兄姉のつながりをこれからも大切に・・兄のことなど・・てんがらもん366回でした。

2019-04-11 | 日記

2019年4月11日(木)4980歩

てんがらもん放送366回を

のびたさんが幅広く 取り上げてくださっています。ご覧ください

人の輪と和 暮らし良くする 街づくり

 

ゲスト「西伊敷まちづくり協議会 大石隆志さん」

 

 今朝は顔を見せてくれました。

 

兄武義のこと (次男 s5年生 三男s10年生・姉s7年 チトセs15年生)

私と10歳違いです。私が10歳のころには多分あまり家にいなくて自叙伝前編によると

高校卒業後、住み込みや代用教員などして食いつなぎ2年後福岡学芸大学に入っています。

農業6人の子供いる私の家はみな中学しか出せない状況だったのを、中学3年の担任が

親を説得してくれて高校に行かせてくれた(私と、姉も)のです。

 

兄は大学もバイトしながらの苦学で卒業したようです。

10才離れていると一緒に生活した期間も10年ほどだし、両親の接し方も末っ子の私と

兄たちとはかなり違っていることを知りました。(私には甘かった)

兄は平成2年退職まで 北九州門司の小学校教諭―校長を務めあげました。

私のブログに影響を受けて82歳の時、ブログをたちあげ「82歳からの旅」は休み休み続けています。

たびたび私に助けを求めて、電話での説明が難しく、私もよくわかってないのでいまだに写真が

取り入れられないと、今回の帰省で、甥っ子たちが教えてくれていましたが・・・。

数年前から自分史をまとめて2年前前編を100部発行 今度後編の校正も済ませていました。

また退職後バイオリンを習い始め、今も毎日練習している、時に施設訪問もしている。

  グループホーム「おむすび苑」を訪問して   ~ 年の初めに ~ 岐阜に来て「紅葉を」を 翌檜さんに案内されて‼

 施設訪問              自分史前編      ブログで知り合った翌檜ちゃん岐阜で

こうして書いてみると私と似たようなところがあることに気が付きました。

 教育者なので私や姉に口うるさく子育てがうまくいっていないことに苦言を受けています。

だから二人とも煙たくて、愚痴を言いあっています。

 兄夫婦とも教員・学時代からの縁で教師で、定年を迎えました。

2人ともやがて90歳、老老夫婦は体が思うように動かずに 兄は昨年車の免許も返納して、

タクシーで病院通いしています。

 亡くなった兄は5歳違い、9年間認知症で武義兄がお世話してきました。肉親もあきれるほどの

弟思いで、足しげく施設を訪問しお世話してきました。

 自分が先に逝ってしまうかもと 7年前岐阜のいとこの寺に、本人ともども私と姉と4人で

お寺に出向いて、剃刀の儀も済ませてきました。(戒名もつけて)

 この間兄弟3人で年に1回ぐらいずつ兄の施設に赴き、アコーデオン。ヴァイオリンで慰問しました。

3年忌は もう集まれないかもしれないのでと、岐阜の願了寺住職が、自分のところで法要をあげるので

心配しないでほしいといってくれました。また年4回盆・正月と春と秋の彼岸にも供養してもらえます。

 昨年このような晴れの受賞をしていたこと聞いていませんでした。 

義姉は「きょうだいが一番大事」といつも言っているのよ。私はどうなるのかしら?・・・

とこぼしていました。「それはまた格が違うのよ。お姉さんが一番大事なことはテレで言えないのよ」

 26歳で両親に別れてしまった末っ子の私は、姉も「あなたは 早くに親と別れたので・・」と何かと

気にかけてくれます。今一番元気な私はできることで兄姉をサポートしていきたいと思います。

 

 

 

 少し旅の疲れが残っているのか早朝の温泉からかえって 朝食より先に横になり

でも食べないと元気にならないからと30分後に起き上がり軽い朝食。徐々に元気になりました。

放送を聞きながらブログアップして、昼食をと考えると食欲がない。

これはプールはやめておこう。と昨日に続いて午後はゆっくり眠りました。

3時間ぐっすり眠りました。収録のない日でゆっくりできました。

 来週は火曜日と木曜日、2回収録があるので 回復しておかないとですね。

  今日はメサイア合唱団の練習も休みました。

 

2015年の記事は

平尾台散策・4年前—ブロ友のヤマボウシさんと・・・

 

コメント (10)
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