モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

パンジー(Pansy)の花

2009-01-13 08:40:57 | その他のハーブ

ビオラ、スイート・バイオレットときたのでパンジーもふれない訳には行かない。しかし、これまで一度もパンジーを育てたことがない。
そこで、散歩をかねてハーブ園に行き新しいハーブを物色しがてらパンジーの写真を撮ってきた。
写真を見るとなかなか良さそうだが、どうも好きになれない。
“我思う。ゆえに我あり。”的な思索的なところが嫌なのだろうか? 
或いは、ダンボウの耳のように大柄でシャキッとしていない花がいやなのだろうか?
個人的な好き嫌いはとりあえずおいておいて、パンジーの開発の歴史は意外性があって面白い。というところから始めるとする。

(写真)どうしても人の顔に見えてしまうパンジー(人面草とも呼ばれる)


パンジーの新種開発の歴史
園芸品種パンジーの開発は、バラと同じ1800年代初期から始まり、
その両親は、ビオラ・トリカラー(Viola.tricolor)とスミレ属の一種で黄金色の花を咲かせるビオラ・ルテア(V.lutea)この二つの交配で出来たといわれる。
当然、トリカラーはフランスの国旗トリコロールのような三色を意味する。

この開発は、1813年にイギリス・バッキンガムシアーの庭園で始まるが、
青紫のビオラ・トリカラーはロシア原産で、 黄色のビオラ・ルテアは、ナポレオン没落後(1814年以降)マルメゾン庭園のビオラが英国に流れてきたようだ。というよりは戦利品として意図的に持って来たのだろう。

ここでもジョゼフィーヌが登場するが、バラだけでなくヒース、バイオレットなども世界中から集め、この集積が素晴らしかったので品種改良のマザーとなったのだろう。
徹するということは、中途半端でないだけに膨大な無駄がどこかを境に価値を生み出す大転換があるということを教えてくれる。

1813年に始まったこのパンジーの開発は、意外性からスタートした。
イギリス海軍の提督ガンビア卿(Lord Gambier 1756-1833)は、退却命令が出ているのにスウェーデン・コペンハーゲンを攻撃した。
この責任で海軍をクビとなったが、離職後、趣味の園芸に余生を専念し、イングランド・バッキンガムシアーの庭園で出入りの庭師トムソン(William Thompson)にバイオレットの改良を命じた。
トムソンは以後30年以上にわたり品種改良を行い、1835年には『ショー・パンジー(Show pansy)』と呼ばれる品種を400以上も販売したという。

1839年には、庭園のヒースの垣根の下で咲いている大きな花びらの変り種のパンジーを発見した。
花弁の付け根(花の中央)に黒い斑点がありヒゲのようでもあり、これに「Medora」と名付け、この花を改良して現在のパンジーへとつながるものを作り上げた。
現代のパンジーがここに誕生し、急速にヨーロッパに広がっていき、フランス、ドイツでも品種改良が進んだ。

1860年頃にファンシーパンジー(Fancy Pansy)或いはベルギー・パンジーと呼ばれる種類が登場した。
パンジーといえば左右対称の色・デザインだったが、ファンシーパンジーは左右対称とはならない。これが人気になり、パンジーに取り込まれパンジーの概念が広がった。

園芸品種のビオラは丁度この頃から登場する。
背丈が低くパンジーよりも小さな花へのニーズが庭の花としてあった。
ビオラは、パンジーの園芸品種開発が生み出した流れに乗って登場し、パンジーとは正反対のニーズにこたえた花でもある。
大型車に向かったビッグスリーが今小型車を求められている。
一方向に進んだニーズはその逆のニーズで立ち止まって考えざるを得ない時がくる。パンジーにもこんな時がくるのだろうか?

日本でのパンジーの品種改良
“F1”は、自動車レースではなく、両親のいいところだけをとった雑種1代だけの園芸品種を指し、ビオラなどの園芸商品に使われている。
この技術開発は日本でなされ、1966年、坂田種苗が世界初のF1パンジー、マジェスティック・ジャイアント(Majestic Giant)をつくった。

日本は、バラの世界でも、パンジーでも第二次世界大戦後に品種改良で世界水準をキャッチアップできるようになったが、この後れには西洋と日本の自然観の違いがありそうで、いづれこのことをリサーチするテーマとして温めておきたい。
問題意識としては、うめ、サクラなどはかなり品種改良されたが、バラ、スミレ、ユリなどはあまりされていない。西洋と日本とのギャップは何だろう?
これが疑問として残る。

(写真)色変わりパンジーの花


パンジー(Pansy)のプランツデーター
・スミレ科ビオラ属の1・2年草で、ヨーロッパ原産の野生種からつくられた園芸品種。
・パンジーの両親はビオラ・トリカラー(V.tricolor)とスミレ属の一種で黄金色の花を咲かせるビオラ・ルテア(V.lutea)。この二つの種がイギリスで交配されて出来たといわれる。
・学名は、Viola ×wittrockiana Gams。英名はガーデンパンジー(Garden pansy),和名はサンシキスミレ。和名のサンシキは一花に三色をもつことから来た。別名ジンメンソウ(人面草、花に人の面影があるから)。
・属名のViolaは紫色という意味を持ったラテン語。種小名の“wittrockiana”は、パンジーの歴史を書いたスウェーデンの植物学者ウィトロック(Veit Brecher Wittrock 1839 -1914)を意味し彼に献じられた。
・ドイツでは、5枚の花弁のうち上の二枚の単色な花弁を地味なドレスをきた継子に、色のついた三枚の花弁を派手なドレスを着た継母とその連れ子に見立てている。なかなか的をついたジョークだ。
・フランス、ベルギーでは花形とブロッチが改良されて1890年にFancy pansyが英国で完成した。

・形態:草丈10-30cm、株張り25-30cm、
・開花期:10-5月まで開花し、紫・青・黄・赤・オレンジなど多彩な色彩で花びらは5枚。
・本来は多年草だが園芸上は秋播きの1年草としている。
・栽培の適温は4-15℃で、15℃以上になると生育が徒長となる。
・有機質の土壌を好み、多肥がよい。

資料:ガーデンパンジー成立に関与した原種
①ビオラ・トリカラー(Viola tricolor)
・学名:Viola tricolor L. 1753 命名者:リンネ
・原産地:欧州耕作地、バルチック海沿岸、バルカン半島、ウクライナ
・花色:青紫まれに黄色
・花径:1-2.5cm
・開花期:春から夏
・1年草、短命の多年草
 
(出典)Wikipedia
 ※Wikipediaから戻る場合は、ブラウザー左上のバックボタン ← で戻る

②ビオラ・ルテア(Viola lutea)
・Viola lutea Huds.1762 、命名者: Hudson, William (1730-1793)
・原産地:欧州西部、スイス、英国山間部、欧州中部山地
・花色:黄に紫のかげり
・花径:1-2.5cm
・開花期:6-8月
・多年草
 
(出典)Wikipedia

③ビオラ・コルヌータ(Viola cornuta)
・学名:Viola cornuta L.1763 命名者:リンネ
・原産地:ピレネー山脈
・花色:紫・碧・白
・花径:2-3cm
・開花期:夏
・多年草
 
(出典)Wikipedia

④ビオラ・カルカラータ(Violet calcarata)
・学名:Viola calcarata L.1753 命名者:リンネ
・原産地:アルプス、ジュラ山脈
・花色:紫または黄
・花径:2-4cm
・開花期:3-7月
・多年草
 
(出典)Wikipedia

⑤ビオラ・アルタイカ(Viola altaica)
・学名:Viola altaica Ker Gawl.(1815) 命名者:Ker Gawler, John Bellenden (1764-1842)
・原産地:天山。アルタイ山脈
・花色:黄または紫
・花径:2-3.5cm
・開花期:6-8月
・多年草
 
(出典)Wikipedia

⑥ビオラ・グラキリス(Viola gracilis)
・学名:Viola gracilis Biv.  命名者:Bivona-Bernardi, Antonius de (1774-1837)
・原産地:ギリシャ、バルカン半島
・花色:紫、変種に黄
・花径:2-2.5cm
・開花期:春
・多年草
 
(出典)Wikipedia

コメント    この記事についてブログを書く
« スイート・バイオレット(Swe... | トップ | すみれ(菫)の花 »

コメントを投稿

その他のハーブ」カテゴリの最新記事