とあるボタニカルガーデンの温室で「ウコンサンゴバナ」の花を見た。
きれいな黄色の苞から美しい白い花が咲き、「ウコン」の名が冠されていたので、あいまいにしか知らなかった「ウコン」を確認し知る目的で採りあげることにした。
それにしても、黄色の苞、純白の花、ライム色の葉の配色は見事で、こんな配色が着こなせれば素晴らしい。の一言で感嘆する。
(写真)ウコンサンゴバナの花
肝臓の友「ウコン」ってどんな植物?
年末年始の疲れた肝臓を労わるには「ウコン」の力を借りる。というのがビジネスマンの常道になりつつあり、飲み屋に入る前に薬局を見つけ「ウコン」の入ったドリンク剤を立ち飲みするなど肝臓への配慮をするヒトを良く見かける。
専業主婦という職業或いは身分が大幅に減少している最近では、女性にもこの風習が広がり腰に手を当てて一口で飲む姿を垣間見るが、男女平等社会が浸透している象徴と見るか、工業化社会の理想的な家庭像が崩壊に向っていると見るか、悪しき風習が広まっていると見るかいろいろな見方があるが、肝臓を労わるヒトが増えていることは間違いなさそうだ。
この「ウコン」は、東インド地方を原産地とする熱帯・亜熱帯地域でのショウガ科ウコン属の多年草植物で塊根には肝機能を強化するクルクミンが含まれている。
和名では、“鬱金”、“宇金”、“郁金”、“玉金”とも呼ばれ、平安時代に中国から琉球に伝わったときから日本での栽培が始まる。「鬱金」の元の意味は「鮮やかな黄色」を意味するという。
ちなみに「ウコン」の学名は、クルクマ・ロンガ(Curcuma longa L (1753))で、英語名はターメリック (turmeric)といい、カレーに使う香辛料で知られる。
実写よりは植物画のほうがわかりやすいのでこれを掲載する。塊根に価値があるが、観葉植物としても価値がありそうだ。
(植物画) Curcuma longa
(出典) ITM (Institute for Traditional Medicine)
「ウコンサンゴバナ」の発見者
しかし、「ウコンサンゴバナ」と「ウコン(Curcuma longa)」を見較べると全く異なる植物であることがわかる。
「ウコンサンゴバナ」は、キツネノゴマ科に属し、学名パキスタキス・ルチア(Pachystachys lutea Nees (1847))というので全く「ウコン」とは無関係な種であることが明らかで、和名は「ウコン(鬱金)」のように黄色で、「サンゴ(珊瑚)」のように重なり合った苞という見た目からつけられてようだ。
な~んだ。
だが、「ウコンサンゴバナ」を調べていて面白いことにぶつかった。
この「ウコンサンゴバナ」の主な原産地はペルーなので、最初にこの花を発見採取したヨーロッパ人は、英国のマシューズ(Mathews, Andrew 1801-1841)が1835年にペルーで採取したと記録されている。
マシューズは英国のナーサリー、ロッディジーズのGeorge Loddiges (1786–1846)によってハミングバードを採取する目的で南アメリカに派遣され、1841年にプラントハンティングの途上で40歳の若さで死亡した。マシューズが旅したペルー・チリは、スペインからの独立を1820年代に果たしたが、群雄が割拠し主導権争いの内部抗争が激しく内乱状態の危険な時代だった。
誰も行きたくない危険な時・場所こそチャンスがあるというプラントハンターに相通じるものがあるが、彼らを突き動かした情熱は一体なんだったのだろうか?
さらに記録を辿ってみると、18世紀後半 Carlos 三世 時代の1777-1788年に実施された第一回の王立植物探検隊(ペルー、チリ副王国)に遡ることが判明した。
このペルー・チリ探検隊の隊長は、Hipólito Ruiz (1754-1816)で、隊員として植物学者 José Pavón (1754-1840), Juan Tafalla (1755-1811)、画家として José Brunete、Isidro Gálvez、特別な参加者としてフランスの医者で植物学者のJoseph Dombey (1742-1796)が参加した。
メンバーの多くは1788年にスペインに戻ったが、タファリア、ファン・ホセ(Tafalla, Juan José (1755-1811)は現地に残り、ペルーとエクアドルのアンデス山脈を探検した。
採取時期は不明だが、「ウコンサンゴバナ」をペルーで採取したのがタファリアで、200年後の1985年にマドリッドの王立植物園の書庫で彼が記述した未発表の作品を発見したことで明らかになった。
発見者は、エクアドルの医者で植物学者のEduardo Estrella Aguirre (1941-1996)で、後に彼がこの作品『Flora Huayaquilensis』を出版した。
この10年後の1787年に第二回の王立植物探検隊がメキシコ(ニュースペイン副王国)にセッセ(Sessé y Lacasta, Martín 1751-1808)を隊長として出発し、このブログでもシリーズで取り上げたが、この二つの探検隊には帰国後には Carlos 三世の死亡、フランスのナポレオン軍の侵攻などもあり、探検隊の成果報告を公表するという機会を得られず、まとめた原稿・植物画・標本・資料などが秘匿・散逸・流出・紛失するなどの悲劇が待ち構えていた。
やっぱりな~。
こんな歴史をもったペルー原産の美しい花「ウコンサンゴバナ」だが、いまでは観賞用の花として世界に普及し温室で我々を待っている。
この類まれな鮮やかな黄色の苞、純白な白い花、そしてそれを支えるライムグリーンの葉のコンビネーションは実に美しい。
(写真) ウコンサンゴバナ(鬱金珊瑚花)
ウコンサンゴバナ(鬱金珊瑚花)
・ キツネノゴマ科(Acanthaceae、アカンサス科)の熱帯・亜熱帯に生育する常緑の小潅木
・ 学名はパキスタキス・ルチア(Pachystachys lutea Nees (1847))で、1847年にドイツの植物学者ニース(Nees von Esenbeck, Christian Gottfried Daniel 1776-1858)によって命名される。属名の“Pachystachys”は“太い穂”を意味し、種小名の“lutea”は“黄色の”を意味する。
・ 和名は「ウコンサンゴバナ」で、黄色のサンゴのような花からついたのだろう。ちなみに英語では、Lollipop Plant(棒つきキャンディーのような植物) 或いはGolden Shrimp Plant(黄色のエビのような植物)と第一印象から名づけられている。
・ 原産地はメキシコからペルーまでの中南米の熱帯・亜熱帯の低地で高温多湿のところ。
・ 樹高90-120cmで、5-11月に開花する。高温な温室では一年中咲く。
きれいな黄色の苞から美しい白い花が咲き、「ウコン」の名が冠されていたので、あいまいにしか知らなかった「ウコン」を確認し知る目的で採りあげることにした。
それにしても、黄色の苞、純白の花、ライム色の葉の配色は見事で、こんな配色が着こなせれば素晴らしい。の一言で感嘆する。
(写真)ウコンサンゴバナの花
肝臓の友「ウコン」ってどんな植物?
年末年始の疲れた肝臓を労わるには「ウコン」の力を借りる。というのがビジネスマンの常道になりつつあり、飲み屋に入る前に薬局を見つけ「ウコン」の入ったドリンク剤を立ち飲みするなど肝臓への配慮をするヒトを良く見かける。
専業主婦という職業或いは身分が大幅に減少している最近では、女性にもこの風習が広がり腰に手を当てて一口で飲む姿を垣間見るが、男女平等社会が浸透している象徴と見るか、工業化社会の理想的な家庭像が崩壊に向っていると見るか、悪しき風習が広まっていると見るかいろいろな見方があるが、肝臓を労わるヒトが増えていることは間違いなさそうだ。
この「ウコン」は、東インド地方を原産地とする熱帯・亜熱帯地域でのショウガ科ウコン属の多年草植物で塊根には肝機能を強化するクルクミンが含まれている。
和名では、“鬱金”、“宇金”、“郁金”、“玉金”とも呼ばれ、平安時代に中国から琉球に伝わったときから日本での栽培が始まる。「鬱金」の元の意味は「鮮やかな黄色」を意味するという。
ちなみに「ウコン」の学名は、クルクマ・ロンガ(Curcuma longa L (1753))で、英語名はターメリック (turmeric)といい、カレーに使う香辛料で知られる。
実写よりは植物画のほうがわかりやすいのでこれを掲載する。塊根に価値があるが、観葉植物としても価値がありそうだ。
(植物画) Curcuma longa
(出典) ITM (Institute for Traditional Medicine)
「ウコンサンゴバナ」の発見者
しかし、「ウコンサンゴバナ」と「ウコン(Curcuma longa)」を見較べると全く異なる植物であることがわかる。
「ウコンサンゴバナ」は、キツネノゴマ科に属し、学名パキスタキス・ルチア(Pachystachys lutea Nees (1847))というので全く「ウコン」とは無関係な種であることが明らかで、和名は「ウコン(鬱金)」のように黄色で、「サンゴ(珊瑚)」のように重なり合った苞という見た目からつけられてようだ。
な~んだ。
だが、「ウコンサンゴバナ」を調べていて面白いことにぶつかった。
この「ウコンサンゴバナ」の主な原産地はペルーなので、最初にこの花を発見採取したヨーロッパ人は、英国のマシューズ(Mathews, Andrew 1801-1841)が1835年にペルーで採取したと記録されている。
マシューズは英国のナーサリー、ロッディジーズのGeorge Loddiges (1786–1846)によってハミングバードを採取する目的で南アメリカに派遣され、1841年にプラントハンティングの途上で40歳の若さで死亡した。マシューズが旅したペルー・チリは、スペインからの独立を1820年代に果たしたが、群雄が割拠し主導権争いの内部抗争が激しく内乱状態の危険な時代だった。
誰も行きたくない危険な時・場所こそチャンスがあるというプラントハンターに相通じるものがあるが、彼らを突き動かした情熱は一体なんだったのだろうか?
さらに記録を辿ってみると、18世紀後半 Carlos 三世 時代の1777-1788年に実施された第一回の王立植物探検隊(ペルー、チリ副王国)に遡ることが判明した。
このペルー・チリ探検隊の隊長は、Hipólito Ruiz (1754-1816)で、隊員として植物学者 José Pavón (1754-1840), Juan Tafalla (1755-1811)、画家として José Brunete、Isidro Gálvez、特別な参加者としてフランスの医者で植物学者のJoseph Dombey (1742-1796)が参加した。
メンバーの多くは1788年にスペインに戻ったが、タファリア、ファン・ホセ(Tafalla, Juan José (1755-1811)は現地に残り、ペルーとエクアドルのアンデス山脈を探検した。
採取時期は不明だが、「ウコンサンゴバナ」をペルーで採取したのがタファリアで、200年後の1985年にマドリッドの王立植物園の書庫で彼が記述した未発表の作品を発見したことで明らかになった。
発見者は、エクアドルの医者で植物学者のEduardo Estrella Aguirre (1941-1996)で、後に彼がこの作品『Flora Huayaquilensis』を出版した。
この10年後の1787年に第二回の王立植物探検隊がメキシコ(ニュースペイン副王国)にセッセ(Sessé y Lacasta, Martín 1751-1808)を隊長として出発し、このブログでもシリーズで取り上げたが、この二つの探検隊には帰国後には Carlos 三世の死亡、フランスのナポレオン軍の侵攻などもあり、探検隊の成果報告を公表するという機会を得られず、まとめた原稿・植物画・標本・資料などが秘匿・散逸・流出・紛失するなどの悲劇が待ち構えていた。
やっぱりな~。
こんな歴史をもったペルー原産の美しい花「ウコンサンゴバナ」だが、いまでは観賞用の花として世界に普及し温室で我々を待っている。
この類まれな鮮やかな黄色の苞、純白な白い花、そしてそれを支えるライムグリーンの葉のコンビネーションは実に美しい。
(写真) ウコンサンゴバナ(鬱金珊瑚花)
ウコンサンゴバナ(鬱金珊瑚花)
・ キツネノゴマ科(Acanthaceae、アカンサス科)の熱帯・亜熱帯に生育する常緑の小潅木
・ 学名はパキスタキス・ルチア(Pachystachys lutea Nees (1847))で、1847年にドイツの植物学者ニース(Nees von Esenbeck, Christian Gottfried Daniel 1776-1858)によって命名される。属名の“Pachystachys”は“太い穂”を意味し、種小名の“lutea”は“黄色の”を意味する。
・ 和名は「ウコンサンゴバナ」で、黄色のサンゴのような花からついたのだろう。ちなみに英語では、Lollipop Plant(棒つきキャンディーのような植物) 或いはGolden Shrimp Plant(黄色のエビのような植物)と第一印象から名づけられている。
・ 原産地はメキシコからペルーまでの中南米の熱帯・亜熱帯の低地で高温多湿のところ。
・ 樹高90-120cmで、5-11月に開花する。高温な温室では一年中咲く。
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