3月14日の午後には、店から乾電池が消えた。
乾電池だけでなく、トイレットペーパー、水、パン、インスタントラーメン、米などもなくなった。
緊急時での生活必需品がこれでよくわかる。これにラジオが追加されると最低限の生活が出来る。
豊かさにおごってきた生活を見直すと、実にシンプルな生活必需品が見えてくる。
今回の地震の被災者・関係する方々には心からお見舞いを申し上げたい。
この先どうすればよいのかと思い悩むことも出来ないぐらいの大惨事だと思うが、少しずつ明日を考えるようになって欲しい。
その原動力は、“思いやり”“助け合い”“感謝”なのかもわからない。
自分ひとりではなく、ヒトとヒトがいる社会が成り立ってきた最低限のルールなのかもわからない。
被災地以外では、家族を守らんがための過剰な買占めが起こりかねない。
東京電力の計画停電が発表された翌日の午後には、多くの店から乾電池が消え、電気が使えないことによる代替食料品が消えた。
一人一人が、いま必要でなくてもつい余分に買ってしまうところが累積すると、モノが消えることになる。このモノが消えた現実を目の当たりにすると、防衛本能を刺激するのか、遅れてはいけないと過剰な買占めが起こりかねない。
いまの社会は、家庭に余分な備蓄を持たないで暮らせるように、生産・流通され小売店に商品が届いている。
ちょっと我慢すると欲しいものが手に入る仕組みが出来上がっている。
この仕組みを破壊するのが、大分先に消費する商品を余分に買う“過剰”さにある。
1970年代に起きたオイルショックでいまの60歳以上の方は馬鹿なことをしたと経験済みのはずだが、経験していない人が増えている。
でも、こんな過剰な買占めは、お勧めしたいものだ。
被災地の実家に戻る若者に、炊き立てのご飯でおにぎりを作り、(手が痙攣するくらい握ったそうです。)車につめるだけの水を持たせてやった“思いやり”は、許されてよいと思う。
わが家族を守るためだけに、いつ使うかわからないほどの量を買うのは慎みたいものだ。
“思いやり”も“助け合い”もなく、守ったはずの家族に“感謝”すらされないことになりかねない。
いま教えられることは、“我慢”“辛抱”であり、この期を逃すと“思いやり”“助け合い”がわからないことになってしまう。
電気の消費量を抑えるための薄暗い店は、まるでモノがない倉庫のようでもあったが、人の心から消えていった大切な気持ちを表わしていたのだろう。
乾電池だけでなく、トイレットペーパー、水、パン、インスタントラーメン、米などもなくなった。
緊急時での生活必需品がこれでよくわかる。これにラジオが追加されると最低限の生活が出来る。
豊かさにおごってきた生活を見直すと、実にシンプルな生活必需品が見えてくる。
今回の地震の被災者・関係する方々には心からお見舞いを申し上げたい。
この先どうすればよいのかと思い悩むことも出来ないぐらいの大惨事だと思うが、少しずつ明日を考えるようになって欲しい。
その原動力は、“思いやり”“助け合い”“感謝”なのかもわからない。
自分ひとりではなく、ヒトとヒトがいる社会が成り立ってきた最低限のルールなのかもわからない。
被災地以外では、家族を守らんがための過剰な買占めが起こりかねない。
東京電力の計画停電が発表された翌日の午後には、多くの店から乾電池が消え、電気が使えないことによる代替食料品が消えた。
一人一人が、いま必要でなくてもつい余分に買ってしまうところが累積すると、モノが消えることになる。このモノが消えた現実を目の当たりにすると、防衛本能を刺激するのか、遅れてはいけないと過剰な買占めが起こりかねない。
いまの社会は、家庭に余分な備蓄を持たないで暮らせるように、生産・流通され小売店に商品が届いている。
ちょっと我慢すると欲しいものが手に入る仕組みが出来上がっている。
この仕組みを破壊するのが、大分先に消費する商品を余分に買う“過剰”さにある。
1970年代に起きたオイルショックでいまの60歳以上の方は馬鹿なことをしたと経験済みのはずだが、経験していない人が増えている。
でも、こんな過剰な買占めは、お勧めしたいものだ。
被災地の実家に戻る若者に、炊き立てのご飯でおにぎりを作り、(手が痙攣するくらい握ったそうです。)車につめるだけの水を持たせてやった“思いやり”は、許されてよいと思う。
わが家族を守るためだけに、いつ使うかわからないほどの量を買うのは慎みたいものだ。
“思いやり”も“助け合い”もなく、守ったはずの家族に“感謝”すらされないことになりかねない。
いま教えられることは、“我慢”“辛抱”であり、この期を逃すと“思いやり”“助け合い”がわからないことになってしまう。
電気の消費量を抑えるための薄暗い店は、まるでモノがない倉庫のようでもあったが、人の心から消えていった大切な気持ちを表わしていたのだろう。
松谷(まつや、又はまつたに)東風だと思いますが、まつやで会ったので駄洒落でしょうか?
阪神大震災の前日に転勤で引っ越した人が、荷解きしていない中でピアノの横に寝ていたら、ピアノが体の上を飛んでその間に寝ていたそうですが、それを超えたのだから想像もつきません。
大変でしょうが多くの日本人が応援するでしょうから辛抱してください。
そうあってほしいと思います。
それにしても、便利という靴がなくなり裸足になると地面の痛みを感じますね。
計画停電で水道も止まるようなので、大きな水入れを調達してきました。
昔はタライというものがあり、金魚を泳がしたり大は小を兼ねいろいろ使えましたね。
何か、泥縄の生活、つぎはぎだらけの生活を実感しています。
地震の規模が想像もつかず、制御不能の原発も心配です。
こころ静かに、やれることを着実にこなしていきます。
石原知事が、天罰という言葉をつかいましたが、行き過ぎた文明に対してと私は受け止めました。スカイツリーもそのうち半分の高さにされる気がします。
バスも電車も動かないので、水戸市街地まで往復4時間あるきました。足の痛みも心地よいです。
なんて気取ってますが、実は結構落ち込んでます〓