モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

オリーブ(Olive)の花 と前田正名の志

2009-05-27 09:10:47 | その他のハーブ
(写真)オリーブの花


ちょっとしたオリーブのブームのようだ。
平和を求めてなのか、常緑樹として評価されたのか、理由はわからないが近所でもオリーブの苗木を買ってきて、実がなることを楽しみにしている。

しかしその前に花が咲かなければならないが、去年の新芽の枝に花がつくということと、自家受粉しないので他に花が咲くオリーブがないと果実が出来ない。
近所でたくさんオリーブが育つようになると実がなる可能性が高まるので、ブームはありがたい。

昨年初めて花が咲いたが、果実は出来なかった。
開花後に枝を剪定したので、今年は驚くほどたくさん花が咲き、弾力性がある細い枝がたわむほどだ。
オリーブの花は、あまりにも小さい花で肉眼では良くわからないが、4枚の白い花弁と黄色のしべが一つの花序に50-60個もつき、その花序が無数にあるので、一本の木に一体何個の花が咲くのか、そして果実となった時には・・・と考えると急に眠くなる。

オリーブにふれた男、前田正名
前田正名(まえだまさな1850-1921)は、江戸末期に薩摩藩の漢方医師の家に生まれ、彼が19歳の1869年(明治2年)に和訳英語辞典編纂で知り合いとなった大久保利通、大隈重信の計らいでフランスに留学する。1877年に帰国するがこの時ヨーロッパの植物(草花、果実、野菜)の種・苗を持って帰った。

明治維新の素晴らしさはここにある。つまり、日本開国により未体験の世界に入ったので有為な若者を育てることによって日本が成長するというタネをまいたところにある。明治政府は、当然資源が少ないので、昨今の100年に一度といっている未曾有の経済危機対策としての補正予算のようにバラマクわけにはいかない。しかし何も手を打たないわけにはいかない。前田正名は相当な期待をかけられていたことになる。

帰国後の前田の活躍を簡単に見ると、種苗を持って帰ったので1877年三田育種場長、1879年大蔵省入省、1888年山梨県知事、1889年工務局長・農務局長就任、1890年青年の頃の長崎語学塾同窓生の陸奥宗光が農商務大臣に就任したので農商務次官を辞任し40歳で官界を去る。

この間、前田は日本の殖産興業・地域の活性化をプランニングし、農業の産業化先進国フランスから学んだ日本版を実践もしている。三田育種場長としての育種事業の振興、山梨県知事の時には甲州ブドウ栽培を振興しており今日まで脈々と続いている。

前田の座右の銘は、 『物ごと万事に一歩が大切』ということであり、いつの時代にも通じる含蓄のある言葉だ。
特に、地方の資源の産業化に貢献し失敗もした前田の哲学でもあるようで、彼から我々が学ぶ、未来を透視する重要なキィーワードとなりそうだ。

前田の意思は、北海道阿寒の阿寒前田一歩園として残り、現在は、「財団法人 前田一歩園財団」として自然保護などの社会貢献活動を行っている。
一歩園は、『物ごと万事に一歩が大切』から来ているが、阿寒湖畔の優れた景観に感銘した前田が「この山は伐る山から観る山にすべきである」と言ったところにも景観・自然を保護する財団の出発点がありそうだ。

そして何よりも素晴らしいのは、前田の意思を発見し財団として継承した三代目の前田光子とその家族だろう。遺産相続の争いをすることも無く、家の財産を社会に還元した前田家は素晴らしいと思うにいたった。

長崎の語学塾で同窓だった陸奥宗光の「旧古河庭園」もすばらしいと思ったが、前田のほうがもっとスケールの大きい庭園を持っていたことに気づかされた。二人の関係を調べないで断言は出来ないが、この世界観の違いが、大臣・次官の関係を続けられなかったのだろう。或いは、前田が陸奥を見切って官界を去ったのだろう。

オリーブの木は、大蔵省に入省した1879年に前田が輸入して日本の地に根付かせ産業化しようとした。『物ごと万事に一歩が大切』という哲学を持つ前田は、日本に平和をも根付かせようとしたのだろうか?

(写真)たくさん咲いた平和を象徴するオリーブの花
        

オリーブ(Olive)
・モクセイ科オリーブ属の半耐寒性の常緑高木。
・学名は、Olea europaea。英名、和名ともOlive(オリーブ)。
・原産地は、アフリカ北部、小アジアといわれているが不明。
・地中海沿岸を代表する果樹
・開花期は5~6月で白い小さな花が咲く。
・樹高は7m以上と高木。鉢植えで高さを調整する。70~100cm程度に調整。
・日当たりが良く、土壌は渇き気味で水はけのよい土。
・乾燥には強いが、高温多湿を嫌う。
・根が浅くもろいので強風に弱い。
・苗から育てた場合は、花がつくのは4~5年かかる。
・また、冬の寒さにさらさないと花芽がつかないので、室内に取り込まない。
・成長が遅いが百年単位での長寿の木。

            

<Contents of the last year>
オリーブの栽培
オリーブは、難しく言うと“自家不和合性”が強いので、自家受粉しない。
DNAが異なるほかの木の花粉が、風か虫によってもたらされて受精するという。
が、これまで花を見たことがない。
ましてや、実がなった姿を見たこともない。

この疑問が一気に解決した。

疑問1:オリーブの実がならない。
→ 自家受粉しない。オリーブ1本だけではだめで、同時に2本以上育てる必要がある。

疑問2:オリーブの花が咲かない
→ 今年の新芽から出た枝に来年の花がつく。ということは収穫後か花の後に剪定する。

オリーブの歴史
有史以前からオリーブの野生種があったようだ。
そのためか原産地がよくわからないが、小アジアから地中海沿岸の地域へフェニキア人、ギリシャ人、ローマ人の活躍の歴史とともに広がっていったという。
ツタンカーメン(紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃)の墓にもオリーブの枝があったというので、地中海沿岸を南ヨーロッパコース、北アフリカコースの2方向で広がっていったようだ。

日本には、1862年(江戸時代の文久2年) 幕府奥医師・法眼の林洞海(はやしどうかい1813-1895)がフランスから苗木を輸入し横須賀に植えたのが始まりといわれている。
本格的な栽培は、明治になってからであり、“殖産興業”のプランを描いた鹿児島出身の前田正名(まえだまさな1850-1921)が、パリ万国博の事務館長を務めていたフランスからオリーブの苗木を1879年に輸入し、自分が開設した三田育種場及び神戸の付属植物園で栽培を始めた。
しかし、長続きはしなかった。

現在では、小豆島のオリーブが有名だが、このオリーブは、1908年(明治41)アメリカから輸入され、小豆島だけが栽培に成功したというほどであり、オリーブの花を咲かせ、実をつけるのは難しい。
ということがわかり納得した。

兵庫県神戸市中央区に楠木正成を祭る湊川神社(みなとがわじんじゃ)がある。ここには、1879年(明治11)にパリ万国博覧会日本館長前田正名がフランスより持ち帰ったオリーブの日本最古の樹があるという。

野生種から栽培種が創られ、いまでは、500種以上もあるという。
我が家のオリーブの品種を確かめようとしたがめまいを覚えてしまうほどだったので、
あまりの品種の多さに驚いてしまった。


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2 コメント

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知ることは面白い (花ひとひら)
2009-05-28 23:50:21
オリーブといえば小豆島とおもっていました。いろいろ背景を知る事ができ面白いですね
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花ひとひらさん (tetsuo)
2009-05-29 09:34:51
坪井栄の生まれ育った小豆島そして「二十四の瞳」の舞台となり子供心に強烈な印象がありましたが、この頃には既にオリーブが育っていたわけですね。
余談ですが、ほぼ同時代で対照的な住井すゑの「橋のない川」も強烈でした。日本の階級制度の歴史が長い奈良京都ならではかなと東北で育った人間としては思ってしまいました。
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