駒込の「どうたっち」でジャーナリスト森口豁さんの映像とトークの会があり参加しました。1958年から記者、カメラマン、ディレクターとして1974年まで沖縄と関わり続け、現在も発信し続けている方です。スライド「さよならアメリカ」の中には私がうろ覚えのシーンがはっきり写っていました。アイゼンハワー大統領が58号線を曲がったそのあたりに私は立って見ていました。先生たちの激しいデモ。60年安保です。それから崇元寺前を行進する中学生たち。横断幕には「私たちは日本人です」と書かれています。見覚えのある顔がいます。中学のころは轢き逃げ事件が多発し、抗議集会がたくさんありました。虫けらではない、日本人だと言ってみたかったのでしょうか。城(ぐすく)の上に登り沖縄戦を検証する自衛官の写真は異様です。城(ぐすく)はただの石垣ではないからです。
沖縄をテーマにした森口さんのドキュメンタリーの中から1978年日テレで放映された「激突死」を観ました。その後どうたっち特製の料理と飲み放題1,000円での交流会でした。
いままである基地は戦後全住民を収容所に入れ、占領軍のアメリカが、土地を奪いつくった基地です。今度辺野古につくろうとしている基地は日本政府がアメリカの言いなりになって新たにつくる基地になります。どの国でも基地はいらないと押し返している昨今、日本は恥ずかしい道を選択しようとしています。遠く南の見えない所で適当にやってくれ、と直視することをやめようとしています。何度目の沖縄処分だろうか。
同じ日に携帯に届いたYさんの由布島旅行の写真も載せました。「安里屋ユンタ」のライブつきだそうです。
沖縄をテーマにした森口さんのドキュメンタリーの中から1978年日テレで放映された「激突死」を観ました。その後どうたっち特製の料理と飲み放題1,000円での交流会でした。
いままである基地は戦後全住民を収容所に入れ、占領軍のアメリカが、土地を奪いつくった基地です。今度辺野古につくろうとしている基地は日本政府がアメリカの言いなりになって新たにつくる基地になります。どの国でも基地はいらないと押し返している昨今、日本は恥ずかしい道を選択しようとしています。遠く南の見えない所で適当にやってくれ、と直視することをやめようとしています。何度目の沖縄処分だろうか。
同じ日に携帯に届いたYさんの由布島旅行の写真も載せました。「安里屋ユンタ」のライブつきだそうです。