(写真)ブルークローバーの花

心ときめく色というものがあるようだ。
色は形を得ることによってより鮮明になるが、えんどう豆に似た蝶形花はより鮮烈なインパクトを与えときめかせる。
このブルーは、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌが捜し求めた「スイート・バイオレット・オブ・パルマ(Sweet Violet of Parma)」に似ていて、二度ときめいた。
「クローバー」は、マメ科トリフォリウム属に属する植物の総称で、属名はラテン語の「tres」(三)と「folium」(葉)に由来し三つの小葉を持つことを指している。
「ブルークローバー」も、三つの小葉を持ち「クローバー」のようでもあり、「オキザリス(カタバミ)」のようでもあるが、これらとは異なる植物だ。
「クローバー」は葉の先が丸く、「オキザリス」は葉の先が割れてハート型をしているので違いがわかる。
「ブルークローバー」の原産地は、距離の離れた二箇所で、ヒマラヤ、チベットなどの熱帯高地アジアとエチオピア、ケニアなどの北東熱帯高地アフリカ。この二箇所の「ブルークローバー」は別種という見方と、起源は北東アフリカという説がある。人類の起源と大移動とともにアジアに移動してきたのだろうか?
「ブルークローバー」を採取したプラントハンター
「ブルークローバー」を採取したのは、アメリカの医者でナチュラリストのフォースフィールド、トーマス(Horsfield, Thomas 1773-1859)で、1802年にマレーシアで採取したとある。
フォースフィールドは、1800-1819年までジャワで英国及びオランダの東インド会社で医師・薬剤師として勤め、かたわら動植物を採取することを行っていた。
彼が滞在した時期は、アジアでの覇権をオランダと英国が争っていた時期だったが、彼の科学的な姿勢が政治の変化にも影響を受けずに生き残れたようだ。
アメリカ独立戦争(1775-1783)後の1783年のパリ条約でアメリカ合衆国の独立が認められ、その7年後にはジャワに到着したことになるので、フォースフィールドは、東南アジアでの科学的な研究に従事した初のアメリカ人の栄誉を担った。
まさに、科学に真摯な姿勢で取り組んだフォースフィールドにふさわしい「ブルークローバー」の花色かもしれない。
さらに補足すると、フォースフィールドから100年後の1904年に、中国・雲南省の3000mの高地の谷間で「ブルークローバー」を採取した男がいた。
スコットランドのプラントハンター、フォーレスト(Forrest, George 1873-1932)で、
西欧人として未踏の地、中国・雲南、チベットなどの植物探索をした初期のプラントハンターだ。
1904年から1932年に愛してやまなかったこの地で死亡するまで冒険に飛んだ7回にわたる探検を行い、数多くの植物を採取しツツジ、サクラソウ、クレマチスなどを英国エジンバラ王立植物園などのスポンサーに送った。
発見した新種は1200種にも及ぶという偉大なプラントハンターでもあったが、実績を著作物として残すということをしなかったために栄誉は得られなかった。しかし、現地の言葉を学び、現地に溶け込んでいき、愛する雲南の地にいまも眠る新しいタイプのプラントハンターでもあった。
「ブルークローバー」は、対照的な素晴らしい二人のプラントハンターに発見され歴史に記録された幸運な花なのだろう。
(写真)ブルークローバーの葉と花

ブルークローバー(Parochetus communis)
・ マメ科パロケタス属の半耐寒性の多年草。
・ 学名は、Parochetus communis Buch.-Ham. ex D. Don(1802年命名)。属名のparochetusは、“教区parochial、教会parish”を意味し、種小名のcommunisは、ラテン語で“一般のcommon”を意味する。
・ 英名では、「ブルーオキザリス(blue oxalis)」「Shamrock pea(えんどう豆のようなクローバー)」。「ブルークローバー(blue clover)」は育種会社の流通名。
・ 原産地は、ヒマラヤ、チベットなどの熱帯高地アジアとエチオピア、ケニアなどの北東熱帯高地アフリカ。
・ 草丈10cm程度で茎は横に匍匐して広がる。葉は3葉でクローバーに似る。
・ 開花期は冬から夏までで、えんどう豆に似た蝶形花の美しいブルーの花が咲く。
・ 湿った土壌が適していて、高温多湿に弱い。夏場は風通しの良い涼しい半日陰で育てる。
・ 繁殖は、秋に株わけで殖やす。
・ ロックガーデン、ハンギングなどに適する。
学名の命名者
Buchanan-Hamilton, Francis (1762-1829)ブキャナン-ハミルトン、フランシスは、スコットランドの医者・動物学者・植物学者で、インドに赴任し1794年から1815年までベンガルMedical Serviceに勤め、1807年から1814年まで、ベンガルの政府の指示に従って、彼はイギリスの東インド会社の管区の中の地域の広範囲な調査をした。彼は地形学、歴史、古代遺物、住民の状態、宗教、自然環境(特に漁場、森、鉱山と採石場)、農業などを調査し報告した。
1814年にカルカッタ植物園の園長に任命されたが、病になり1815年帰国する。
Don, David (1799-1841)
ドン、デビットは、スコットランドの植物学者で、ブキャナン-ハミルトンなどカルカッタ植物園が採取した植物を分類し、ネパールの植物相の著作を編集した。

心ときめく色というものがあるようだ。
色は形を得ることによってより鮮明になるが、えんどう豆に似た蝶形花はより鮮烈なインパクトを与えときめかせる。
このブルーは、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌが捜し求めた「スイート・バイオレット・オブ・パルマ(Sweet Violet of Parma)」に似ていて、二度ときめいた。
「クローバー」は、マメ科トリフォリウム属に属する植物の総称で、属名はラテン語の「tres」(三)と「folium」(葉)に由来し三つの小葉を持つことを指している。
「ブルークローバー」も、三つの小葉を持ち「クローバー」のようでもあり、「オキザリス(カタバミ)」のようでもあるが、これらとは異なる植物だ。
「クローバー」は葉の先が丸く、「オキザリス」は葉の先が割れてハート型をしているので違いがわかる。
「ブルークローバー」の原産地は、距離の離れた二箇所で、ヒマラヤ、チベットなどの熱帯高地アジアとエチオピア、ケニアなどの北東熱帯高地アフリカ。この二箇所の「ブルークローバー」は別種という見方と、起源は北東アフリカという説がある。人類の起源と大移動とともにアジアに移動してきたのだろうか?
「ブルークローバー」を採取したプラントハンター
「ブルークローバー」を採取したのは、アメリカの医者でナチュラリストのフォースフィールド、トーマス(Horsfield, Thomas 1773-1859)で、1802年にマレーシアで採取したとある。
フォースフィールドは、1800-1819年までジャワで英国及びオランダの東インド会社で医師・薬剤師として勤め、かたわら動植物を採取することを行っていた。
彼が滞在した時期は、アジアでの覇権をオランダと英国が争っていた時期だったが、彼の科学的な姿勢が政治の変化にも影響を受けずに生き残れたようだ。
アメリカ独立戦争(1775-1783)後の1783年のパリ条約でアメリカ合衆国の独立が認められ、その7年後にはジャワに到着したことになるので、フォースフィールドは、東南アジアでの科学的な研究に従事した初のアメリカ人の栄誉を担った。
まさに、科学に真摯な姿勢で取り組んだフォースフィールドにふさわしい「ブルークローバー」の花色かもしれない。
さらに補足すると、フォースフィールドから100年後の1904年に、中国・雲南省の3000mの高地の谷間で「ブルークローバー」を採取した男がいた。
スコットランドのプラントハンター、フォーレスト(Forrest, George 1873-1932)で、
西欧人として未踏の地、中国・雲南、チベットなどの植物探索をした初期のプラントハンターだ。
1904年から1932年に愛してやまなかったこの地で死亡するまで冒険に飛んだ7回にわたる探検を行い、数多くの植物を採取しツツジ、サクラソウ、クレマチスなどを英国エジンバラ王立植物園などのスポンサーに送った。
発見した新種は1200種にも及ぶという偉大なプラントハンターでもあったが、実績を著作物として残すということをしなかったために栄誉は得られなかった。しかし、現地の言葉を学び、現地に溶け込んでいき、愛する雲南の地にいまも眠る新しいタイプのプラントハンターでもあった。
「ブルークローバー」は、対照的な素晴らしい二人のプラントハンターに発見され歴史に記録された幸運な花なのだろう。
(写真)ブルークローバーの葉と花

ブルークローバー(Parochetus communis)
・ マメ科パロケタス属の半耐寒性の多年草。
・ 学名は、Parochetus communis Buch.-Ham. ex D. Don(1802年命名)。属名のparochetusは、“教区parochial、教会parish”を意味し、種小名のcommunisは、ラテン語で“一般のcommon”を意味する。
・ 英名では、「ブルーオキザリス(blue oxalis)」「Shamrock pea(えんどう豆のようなクローバー)」。「ブルークローバー(blue clover)」は育種会社の流通名。
・ 原産地は、ヒマラヤ、チベットなどの熱帯高地アジアとエチオピア、ケニアなどの北東熱帯高地アフリカ。
・ 草丈10cm程度で茎は横に匍匐して広がる。葉は3葉でクローバーに似る。
・ 開花期は冬から夏までで、えんどう豆に似た蝶形花の美しいブルーの花が咲く。
・ 湿った土壌が適していて、高温多湿に弱い。夏場は風通しの良い涼しい半日陰で育てる。
・ 繁殖は、秋に株わけで殖やす。
・ ロックガーデン、ハンギングなどに適する。
学名の命名者
Buchanan-Hamilton, Francis (1762-1829)ブキャナン-ハミルトン、フランシスは、スコットランドの医者・動物学者・植物学者で、インドに赴任し1794年から1815年までベンガルMedical Serviceに勤め、1807年から1814年まで、ベンガルの政府の指示に従って、彼はイギリスの東インド会社の管区の中の地域の広範囲な調査をした。彼は地形学、歴史、古代遺物、住民の状態、宗教、自然環境(特に漁場、森、鉱山と採石場)、農業などを調査し報告した。
1814年にカルカッタ植物園の園長に任命されたが、病になり1815年帰国する。
Don, David (1799-1841)
ドン、デビットは、スコットランドの植物学者で、ブキャナン-ハミルトンなどカルカッタ植物園が採取した植物を分類し、ネパールの植物相の著作を編集した。