ブロック塀に密着するように植えた覚えのない植物が花を咲かせていた。
(写真)枯れた芝草をかき分けたらこんな植物が出現
風で飛んできた種がブロック塀にぶっかり落下して定着したのだろうか?
ブロック塀に止まった鳥が糞をし、未消化の種から芽が出たのだろうか?
人間がかかわったらこんな隅っこには植えないはずなので謎解きの有力な切り口はこの二つとなる。
それにしても、この植物は何という名前なのだろうか?
花の色・形、葉の形状などを頼りに植物図鑑で調べたら
南アフリカ・東ケープ原産のツルバギア・ビオラセアのようだ。
植物の生態に疎い飲み友にこの話をしたら、
五反田にあるケニア料理店『マシューコウズバッファローカフェ』に1ヶ月前頃に一緒に行ったので、それで服に種がついてきたのでは?
という大胆な仮説をおっしゃっていました。
ケニアも南アフリカもアフリカに変わりがないし、1ヶ月でこんなに大きくならないことはないし、春だから目くじらを立てるのは止めにしました。
ツルバギアは、開花期間が長く、スレンダーな立ち姿が美しいのでハーブガーデンの植物として近年人気が出てきているという。
また、ハーブとしての効用があるようであり、過去には咳・風邪・肺結核の薬として使用され、又は、腸内寄生虫の駆除にも使用されてきたという。
最近では、食道癌・高血圧治療薬としての可能性が研究されているようだ。
ニンニク、ニラ系の匂いがある植物なので、抗菌効果はあるのだろう!
南アフリカでツルバギア・ビオラセアを採取したプラントハンターは?
ツルバギア・ビオラセア(Tulbaghia violacea Harv.1837 )は、1837年にアイルランドの植物学者&プラントハンターのウィリアム・ヘンリー・ハーヴィー(Harvey, William Henry 1811-1866)によって命名され、カーティスの『Botanical Magazine』で発表された。
この植物を採取したプラントハンターが誰かは明確でないが、
命名された1837年以前に原産地の南アフリカケープ地方にいて植物採集を行っていた人物ということになるが、該当する人物として2名ほど候補がいる。
採取者の有力候補は、命名者のハーヴィー(Harvey, William Henry 1811-1866)、 及び、南アフリカの植物地理学の父と呼ばれるヨハン・フランツ・ドレージュ(Johann Franz Drège 1794-1881)の二名だ。
(写真)ハーヴィー(Harvey, William Henry 1811-1866)
命名者のハーヴィーは、15歳ですでに藻類・コケ類に興味を持ち、彼が24歳の時の1835年に兄のジョセフと南アフリカに渡り、財務・会計的な植民地管理の仕事を行なった。
翌年の1836年ジョセフの死後、兄の職責を引き継ぎ1842年まで南アフリカに留まり、仕事以外の時間は朝から夜遅くまで植物採集とその標本作りに没頭した。
この間に収集した植物標本をもとにオットー・ゾンダー(Otto Wilhelm Sonder)と共に『ケープ植物誌』("Flora Capensis")を執筆するが出版されたのはハーヴィーの没後だった。
こんな人物なのでツルバギア・ビオラセア (Tulbaghia violacea)を採取し、自ら命名した最有力候補となりそうだ。
二番目の有力な採取者は、ユグノー教徒でドイツに移住したヨハン・フランツ・ドレージュ(Johann Franz Drège 1794-1881)だ。
(写真)ドレージュ(Johann Franz Drège 1794-1881)
ケープタウンの薬局で働いているドレージュの兄のところに1826年に弟と共に旅行し、兄は動物、ドレージュは植物を採取するプロのコレクターとなった。
ドレージュは、1826年8月からケープタウン周辺からプラントハンティングを開始しているので、この時に採取している可能性がある。
また、1840年には南アフリカで同属のTulbaghia violacea var. robustiorを採取した記録があるので、採取していないはずはなさそうだ。
(写真)Tulbaghia violacea var. robustior
(出典)Tulbaghia.com
プロのプラントハンターとしてのドレージュ、後にダブリンのトリニティカレッジ大学の植物学教授となったハーヴィー、どちらが最初に採取したのだろう?
(写真)ツルバギア・ビオラセアの花
ツルバギア・ビオラセア(Tulbaghia violacea)
・ネギ科ツルバキア属の球根または宿根多年草。球根と宿根の中間的な植物。球根を掘り上げ乾燥貯蔵もできる。
・学名は、ツルバギア・ビオラセア(Tulbaghia violacea Harv.1837 )。英名はwild garlic, society garlic。野生のニンニク。
・属名のツルバギア(Tulbaghia)は、オランダ東インド会社のケープ植民地総督でリンネに南アフリカの植物標本を200種以上送ったRyk Tulbagh (1699-1771、南アフリカ在住期間1717~1771年、ケープ植民地総督期間1751~1771年)に献じて名づけられた。種小名のビオラセア(violacea)は“菫色、スミレ色”を意味する。
・和名はルリフタモジ(瑠璃二文字)。茎、葉を折るとニンニク或いはニラの匂いがするところからつけられた。が、これではわからない。奈良時代720年に完成した日本書紀では、ネギを“岐(き)”と書き、ニラは“爾良(にら)”と書く。つまりネギは“一文字”、ニラは“二文字”なので、ルリフタモジ(瑠璃二文字)は、瑠璃色をした花が咲き、ニラの匂いがする植物を意味する。
・原産地は、南アフリカ、東ケープ地方に自生。
・草丈30~50㎝、
・葉は根元から生える緑色の線形肉厚、折るとニンニクの臭いがする。
・花は茎の先にいくつかの枝がでてその先に花が一つつく散形花序。
・花色は、紫色で花弁は6枚、花冠は無し。
・開花期は、4月~10月頃までと長く楽しめるという。
(写真)枯れた芝草をかき分けたらこんな植物が出現
風で飛んできた種がブロック塀にぶっかり落下して定着したのだろうか?
ブロック塀に止まった鳥が糞をし、未消化の種から芽が出たのだろうか?
人間がかかわったらこんな隅っこには植えないはずなので謎解きの有力な切り口はこの二つとなる。
それにしても、この植物は何という名前なのだろうか?
花の色・形、葉の形状などを頼りに植物図鑑で調べたら
南アフリカ・東ケープ原産のツルバギア・ビオラセアのようだ。
植物の生態に疎い飲み友にこの話をしたら、
五反田にあるケニア料理店『マシューコウズバッファローカフェ』に1ヶ月前頃に一緒に行ったので、それで服に種がついてきたのでは?
という大胆な仮説をおっしゃっていました。
ケニアも南アフリカもアフリカに変わりがないし、1ヶ月でこんなに大きくならないことはないし、春だから目くじらを立てるのは止めにしました。
ツルバギアは、開花期間が長く、スレンダーな立ち姿が美しいのでハーブガーデンの植物として近年人気が出てきているという。
また、ハーブとしての効用があるようであり、過去には咳・風邪・肺結核の薬として使用され、又は、腸内寄生虫の駆除にも使用されてきたという。
最近では、食道癌・高血圧治療薬としての可能性が研究されているようだ。
ニンニク、ニラ系の匂いがある植物なので、抗菌効果はあるのだろう!
南アフリカでツルバギア・ビオラセアを採取したプラントハンターは?
ツルバギア・ビオラセア(Tulbaghia violacea Harv.1837 )は、1837年にアイルランドの植物学者&プラントハンターのウィリアム・ヘンリー・ハーヴィー(Harvey, William Henry 1811-1866)によって命名され、カーティスの『Botanical Magazine』で発表された。
この植物を採取したプラントハンターが誰かは明確でないが、
命名された1837年以前に原産地の南アフリカケープ地方にいて植物採集を行っていた人物ということになるが、該当する人物として2名ほど候補がいる。
採取者の有力候補は、命名者のハーヴィー(Harvey, William Henry 1811-1866)、 及び、南アフリカの植物地理学の父と呼ばれるヨハン・フランツ・ドレージュ(Johann Franz Drège 1794-1881)の二名だ。
(写真)ハーヴィー(Harvey, William Henry 1811-1866)
命名者のハーヴィーは、15歳ですでに藻類・コケ類に興味を持ち、彼が24歳の時の1835年に兄のジョセフと南アフリカに渡り、財務・会計的な植民地管理の仕事を行なった。
翌年の1836年ジョセフの死後、兄の職責を引き継ぎ1842年まで南アフリカに留まり、仕事以外の時間は朝から夜遅くまで植物採集とその標本作りに没頭した。
この間に収集した植物標本をもとにオットー・ゾンダー(Otto Wilhelm Sonder)と共に『ケープ植物誌』("Flora Capensis")を執筆するが出版されたのはハーヴィーの没後だった。
こんな人物なのでツルバギア・ビオラセア (Tulbaghia violacea)を採取し、自ら命名した最有力候補となりそうだ。
二番目の有力な採取者は、ユグノー教徒でドイツに移住したヨハン・フランツ・ドレージュ(Johann Franz Drège 1794-1881)だ。
(写真)ドレージュ(Johann Franz Drège 1794-1881)
ケープタウンの薬局で働いているドレージュの兄のところに1826年に弟と共に旅行し、兄は動物、ドレージュは植物を採取するプロのコレクターとなった。
ドレージュは、1826年8月からケープタウン周辺からプラントハンティングを開始しているので、この時に採取している可能性がある。
また、1840年には南アフリカで同属のTulbaghia violacea var. robustiorを採取した記録があるので、採取していないはずはなさそうだ。
(写真)Tulbaghia violacea var. robustior
(出典)Tulbaghia.com
プロのプラントハンターとしてのドレージュ、後にダブリンのトリニティカレッジ大学の植物学教授となったハーヴィー、どちらが最初に採取したのだろう?
(写真)ツルバギア・ビオラセアの花
ツルバギア・ビオラセア(Tulbaghia violacea)
・ネギ科ツルバキア属の球根または宿根多年草。球根と宿根の中間的な植物。球根を掘り上げ乾燥貯蔵もできる。
・学名は、ツルバギア・ビオラセア(Tulbaghia violacea Harv.1837 )。英名はwild garlic, society garlic。野生のニンニク。
・属名のツルバギア(Tulbaghia)は、オランダ東インド会社のケープ植民地総督でリンネに南アフリカの植物標本を200種以上送ったRyk Tulbagh (1699-1771、南アフリカ在住期間1717~1771年、ケープ植民地総督期間1751~1771年)に献じて名づけられた。種小名のビオラセア(violacea)は“菫色、スミレ色”を意味する。
・和名はルリフタモジ(瑠璃二文字)。茎、葉を折るとニンニク或いはニラの匂いがするところからつけられた。が、これではわからない。奈良時代720年に完成した日本書紀では、ネギを“岐(き)”と書き、ニラは“爾良(にら)”と書く。つまりネギは“一文字”、ニラは“二文字”なので、ルリフタモジ(瑠璃二文字)は、瑠璃色をした花が咲き、ニラの匂いがする植物を意味する。
・原産地は、南アフリカ、東ケープ地方に自生。
・草丈30~50㎝、
・葉は根元から生える緑色の線形肉厚、折るとニンニクの臭いがする。
・花は茎の先にいくつかの枝がでてその先に花が一つつく散形花序。
・花色は、紫色で花弁は6枚、花冠は無し。
・開花期は、4月~10月頃までと長く楽しめるという。
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