メキシコのサルビアとプラントハンターの物語 No43
ヒントン(Hinton,George Boole 1882-1943)は、死亡するまでのわずか十数年で16,300品種もの植物をメキシコのゲレーロ州・ミショアカン州・メヒコ州で採取し、その中には300以上の新種と4つの新しい属が含まれていたという。
植物採取で生計を立てるプロのプラントハンターとなったのが1936年でヒントン54歳の時だったが、キュー植物園、ニューヨーク植物園、ハーバード大学、ミズリー大学などを顧客としていた。
ここには、ヒントンが採取した植物が保管・記録されており、ミズリー大学では、13192種類の標本があり、その中には356種ものサルビアが含まれている。
これまで取り上げなかったメキシコのサルビアを可能な限り調べていくことにする。
1. Salvia agnes Epling (1938) サルビア・アグネス
(出典)Flicker.com
サルビア・アグネスは、コンパクトなサルビアで8月から霜が降りるころまで、ブルーの小さな花を多数咲かせる。
このサルビア・アグネス(Salvia agnes)の最初の発見者は、メキシコの政治家を祖父に持つ米国の女性探険家・植物学者メキシア(Mexia, Ynes Enriquetta Julietta1870-1938)で、1927年6月29日にメキシコのハリスコ州サン・セバスチャンで採取している。
ヒントン(Hinton,George Boole 1882-1943)より一回り年長だが、彼女が51歳の時から植物学の世界に入ってきているのでヒントンとの共通点もあり、この点でも興味をそそられる人物でもある。
この「メキシコのサルビアとプラントハンター物語」の最終章は、このサルビアの命名者エプリング(Epling, Carl Clawson 1894-1968)か、メキシアのどちらかにしようと思い始めた。
一方、ヒントンがこのサルビアを採取したのは、1939年10月4日で、ミチョアカン州のCoalcománで採取している。
しかし、フンボルトとボンプランが先に発見して1818年にクンチ(Kunth ,Karl(Carl) Sigismund 1788-1850)によって「Salvia lavanduloides Kunth (1818)」と命名されていたのでこちらが正式な学名となる。種小名の “lavanduloides”は、“ラベンダーのような ”を意味する。
(写真)Salvia lavanduloides Kunth (1818).
(出典)Flicker.com
2.Salvia albiflora M. Martens & Galeotti(1844)サルビア・アルビフローラ
「サルビア・アルビフローラ」は、草丈1.5mで、葉は披針形という竹の葉のように平たくて細長く先のほうが尖っている形をしていて、10-25cmの花序を伸ばし、白い花をつける。と書かれている。しかし、実物の写真は見当たらない。
種小名の“albiflora”は、“白い花”を意味し、例えてみると、「Salvia officinalis "Albiflora"」のような姿をしているのだろう。
(写真)Salvia officinalis "Albiflora"
(出典)Flickr.com
このサルビアを最初に発見したのは、ベルギーのプラントハンター、ガレオッティ(Galeotti, Henri Guillaume 1814-1858)で、1840年6月にメキシコのベラクルーズで採取している。
ガレオッティに関しては、ここを参照。
ヒントンは、100年後の1938年7月22日にミチョアカン州シタクアロでこのサルビアを採取している。
3.Salvia albocaerulea Linden (1857) サルビア・アルボカエルレア
(出典)meemelink.com
この植物画は、ベルギーの園芸家・園芸誌編集者・プラントハンターのLouis van Houtte (1810-1876)が創刊した園芸誌“Flore des serres et des Jardins de l'Europe”の1858年13巻に掲載した「Salvia albocaerulea」で、この雑誌には1845-1883年までの間に2000枚以上の植物画が描かれたという。
Salvia albocaerulea は、 “No30:プリングルが採取したサルビア その12”にも記載したが、この植物画のとおりであるならば、なかなか素晴らしいサルビアだと思う。
ヒントンはこのサルビアを1932年から1938年までに多数採取しているが、彼以前にはプリングルだけしか採取記録が残っていない。
Louis van Houtteは、ベルギーでナーサリー(育種園)を経営し、ランや海外の珍しい植物をヨーロッパ中の顧客に販売して成功を収めているが、若いころはブラジルにプラントハンターとして探検を行っている。
彼が、このサルビアをどこで手に入れたかが謎だが、1845年から中南米にランや珍しい植物を集めるためにプラントハンターを送り出した実績があるので、このプラントハンターが集めてきたものか、或いは、似たような経歴を持つベルギーの園芸家・プラントハンターのリンデン(Linden, Jean Jules 1817-1898)が1857年に「Salvia albocaerulea」と命名していることからして、リンデン達から手に入れたという可能性も否定できない。
しかし、実写が見つからなかったことから、現存してないサルビアのようだ。
4.Salvia angustifolia Michx.(1803) サルビア・アングスティフォリア
サルビア・アングスティフォリアはいくつもの顔を持つ。ということは、似て非なるものに同じ名前をつけてしまった歴史がある。
種小名の“angustifolia”は、“ラベンダーのような尖った細長い葉も持つ”という意味を持ち、唯一見つかった植物の姿は、オランダの植物学者・アーティストのAbraham Munting(1626-1683)が描いた「Salvia Angustifolia Cretica」だった。
確かに、ラベンダーのような感じがする。
(写真)Salvia Angustifolia Cretica
(出典)philographikon.com
画:Abraham Munting作
ヒントンが1932年8月にメヒコ州テマスカルテペックで採取した「Salvia angustifolia」は、1803年にフランスのプラントハンター、ミッショー(Michaux, André 1746-1803)が命名者となっているが、今では、サルビア・アズレア「Salvia azurea Michx. ex Vahl, Enum.(1804)」のことを指す。
葉は確かに細長いが、花は異なる。
(写真)サルビア・アズレア Salvia azurea
(出典)モノトーンでのときめき
このサルビア・アズレアは大好きなサルビアのひとつで、命名者ミッショー、これから登場する英国キューガーデンのプラントハンター第一号フランシス・マッソン、セッセ探検隊など花も人物もそろってしまった感がある。
ミッショーが命名したチョット前に、スペインの植物学者カバニレス(Cavanilles, Antonio José 1745-1804)が「Salvia angustifolia Cav.(1797)」を命名している。
カバニレスは、メキシコ原産のダリアを1791年にヨーロッパで始めて開花させた人物であり、1801年からはマドリッド王立ガーデンの初代教授オルテガ(Ortega, Casimiro Gómez de 1740-1818)の後を引き継いで園長となる。
この「Salvia angustifolia Cav.(1797)」と命名した植物は、セッセ探検隊(1787-1803年)がメキシコで採取し、スペインに送ったものなのだろう?
しかし、カバニレスが命名した「Salvia angustifolia」は、いまでは、サルビア・レプタンス「Salvia reptans.Jacq.(1798)」と呼ばれている。
(写真)サルビア・レプタンス Salvia reptans.
(出典)モノトーンでのときめき
ビジュアルで比較できる時代になると、確かに違いが良くわかり別種であると気づくが、1800年前後のころは乾燥した標本と記述された特徴で分類していただろうから違いが良くわからなかったのだろう。
ちなみに、命名者ジャカンは、1755-1759年に、ウィーンのシェーンブルン宮殿ガーデンのために西インド諸島・中央アメリカにプラントハンティングに行ったので、カバニレスとの違いである“百聞は一見にしかず”が出てしまったのかもわからない。
三番目の「Salvia angustifolia Salisb.(1796)」は、英国の植物学者ソールズベリー(Salisbury, Richard Anthony 1761-1829)が1796年に命名したが、よくよく調べると、1789年に命名された「Salvia dentata.Aiton(1789)」だった。
このサルビアを採取したのは、英国キューガーデンから南アフリカケープ植民地に派遣されたフランシス・マッソン(Francis Masson 1741-1805)だった。
(写真)サルビア・デンタータ Salvia dentata
(出典)Robins salvias
全てに共通しているのは、葉がラベンダーのように細長いということであり、1700年代から1800年代初期のヨーロッパの主要国、オランダ、英国、スペイン、フランス、オーストリアがそれぞれの国家の戦略で植物資源を求めて海外に探検隊を派遣した時代でもあった。
それにしても、サルビア・アングスティフォリア(Salvia Angustifolia)はどこに消えてしまったのだろうか?
最も早く記述した、オランダの植物学者・アーティストのAbraham Munting(1626-1683)が描いた「Salvia Angustifolia Cretica」は幻だったのだろうか?
ヒントン(Hinton,George Boole 1882-1943)は、死亡するまでのわずか十数年で16,300品種もの植物をメキシコのゲレーロ州・ミショアカン州・メヒコ州で採取し、その中には300以上の新種と4つの新しい属が含まれていたという。
植物採取で生計を立てるプロのプラントハンターとなったのが1936年でヒントン54歳の時だったが、キュー植物園、ニューヨーク植物園、ハーバード大学、ミズリー大学などを顧客としていた。
ここには、ヒントンが採取した植物が保管・記録されており、ミズリー大学では、13192種類の標本があり、その中には356種ものサルビアが含まれている。
これまで取り上げなかったメキシコのサルビアを可能な限り調べていくことにする。
1. Salvia agnes Epling (1938) サルビア・アグネス
(出典)Flicker.com
サルビア・アグネスは、コンパクトなサルビアで8月から霜が降りるころまで、ブルーの小さな花を多数咲かせる。
このサルビア・アグネス(Salvia agnes)の最初の発見者は、メキシコの政治家を祖父に持つ米国の女性探険家・植物学者メキシア(Mexia, Ynes Enriquetta Julietta1870-1938)で、1927年6月29日にメキシコのハリスコ州サン・セバスチャンで採取している。
ヒントン(Hinton,George Boole 1882-1943)より一回り年長だが、彼女が51歳の時から植物学の世界に入ってきているのでヒントンとの共通点もあり、この点でも興味をそそられる人物でもある。
この「メキシコのサルビアとプラントハンター物語」の最終章は、このサルビアの命名者エプリング(Epling, Carl Clawson 1894-1968)か、メキシアのどちらかにしようと思い始めた。
一方、ヒントンがこのサルビアを採取したのは、1939年10月4日で、ミチョアカン州のCoalcománで採取している。
しかし、フンボルトとボンプランが先に発見して1818年にクンチ(Kunth ,Karl(Carl) Sigismund 1788-1850)によって「Salvia lavanduloides Kunth (1818)」と命名されていたのでこちらが正式な学名となる。種小名の “lavanduloides”は、“ラベンダーのような ”を意味する。
(写真)Salvia lavanduloides Kunth (1818).
(出典)Flicker.com
2.Salvia albiflora M. Martens & Galeotti(1844)サルビア・アルビフローラ
「サルビア・アルビフローラ」は、草丈1.5mで、葉は披針形という竹の葉のように平たくて細長く先のほうが尖っている形をしていて、10-25cmの花序を伸ばし、白い花をつける。と書かれている。しかし、実物の写真は見当たらない。
種小名の“albiflora”は、“白い花”を意味し、例えてみると、「Salvia officinalis "Albiflora"」のような姿をしているのだろう。
(写真)Salvia officinalis "Albiflora"
(出典)Flickr.com
このサルビアを最初に発見したのは、ベルギーのプラントハンター、ガレオッティ(Galeotti, Henri Guillaume 1814-1858)で、1840年6月にメキシコのベラクルーズで採取している。
ガレオッティに関しては、ここを参照。
ヒントンは、100年後の1938年7月22日にミチョアカン州シタクアロでこのサルビアを採取している。
3.Salvia albocaerulea Linden (1857) サルビア・アルボカエルレア
(出典)meemelink.com
この植物画は、ベルギーの園芸家・園芸誌編集者・プラントハンターのLouis van Houtte (1810-1876)が創刊した園芸誌“Flore des serres et des Jardins de l'Europe”の1858年13巻に掲載した「Salvia albocaerulea」で、この雑誌には1845-1883年までの間に2000枚以上の植物画が描かれたという。
Salvia albocaerulea は、 “No30:プリングルが採取したサルビア その12”にも記載したが、この植物画のとおりであるならば、なかなか素晴らしいサルビアだと思う。
ヒントンはこのサルビアを1932年から1938年までに多数採取しているが、彼以前にはプリングルだけしか採取記録が残っていない。
Louis van Houtteは、ベルギーでナーサリー(育種園)を経営し、ランや海外の珍しい植物をヨーロッパ中の顧客に販売して成功を収めているが、若いころはブラジルにプラントハンターとして探検を行っている。
彼が、このサルビアをどこで手に入れたかが謎だが、1845年から中南米にランや珍しい植物を集めるためにプラントハンターを送り出した実績があるので、このプラントハンターが集めてきたものか、或いは、似たような経歴を持つベルギーの園芸家・プラントハンターのリンデン(Linden, Jean Jules 1817-1898)が1857年に「Salvia albocaerulea」と命名していることからして、リンデン達から手に入れたという可能性も否定できない。
しかし、実写が見つからなかったことから、現存してないサルビアのようだ。
4.Salvia angustifolia Michx.(1803) サルビア・アングスティフォリア
サルビア・アングスティフォリアはいくつもの顔を持つ。ということは、似て非なるものに同じ名前をつけてしまった歴史がある。
種小名の“angustifolia”は、“ラベンダーのような尖った細長い葉も持つ”という意味を持ち、唯一見つかった植物の姿は、オランダの植物学者・アーティストのAbraham Munting(1626-1683)が描いた「Salvia Angustifolia Cretica」だった。
確かに、ラベンダーのような感じがする。
(写真)Salvia Angustifolia Cretica
(出典)philographikon.com
画:Abraham Munting作
ヒントンが1932年8月にメヒコ州テマスカルテペックで採取した「Salvia angustifolia」は、1803年にフランスのプラントハンター、ミッショー(Michaux, André 1746-1803)が命名者となっているが、今では、サルビア・アズレア「Salvia azurea Michx. ex Vahl, Enum.(1804)」のことを指す。
葉は確かに細長いが、花は異なる。
(写真)サルビア・アズレア Salvia azurea
(出典)モノトーンでのときめき
このサルビア・アズレアは大好きなサルビアのひとつで、命名者ミッショー、これから登場する英国キューガーデンのプラントハンター第一号フランシス・マッソン、セッセ探検隊など花も人物もそろってしまった感がある。
ミッショーが命名したチョット前に、スペインの植物学者カバニレス(Cavanilles, Antonio José 1745-1804)が「Salvia angustifolia Cav.(1797)」を命名している。
カバニレスは、メキシコ原産のダリアを1791年にヨーロッパで始めて開花させた人物であり、1801年からはマドリッド王立ガーデンの初代教授オルテガ(Ortega, Casimiro Gómez de 1740-1818)の後を引き継いで園長となる。
この「Salvia angustifolia Cav.(1797)」と命名した植物は、セッセ探検隊(1787-1803年)がメキシコで採取し、スペインに送ったものなのだろう?
しかし、カバニレスが命名した「Salvia angustifolia」は、いまでは、サルビア・レプタンス「Salvia reptans.Jacq.(1798)」と呼ばれている。
(写真)サルビア・レプタンス Salvia reptans.
(出典)モノトーンでのときめき
ビジュアルで比較できる時代になると、確かに違いが良くわかり別種であると気づくが、1800年前後のころは乾燥した標本と記述された特徴で分類していただろうから違いが良くわからなかったのだろう。
ちなみに、命名者ジャカンは、1755-1759年に、ウィーンのシェーンブルン宮殿ガーデンのために西インド諸島・中央アメリカにプラントハンティングに行ったので、カバニレスとの違いである“百聞は一見にしかず”が出てしまったのかもわからない。
三番目の「Salvia angustifolia Salisb.(1796)」は、英国の植物学者ソールズベリー(Salisbury, Richard Anthony 1761-1829)が1796年に命名したが、よくよく調べると、1789年に命名された「Salvia dentata.Aiton(1789)」だった。
このサルビアを採取したのは、英国キューガーデンから南アフリカケープ植民地に派遣されたフランシス・マッソン(Francis Masson 1741-1805)だった。
(写真)サルビア・デンタータ Salvia dentata
(出典)Robins salvias
全てに共通しているのは、葉がラベンダーのように細長いということであり、1700年代から1800年代初期のヨーロッパの主要国、オランダ、英国、スペイン、フランス、オーストリアがそれぞれの国家の戦略で植物資源を求めて海外に探検隊を派遣した時代でもあった。
それにしても、サルビア・アングスティフォリア(Salvia Angustifolia)はどこに消えてしまったのだろうか?
最も早く記述した、オランダの植物学者・アーティストのAbraham Munting(1626-1683)が描いた「Salvia Angustifolia Cretica」は幻だったのだろうか?