木島櫻国は、明治10年(1877年)に京都市内、三条室町に生まれた。
京都の経済や文化の中心地だったこの地で、絵の才があった櫻国は、16歳で京都画壇の重鎮であった
今尾景年に入門し、技量を磨いた。 一方、漢籍も別の師について学び、昼は絵画制作、夜は漢籍
読書の生活を生涯送る。
20代前半には独立し、各種展覧会に出品するようになった。
当時の出品作。 (なお、撮影は美術館より特別の許可を得て行っています)
左の猛鷲図の解説です。説明する実方(さねかた)葉子学芸課長(京都・泉屋博古館)。 本展を中心となって企画・準備された方で
エピソードなどを交えながら、わかりやすい説明をしていただきました。
卓越した技量の源泉となったのが写生。
今回の展示では、その一部が展示され、櫻国の修行ぶりが垣間見られる。
この屏風の制作が7月となっており、京都の街中の家で個人所蔵されていることから、祇園祭宵山で、屏風祭に使われたと思われるとのこと。
注:屏風祭 宵山の期間中、各山鉾町の個人宅(有志)の表の格子を外して秘蔵している屏風や美術品、調度品などを飾り、祭り見物に来た人々にも、通りから鑑賞してもらえるようにしている。
この作品も洛中の旧家の伝来品なので、屏風祭用か。 獅子の顔貌や瞳が、獣というより、高邁な精神を宿しているように見える。
キャプションにもあるように、熊の眼差しが優しく、冴えわたった画技に奥行を与えている。
「かりくら」 100年以上行方不明で、ボロボロで発見されたものを、2年かけて修復したもの。
馬の躍動感や、草花の描きこみがさすがです。
高価な青系絵具などを、たくさん持っていて、調査をしている芸大生たちから、垂涎の的らしい。
左 :「獅子」 昭和時代 櫻国文庫蔵
最後に、「寒月」の横に展示している「時雨」。 第1回文部省美術展覧会の日本画で最高位を受賞した作品。
「時雨」 明治40年(1907) 東京国立近代美術館蔵
泉屋博古館分館は、こじんまりした美術館ですが、充実した展示で、見応えある美術展になっていました。 お勧めします。
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