10月も終わってしまいそうです。秋らしい秋もあまりないまま急に寒かったりするのでびっくりしてしまいます。気をつけていきたいです。
大変楽しく、順調に、実践と振り返りを重ねながら現場に入っている日々です。いいことも、簡単にそうとはいえないことも、利用者の方と一緒に過ごす時間をひたすら重ねながらシンクロしていく面白さ。グルーヴを掴むといいますか...
最初は、探り探り。先回りしすぎず、かといって受け身で居過ぎても何も進まない。
ところで社会で自分自身が生きたり、色々と見聞きしながら、<自立>というのは人間として生きる上での一つの醍醐味だと思っているのですが、一方であまりにも「自分のことは自分でする」ということの価値が、特に福祉の世界において妙に上から目線だなあという印象があります。
本当の意味で<自立>している人なんて居るのでしょうか。人間として生まれたら必ず誰かの意思が介在している。もしかしたら人間は「他の人の頭を使って考えている」とでも言えそうなことが、自分「を」生きていても、他者を見ていても思うのです。あたま、からだ、こころ、それぞれに何かしら困難があれば、それを助ける人がいて生きることを成せるのであれば、それでいい筈だし、実はみんなそうで、大抵それで世の中は回っている筈なのに。
「誰にも頼らずに一人で生きていきなさい」をまるでゴールにしているかの様に<自立>という言葉が飛び交って、それを押し付けるように社会のルールも変化していく。見捨てられる人が多いのも当然だと感じます。
ルールを作ってるみなさんにすら、「本当に自立してますか?」と問いたいところです。だから近頃は、介護員の癖に<自立>という言葉すらふと疑って掛かってしまいます。笑
そんな中で「欲望形成支援」という言葉があることを最近知りました。障がい福祉の分野でよく言われる「意思決定支援」という言葉へのカウンターの様な立ち位置で出てきた様です。大変興味深いので今後、掘り下げたいと思っています。
欲望形成支援についての疑問、必要なのは「欲望気付き支援」じゃないかと思うのだけど。
並木
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