマリ子の家に行くことにした。外に出るのも何日ぶるだろうか。体がめちゃくちゃ細くなり、体重も極端に減ったような気がして、気をつけないと真夏のアスファルトの路上で倒れそうだった。
よくマリ子の家にたどりつけたことかと思われるだろうが、実際には家を出てすぐにマリ子に迎えに来られていた。そんなに家が近いわけではないが、俺が家を出るのにかなりの時間を費やしただけの話だ。
久しぶりに見るマリ子はなぜか俺をほっとさせた。こいつには何も隠しようがない。秘書として俺のことをすべてしられているという、ある意味安心感があった。俺の行動パターン、すべて読み取られているような。だから、今俺がどうしたいのか、どうされたいのかも、何も言わなくても理解してくれている。
マリ子の家にはマリ子以外誰もいなかった。ちょうど昼食時間になっていたので、食堂に俺を座らせて、鮮やかな手つきでスパゲッティーを作ってくれた。
「胃薬も置いとく?」
「いらねえ。お前の腕、信用してるから」
悔しいが、俺の味の好みまで熟知されている。食欲が無くてあまり食べていない俺のお腹の具合まで測られた適量だった。
「お前、良いお嫁さんになるぞ。俺が保証してやる」
「素直にありがとう、言っておくわね」
食後にアイスコーヒーも入れてくれた。洗い物を済ませると、俺の隣に座って一緒にアイスコーヒーを飲み出した。
「あいつら二人のこと、知ってたんだろ」
こくりとマリ子はうなずいた。
「まあ、俺には言えないよな。あいつらもよく隠し通せた物だな。誰も気がつかなかったのかな?」
「京子の家に呼ばれるほどの友だちだったら誰でも知ってたと思う。でも、家によく来ていた中学の時の友だちはみんな別の高校に行っちゃって、最近はあまり来ないって言ってた。同じ中学から来た子も何人かはいるけれど、京子や浩二君とはそんなに親しくもないから」
「友だちいたのに、別の学校に行ったんだ」
「本当なら京子のレベルだったら、その友達が行った高校に行く筈なんだけど、わざわざ浩二君と同じ学校にしたんだって」
「何だよ、それ。追いかけてきたっての?でも、学校じゃあそんなに親しそうには見えなかったけれどな」
「京子ってけっこう変な子なのよ。家も近くで、学校でも近くだったら二人で話す内容が決まってしまって面白くないって。別々の経験があるから、それを話し合って、知らない話を聞くのが面白いんだって」
「じゃあ、別の学校にすればもっといいんじゃないか」
「普通はそう思うわね。まったく違う環境にするか、べったりになるか。でもね、違う環境だったらそれはそれで話がかみ合わないでしょ。先生や行事や友だちのことや、何となく知ってはいるけどよくは知らないから、そういう話で盛り上がれるのよ。だから、あたしがあんたのこと知ったのもそういうところからね。浩二君の話を聞いて、会ってみたいなって思ったのが始まり」
「どういうことだよ。街で俺と浩二が声を掛けたのが最初じゃないのかよ」
俺がそう言うと、マリ子はしまったという顔をした。いくら鈍感な俺でもその顔を見れば理解できた。
「そうか、あの出会いもお芝居なのか。道理でいくら浩二でも、あんな変なナンパするわけもないか」
「ごめんなさい。あたしが頼んだの。印象深くあんたと出会える方法ってないかなって頼んだの。ごめんなさい」
「もういいよ。お前と知り合えたこと、後悔はしてないから。おかげで優秀な秘書と出会えたんだから。まあ、もう少し自然な出会い方でも良かったとは思うけれど」
「だから、京子のことはだめだって言ったの」
「浩二の話では困っているって言うような印象だったけれど」
「浩二君の話、信用したらだめよ。あの二人、一緒に泊まりがけの旅行もしてるんだから」
俺は思いっきりコーヒーを吹いてしまって、あわててティッシュでテーブルを拭いた。
「何だよ、どういう意味だよ、まさかあいつら、もう……」
「ごめん、言い忘れてた。家族も一緒だった。両方の家で泊まりがけの旅行とかもよく出かけているらしいの。写真があったわ。全員の集合写真が」
「それを早く言え。二人だけかと思ったじゃないか」
「二人だけなら映画とか遊園地とか喫茶店とか買い物とか、あまり学校の友達に会わないような所にはちょくちょく行くらしいわよ」
「それくらいなら許す。しかし、浩二のどこがいいんだろ」
すっかりマリ子のペースに乗せられていた。やっぱり俺を生かせるのはマリ子の腕次第なんだろう。
「反対に聞くけど、あんたはどうして浩二君と仲が良いの?」
「そりゃ、ああ見えてもけっこうしっかりした奴だし、話も面白いし、付き合ってて損はしないからだろうな」
「京子もおんなじ。一緒にいると楽しいって。それに京子がね、あんたみたいに明るくてさっぱりしていて、活発な男の人っていいわ、なんて言ったら、浩二君、それの上を行く明るさでいくことにしたらしいの。三枚目って言われてるけど、あれ、京子の希望なの」
なんだよ一体。浩二の話とは全然違うじゃないか。俺に言ったのは照れ隠しなのかよ。
「ねえ、まだ京子のこと好き?」
マリ子が俺の方を見て言った。俺もマリ子を一瞬見て、また前を向いた。
「ああ、好きだった。現在形と過去形の中間。まだ好きなことは好きだけど、でも、俺の割り込む余地などなさそうだ。畜生!誰か浩二よりずっとずっといい男現れて、京子さんがそちらを向かないかな。このまま浩二に独り占めされるのは何となく嫌だな」
「女々しいのね」
「何とでも言え。でも、俺はもうあきらめた。あの人はアイドルだったんだ。遠くから眺めてればよい、そんな人だったんだ。そう思うことにした」
マリ子はただ頷くだけだった。
「でもな、勘違いするなよ。あの人をあきらめたからと言って、明日から別の人に乗り換えるなんてことじゃないから。お前にはっきり言っておく」
「判ってるわよ、それくらい」
「ひょっとしたら今までまったく知らなかった人と急に出会って、突然恋に落ちるかもしれない。しかし、少なくとも今俺が知っている女の子と明日から付き合い出すということはない。もしあるとしたら……。そうだな、5・6年して、俺たちが社会人になって、見違えるような大人になって再会したら付き合い出すことはあるかもしれないけど、今の今は考えられないから」
「5・6年か。長いな」
マリ子が溜息をつく音がしたので俺は付け加えた。
「お前の気持ちは聞いた。でも今は無しだ。お前だって、これから先、俺よりずっといい男と出会うかもしれないだろ」
「そんなことあるかな」
「ああ、大丈夫だ。お前が俺のことよく知っているように、俺もお前のことよく知ってる。お前のこと放っておかない奴だってきっと現れるに決まってる。それに……」
「何?」
俺は体ごとマリ子に向き直って言った。
「それに、お前と別れるとかいうんじゃないし。秘書はもう辞めたんだろうけど、俺たちは仲の良い友だちだ。浩二と同じ俺の親友だから。何て言うか、俺のこと一番上手に引き立ててくれるのがお前なんだから。お前がいないと、俺の調子が狂っちまうと言うか、空回りばかりしそう。だからもし、俺が好きな子を見つけたときには真っ先にお前に相談する。反対にお前に好きな男ができたら、いつでも相談に乗ってやる」
マリ子はニコッと微笑んだ。
「でもさ、あたし、もう傷物だし」
「傷物?」
「そう。ファーストキッスは勝手に奪われるし、胸とかも触りまくられたし」
俺は再びコーヒーを吹きだした。
「人聞き悪いこと言うなよ。そりゃ確かに人口呼吸したけど、胸には絶対触ってなんかいない」
「だってわからないじゃない。悔しいけど、あたし、何にも覚えていないのよ」
確かに自分の知らない間に女の子にとって大変な経験をしてしまっているのだった。
「あたしね、お嫁に行くまでは清い体でいようって決めてるの。まあキスくらいはしたいけど、それ以上はありえない。なのに自分の基準でも認めているキスさえ覚えてないなんてね」
「それは俺も同じだぞ。君とキスをしたなんてまったく思ってないから。本当に夢中で、学校で習った人口呼吸をやっただけで、感触とかも覚えてない」
「まったく?」
「まったく」
「ほんとに?」
「ああ、ほんとに」
「ちょっとは何か思わなかった?人形にしか思えなかったの?」
「そういう聞かれ方するんなら、答えられない。お前は人形じゃないから」
「ちょっとは意識したんでしょ」
「……。答えない!」
マリ子は椅子ごと俺に向き直った。そして俺の椅子もまっすぐに自分に向けた。
「あんた一人だけ覚えてるのなんて許せない。だから、もう一度きちんとキスして。お願い」
「何言ってるんだよ」
「あんたは一度キスしてるんだから平気でしょ。さっきも言ったけど、あたしもファーストキッスを覚えておきたいの。それとついでに、胸も触ったんだから、それも許してあげる。でもそれ以上は絶対に駄目だから」
「おいおい、もう一度言うけど、胸には絶対触ってないから」
「じゃあ、命を助けてくれたお礼と言うことにしておいてもいいから。許す」
そういうとマリ子は両手を後ろに組んで目をつぶって顔を俺の前に突きだした。俺はしばらく迷っていた。右手が前に伸びそうになって彼女の胸の手前で止まった。いいと言ってるんだから。でもためらわれた。唇がやけに大写しで見えた。俺はつばをごくんと飲み込んだ。
でも、結局、ためらった後、マリ子のおでこに軽くキスをして椅子を元に戻した。マリ子は拍子抜けしたように目を開けた。
「してくれないんだ……」
「そういうことじゃないよ。君が覚えてないんだったら、それはやっぱり無かったことなんだ。君はまだファーストキッスはしていない。それだけのことだよ」
「でも……」
「ファーストキッスは、君のことを本当に大事に思ってくれる人に取っておいた方がいい。その方が良い思い出になるだろ」
「そんな人が現れればいいけどね」
「大丈夫だよ。きっと君をお嫁に欲しいって男が現れるさ。もし……」
「もし……、何?」
「まあいくら待っても現れなかったら、その時は仕方ない。俺がお嫁に貰ってやっても良いからな。二人で縁側に座って。濃いめのお茶を飲んで。昔話をして。若いときは柔らかいおっぱいしてたのにな、とか話しながら……」
「やっぱり触ってたんだ!」
「冗談、冗談。軽いノリだから」
マリ子もそれが冗談だとわかってくれたようだった。
「冗談でごまかそうとするんだから。お返しにあたしも怖ろしい話して上げるわね」
「何だよ、今でも十分怖ろしかったけどな」
「実はね、今日、あんたを家に連れてくるってお母さんに言ったら、じゃあ夕方まで出て行くわねって。二人で好きなようにすればって言われたの。だからこの家には夕方まで二人っきり」
「何だよ、年頃の娘を置いて、家に帰らないって。それでもまともな親かよ」
「そうなの、狼を家に連れ込んで、子羊を好きに食べてもらっても構わないって。お母さん、あんたのこと気に入っててね。既成事実作っても構わないらしい」
「嫌だよ、俺は」
マリ子は笑いながら先を続けた。
「たぶん帰ってきたらあたしに聞くと思うんだ。どうだったって。だからこう答えるの。彼、とっても優しくしてくれたって」
「だめ!そんな言い方、誤解されたらどうするんだ!」
「あんたがあたしに優しかったの本当でしょ」
「だめだめ、絶対に誤解するって」
後日談だが、マリ子は本当にそういう言い方で母親に言ったらしい。振り返ればそれ以降、マリ子の母親が俺を見る目つきが少し変わったような気もしたりもする。気のせいだと思うが。
しかし、俺は軽いノリで言ったつもりだったのだが、6年後本当に言った言葉が実現することになるとは、その時には思いもしなかった。本当に俺の所に嫁に来るなんて。
京子さんのことは吹っ切れた。俺たち4人はそれから仲の良い4人組として有名になった。俺も京子さんとは気軽に話ができるようになっていた。もっとも浩二は今でもマリ子を苦手としているようではあったが、その関係は今でも続いている。
京子さんと浩二の関係がどうなったのか、ここで話すつもりはまったくない。まあ、あいつらにもいろいろあったといういことだけは言っておこう。
俺は今でもマリ子に操られている。昔は秘書だったけれど、今では個人マネージャーとでも言おうか。俺の一番良いところを引き出してくれるのが彼女だから、それに従うのが一番良い事だと思ってる。もっともマリ子の計算外の行動もとりたくなることもあるけれど、実はそれ自体、もっと大きな計算の中なのかもしれないが。
完