今日は、踏絵を紹介します。
「キリシタン関係の遺品 イエズス会の布教と禁制下の信仰」 と題して、本館 16室で展示されていました。
2013年3月19日(火) ~ 2013年5月6日(月)までの展示なので、今は見られません。 いつも紹介が遅れてすみません。
展示コーナの概要をトーハクの公式サイトから引用させていただきます。
「日本のキリシタン信仰は、天文18年(1549)イエズス会宣教師ザビエルの渡来に始まり、およそ50年ほどの間に西日本を中心に浸透し、最盛期には40万人の信徒を得ました。しかし、豊臣秀吉、次いで江戸幕府はその信仰を禁じたため、江戸時代には信徒のごく一部が長崎に潜伏するのみとなります。それでも潜伏したキリシタンは厳しい監視を乗り越えて信仰を守り続けました。この展示では、主に長崎奉行所が信徒から押収した遺品を通して、禁制以前のイエズス会を中心とした布教の状況、禁制下の信仰の一面と日本と西洋の交渉の歴史を紹介します。」
そして、踏絵の説明も同サイトから引用します。
「この踏絵は寛文9年(1669)長崎奉行所の命令で、長崎の鋳物師萩原祐佐が真鍮を用いて作ったものです。踏絵はキリシタンを捕えるために、寛永3年(1626)ころはじめて行なわれ、当初は紙や銅板に描かれた絵を踏ませました。しかしすぐ破れ、あるいは磨滅してしまうので、信徒から押収したキリストやマリアを表した大型のメダイ(メダル)を板に嵌め込んだ板踏絵がそれに代わりました。その後数が足りなくなり真鍮踏絵を作ったのです。」
「大量の人に踏まれて磨滅もしたのでしょうが、もともとあまりはっきり表現していなかった可能性もあります。それは別として、真鍮踏絵のキリストはプロポーションが変です。顔があまりにも小さい。茨の冠はさざえの角のようです。もちろん正確な描写や造形の優秀さを求められていなかったのですから仕方ありません。奉行所は4種20枚(19枚現存、当館蔵)を1日で作らせたとも伝えます。」
踏絵で思い出すのが、小林古径が描いた「異端(踏絵)」、2012年7月29日のブログで紹介しましたが、素晴らしい作品なので、再掲します。
板踏絵が描かれていますが、背景の蓮華と女性たちの表情が素晴らしいので、拡大で
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