長屋の部屋も当時の生活風情が良く出ています。
最初に俯瞰した写真を再度。 土蔵の右の長屋に2家族。 手前の長屋に3家族が暮らしている設定です。
手前の長屋の端は舟宿の船頭 松次郎
猪牙舟や荷舟を扱う船頭。 印半纏の下の屏風は枕屏風で、昼間は布団の目隠し、夜は隙間風よけに使っていたもの。
隣は、つき米屋の職人 秀次の住まい。 妻と小さな子の三人暮らし。 職場がすぐ隣なんだ。
戸口上に、「久松るす」と書かれた札がありますが、インフルエンザは当時、お染風邪と呼ばれ、久松がいなけりゃ、こないだろうという洒落。 同様に、俵の藁蓋を吊るしているのは、疱瘡(天然痘)よけのもの。 子供を守る親の気持ちの表れ。
反対側から。
棒手振(ぼてふり) 政助の住まい
あさり・しじみのむきみを天秤棒で担いで売るのが仕事。
木場の木挽き職人 大吉の住まい。 妻と二人り暮らし
壁には大鋸。 また、雨しのぎの蓑などがかかっている。
三味線の師匠 於し津の住まい
読み書き、手習い、裁縫も教えている。
雛人形、衣装箪笥、その上の仏壇、右手の鏡、掃除道具、本台の本は謡曲の教本だろうか?
女性らしい小奇麗な部屋です。
右上の棚に鳥かごがありました。 私の父は昔、よく鳥かごを作っていました。 目白などを飼うのが趣味だった父の手作りの鳥かごに似ていたので目にとまりました。
長屋の共同スペース。 井戸と右は便所、ゴミだめ、手前のノボリは稲荷。
井戸はあっても当時の深川の井戸水は飲用には不可で、水売りから買っていた。
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