本題に入る前に、久しぶりの雷雨のすごさを!
ズドーンとベースが効いた地響きがするほどのものすごいカミナリが
一晩中続く。
朝5時に鉢の被害を見廻り、直そうと外に出てみるとすでに外は一面の水。
15cmほど増水し排出量を上回る雷雨のものすごさ。
メダカの水をかきだし、鉢の下に敷いたトレーをはずし
危ないものを上に上げていると、全身ずぶぬれになってしまった。
いろんなモノが流れてきたが、6時30分には雨が上がり、あっという間に水が引いた。
この1時間30分の雷雨のものすごさを改めて実感した。
写真を撮る余裕もない早朝の出来事でした。
(写真)つぼみをつけたユリ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/b9/3d1dd442fd9106f204d431a4b4c7ec7e.jpg)
さて
風で飛んできたユリの種が、小さなつぼみをつけた。開花は昨年の場合8月末。
暑さが過ぎるのを待っており、
夏から秋への兆しを感じた瞬間にガードを緩め開花する。
それまでの間、高校野球、オリンピックがあるが
花を見る前にユリというものを愉しむ調味料を探してみよう・・・・
シーボルトが西欧に驚きを持って帰る
日本の生きたユリを西欧に紹介したのはシーボルトであり、
その著作『FLORA JAPONICA』(日本植物誌、第一巻1835年、第二巻1870年出版)には、
カノコユリ、 シロカノコユリ、 ウバユリ、 ノヒメユリ が取り上げられ細密に描かれている。
下絵は、日本の画家 川原慶賀などが描いていることでも知られ、絵も文章も楽しみな文献となっている。
日本のユリが登場するまでの西欧のユリ事情
西欧、古代ローマ人が愛したユリは、マドンナリリーと呼ばれるユリで
世界で最も古くから栽培されてきたカンディドゥム種(Lilium candidum)のユリになる。
原産地はパレスチナとも言われ、栽培は紀元前3000年頃にさかのぼる記録もある。
ローマ人が征服した地域には、野生化したマドンナリリーが咲いているぐらい
ローマ軍とともにヨーロッパに広がったが、
ヨーロッパには、これ以外めぼしいユリがなく、
19世紀に中国・日本から東洋のユリが入ってくるまでユリへの関心は低かった。
しかし、マドンナリリーは、宗教的に聖母マリアを象徴していることに留意しておく必要がある。
西欧の目覚め第一波は中国から
1804年、オニユリが中国からイギリスに送られてきた。
送ったのは、ウィリアム・カー(Kerr William ?-1814)で、
イギリスキュー植物園から1803年に中国に送り込まれたプラントハンターだ。
彼は、オニユリ以外では、ササユリ、アセビ、白色のモッコウバラ、八重のヤマブキ、ナンテン、
シュウカイドウ、イブキなどをキュー植物園に送った。
ササユリ、アセビは日本原産であり、いつしか中国にわたり栽培されていたことになるが、
橙色の花弁に黒褐色の斑点が入ったオニユリは、その姿からタイガー・リリーと呼ばれ、
西欧の人々のユリ観にショックを与えた。
でもこの後、ユリへの関心はまた停滞してしまう。
(雷雨の後始末もあり明日に続く)
<参 考>
シーボルト『FLORA JAPONICA』( Kyoto University Library )
https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b01/image/01/b01s0208.html (カノコユリ)
https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b01/image/01/b01s0209.html (シロカノコユリ)
https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b01/image/01/b01s0210.html (ウバユリ)
https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b01/image/01/b01s0237.html (ノヒメユリ)
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