光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

東京国立近代美術館 所蔵作品展から 2~5室 (2021.12.24鑑賞)

2022年01月17日 | アート 各分野

東京国立近代美術館(MOMAT)4階2室の説明です。(公式サイトからお借りしました) 

2室 和洋がなじむまで

和田三造《南風》1907年、重要文化財

 ひとつ前の部屋で原田直次郎《騎龍観音》をご覧になったでしょうか。仏教という東洋的な主題を西洋の技術
(油絵)で描く和風洋画と呼ばれるスタイルはいま見れば奇妙に感じますが、その奇妙さこそが貴重な始まりの
気運を伝えます。
幕末以来急速に押し寄せる西洋化の波の中で、外来の技術を取り込みながらいかに日本の絵画
を作り上げるか。それがすなわち日本美術の近代化の出発点でした。

 欧化と国粋化の間で揺れ動いた時代を経て、1907(明治40)年、フランスのサロンに倣った文部省美術展覧会
(文展)が開設されます。日本画、洋画、彫刻のジャンルを規格化した文展が、日本の美術の形式や様式に落ち
着きをもたらしました。この部屋で紹介している作品は、久米桂一郎の作品以外すべて文展出品作です。   和田
三造の描く理想的な(西洋的な)身体、陰の中の色彩を細密に描く久米の(西洋的な)写実、油気を抑えた(東
洋的な)小杉未醒(放菴)の描き方、落差のある近景と遠景がつながる和田英作の(東洋的な)構図。和洋が揺
すられ、攪拌され、溶け合い、なじんでいく過程をご覧ください。

 

 

では、作品を

平田松堂《木々の秋》

この作家は初めてで、華やかだけど普通の花鳥画だなと思い、最初は通り過ぎようとしたのです。

が、よく見ると部分、部分は美しい、でも全体だと少し凡庸に見える・・・私の偏屈な眼には、

ときどきあるのです。

なお、作者は河合玉堂に師事したこともあり、後年には東京美術学校(東京芸大の前身)の教授

にもなった方。華族出身と関係あるのかな、絵は上品です。

 

部分を拡大してみました。 左上には小鳥もいます。

 

 

中沢弘光《おもいで》

ホントは、好みの絵ではないのですが、2室の作品は見慣れた作品が多く

たまには、という感じで、この作品を撮影しました。

参考に、アーチゾン美術館コレクションにある本作品の下絵を載せました。画像は、同美術館のサイトからお借りしました。

 

 

 

 

 

3室 ほとばしるフライハイト ―『白樺』と青年たち

岸田劉生《B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)》1913年

 1階で開催される「民藝の100年」(10月26日より)とゆかりの深い白樺派に関連した作品を中心に紹介します。
柳宗悦らが1910年に創刊した雑誌『白樺』は、個性を鼓舞する斬新な論説で若い世代の芸術家たちを刺激しました。
『白樺』創刊と同年に高村光太郎が発表した評論「緑色の太陽」は、この時代のムードを色濃く伝えます。「僕は
芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めている」。太陽は緑で描かれて構わない。それは個性の尊重であると
同時に、(目を閉じたときに太陽が緑に映じるように)内面性の肯定、生命賛美の宣言でもありました。

 作者の恋情を託してうねる荻原守衛の彫刻、前世代を挑発する萬鉄五郎の強烈な色彩は、この時代の象徴といっ
ていいでしょう。『白樺』は西洋近代美術を積極的に紹介し、同時代の作風の形成に直接の影響も与えました。前
の部屋の穏健さから、がらりと様子が変わっていることがわかると思います。風景を刻み込むセザンヌの視点が、
燃え立つようなゴッホのタッチが、筋肉の緊張を伝えるロダンの手法が、各作品に流れ込んでいるのが見て取れます。

 

上の、公式サイトの写真と、私が撮影したもの比べると、結構違いますね。

 

 

柳敬助《白シャツの男》

モデルの富本憲吉の心まで描き出すような画力はさすが。 

残った作品が少ないのが残念です。

 

 

関根正二《三星》

惹きつけられる作品です。 このブログでも何回もとり上げました。

関根正二は20歳で夭逝したため、5年ほどしか制作していない。

今回、改めて作者や作品をWebで調べて分かったのですが、この《三星》のX線画像

では、中央の自画像の下には女性の顔が描かれてあった!

私の想像では、関根正二が失恋(2回)をした相手の顔ではないかと。

三星は関根にとって、大事な三人の女性、一人は肉親である姉、中央と右側は恋人(かっての)

だったのでは。消された中央は、東郷青児に奪われた田口真咲かもしれない・・・てなことを

考えるのは邪道と分かっていても、楽しい。

 

4室「 生」を刻む― 近代日本の木版画から

山本鼎《ブルトンヌ》1920年

 明治末から大正期にかけて、西洋の新しい美術思潮の移入に刺激され、近代的な自我意識や芸術の独創性
への意識が高まりをみせるなかで、単なる複製技術ではない、芸術としての「版画」を立ち上げようとする
機運が高まりを見せました。印刷技術の発達や浮世絵版画の分業体制への反発も背景にもちながら、絵を描
くところから刷るところまで、一貫して画家が制作に携わる創作版画が提唱され、1918(大正7)年には日
本創作版画協会が結成されましたが、木の板に直に彫る木版画はその中心的な役割を担います。  そこには
「民藝」が重きをおいた手仕事に通じる精神も見ることができるでしょう。民藝運動に関わりの深い棟方志
功も木版画家でした。画家の内面や感情と直接的に結びついた表現から、次第に単純な形態、黒白の対比、
力強い線といった木版表現の特質の追究も加わり、個性豊かな多様な作品が制作されました。

 

恩地孝四郎《『氷島』の著者(萩原朔太郎像) 》

 恩地幸四郎、すごいですね。

 

 

 

平塚運一《臼杵の石仏》 

4年前、須坂の版画美術館で平塚運一の作品を見たときは、大した感慨も

無かったのですが、うん、良さがわかってきました。

 

 

棟方志功《雷妃》

棟方志功の女性表現は、独特のふくよかさ、キレの良さがいい。

この黒い女体表現も、えんでね。

 

 

 

斎藤 清 《門》

グラフィックデザインの要素を強く感じるなー。 

モダンで伝統的な日本のイメージを体現するにはピッタリで、ビジネスセンスもいいのかな。

 

 

山本鼎 《ブルターニュの入江(水辺の子供)》

4室解説にある《ブルトンヌ》もいいし、この版画もいいなー。

創作版画の先駆者でもあり、自由画教育運動や農民美術運動などの先導者としても

活躍したので、そのぶん、制作活動ができなかったのが惜しいところです。

 

 

5室 パリの空の下

アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》1905-06年

 ユベール・ジロー作曲の有名なシャンソンでは「パリの空の下、歌が流れ、恋人たちが歩く」といいますが
、アンリ・ルソーによればパリの空には芸術家たちを導く自由の女神がいるようです。女神のラッパに従って
、芸術家たちは作品を片手に展覧会場に集まっていきます。審査を受けずに発表できる展覧会、それはすなわ
ち、芸術家ひとりひとりの個性の尊重を意味します。そうした思想は明治時代末以降の日本の芸術家たちにも
大きな影響を与えました。芸術の都にあこがれ、パリをめざした日本人芸術家は、とりわけ二つの世界大戦の
間におびただしい数にのぼります。彼らはさまざまな視点からパリを描きましたが、当館のコレクションをあ
らためて眺め渡してみると、いわゆる観光名所のような華やかな景色よりも、裏道や、場末のカフェや、労働
者といった、どちらかというと目立たない存在に光を当てるものが多いようです。それらは異邦人としてパリ
に身を置いた者にとって共感できるモチーフだったのかもしれません。

 

5室の作品には、藤田嗣治 《パリ風景》、 清水登之《街の掃除夫 》 、 東郷青児 《サルタンバンク》などが

あったのですが、私は、1枚も撮っていないのでした。 

それで、昔に撮った(2010年7月17日撮影) 佐伯祐三 《ガス灯と広告 》を再現像して載せました。

佐伯祐三 も昔、Webで調べたとき、夫人による謀殺説やら、夫人が祐三の作品に手を入れていたなど

論説に興味津々で夜更かしして調べたことを思い出します。(真相は不明のままです)

佐伯祐三 《ガス灯と広告 》 1927・昭和2  油彩・キャンバス 

 

続く


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2 コメント

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Unknown (tsubone)
2022-01-17 21:22:19
恩地幸四郎さんの作品、ぜひ見たいです。
萩原朔太郎氏の作品も若い頃のヴィジュアルも好きなんですよね。
祖母が彼の妹の「アイちゃん」とお箏のおけいこで一緒だったらしいですが、「あの不良」と言ってました。故郷ではそしられてたみたい。

ルソーの絵も素敵ですね。
あまり高らかに歌うというよりも、いい感じに力が抜けた自由を感じます。
返信する
tsuboneさんへ (te-reo)
2022-01-17 23:26:32
萩原朔太郎を調べると、恩地幸四郎が刻んだ版画は
深い描写だな・・・と感心するばかりです。是非、
実物をご覧になってください。
朔太郎は、前橋の学生時代、勉強もせず、マンドリ
ンを弾いたり、街をぶらついたりで、不良と呼ばれ
たのは確かなようですね。秀才で医者の父にコンプ
レックスがあったのかな。でも、若い頃のヴィジュ
アルは、モテそうな感じで、よくわかります。

ルソーの絵、そうなんですよ。”力が抜ける”言い得て妙だと思います。ルソーの作品を見ると、力が抜けて、ニヤッとして、でもいいなーと思う不思議な
感じがいつもします。 
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