モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ノゲイトウの花

2008-09-12 09:56:29 | その他のハーブ

9月11日の朝日新聞では、
北海道の中央で、旭川と富良野の中間にある美瑛町「四季彩の丘」では
いまがケイトウの見ごろだという。
富良野のように丘のうねりに色とりどりのケイトウの群生は素晴らしいことだろう。

昔は花の種類が少なかったので、ケイトウは夏の花壇の中心の時があった。
暑さに焼かれた土の上に、色彩だけは派手だが緑が少ない花々。
この印象の中心にケイトウがいたので、ケイトウのイメージは決してよくなかった。

しかし、一瞬でこのイメージが消えてしまった。

(写真)槍の穂先のようなケイトウ


北海道美瑛町のようになだらかな丘一面がケイトウでうめられる雄大さも素晴らしいが、

1本で自己アピールの勝負できるこのケイトウも素晴らしい。

ケイトウの歴史
このケイトウは、奈良時代に中国から渡来したようだ。
万葉集には、詠み人知らずだが次のような詩がうたわれている。

『秋さらば写しもせむとわが蒔きし、韓藍(からあい)の花をだれか摘みけむ』

韓藍(からあい)は、ケイトウではなくベニバナをさすという説があるが、
平安時代以前の薬草が記載された薬草誌『本草和名』では、
韓藍(からあい)のことを“鶏冠草 和名 加良阿為”と書かれているので、
韓藍はケイトウを意味している。

ちなみに、紅花(ベニバナ)は、紅の色合いのことを“くれない”と呼んでいたので、
呉藍(くれない)と書かれた。

くれないもゆる空のしたでカラアイを見ると身も心も“アッチッチ”で火傷をしそうだ。
ケイトウの花言葉は、“色あせぬ恋”というから万葉の歌も奥深い。

ノゲイトウ
・ヒユ科ケイトウ属の1年草でケイトウの近縁種。
・学名は、Celosia argentea。英名はFeather cockscomb、和名がノゲイトウ(野鶏頭)槍ゲイトウ、セロシア。
・茎の上にニワトリのトサカのような花をつけるので鶏頭(けいとう)という名がつけられたが、ノゲイトウは槍の穂に近い。
・原産地はアメリカ南部から熱帯地帯。ケイトウはインド及び熱帯アジアが原産地で、日本には奈良時代に中国から伝わる。
・草丈40cm程度。1mまで大きくなる品種もある。
・日当たり水はけの良い土で多湿を嫌う。
・開花期は8~10月。
・草と根は青箱(セイショウ)と呼ばれ、殺虫・解熱・止血薬として使われていたれっきとしたハーブ。

名前の由来
属名のcelosiaは、ギリシャ語で「燃えるような色burn、熱烈な色burning。焼けたburntを意味する’kelos’に由来」

【参考】
http://www18.ocn.ne.jp/~shikisai/gallery.html
(写真)美瑛町四季彩の丘のケイトウ(同サイトから)


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サルスベリ(百日紅 ひゃくじつこう)の花

2008-09-11 10:22:10 | その他のハーブ

散歩の途中で見かけたのは、サルスベリの花。
よほどサルスベリが好きなようで、紅、ピンク、白とグラデーションを意図した配列で
見事な枝ぶりの木を3本も育てている。

(写真)サルスベリ白色の花


(写真)サルスベリピンクの花


(写真)サルスベリ紅色の花



写真のように、サルスベリ(百日紅)の花が咲き乱れている。
紅色で円錐形に盛り上がった花々が、乾燥した秋風に揺れている。
その姿を遠くから見ると、まるでライラックのようだ。

原産地は、中国南部で日本には江戸時代に入ってきたようだが、
開花期が長く、一つの花が100日も咲いているように見えるので百日紅(ひゃくじつこう)とも呼ばれる。

花及びその形がライラックのようなので春を懐かしく思い出す効果があるが
近づくにつれツルツル、すべすべと怪しげな光沢を出している木肌が目に付き
撫でてあげたくなる。
ツルツル坊主の頭を見るとなでたくなるのと同じ心理現象でしょうか?

百日紅の普及は
サルスベリは今では世界に普及している植物となったが、
西欧への普及は、1790年の頃であり、フランスの植物学者アンドレ・ミッショー(Andre Michaux)が、
中国・韓国原産のサルスベリを、米国サウスカロライナのチャールストンに持ち出したという。

アンドレ・ミッショー(1746-1802)は、
キュー植物園のフランシス・マッソン(1741-1805)とほぼ同年代であり、
フランス政府が支援したプラントハンターで、中近東、北アメリカ、熱帯地方を探検した。
いづれ改めて登場して欲しい人物でもある。

サルスベリ(百日紅 ひゃくじつこう)
・ミソハギ科サルスベリ属の落葉中高木。耐寒性は強くない。
・学名は、Lagerstroemia indica。英名はCrape myrtleで、ミルテのような花弁がクレープのように縮れているのでつけられた。
・ミルテの和名はギンバイカ(銀梅花)
・和名がサルスベリ、別名百日紅(ヒャクジツコウ)
・原産地は、中国南部で熱帯、亜熱帯に分布する。
・開花期は8~10月で、紅、ピンク、白などの花が咲く。花弁は縮れており百日咲いているので百日紅と名付けられたが、実際は次から次へと咲いている。
・樹高4~5メートルで、今年伸びた枝に花がつく。
・剪定にコツがあるようで、太い枝を剪定し、細い枝を残すと自然の形状が維持できるようだ。この逆はこぶが多くなるという。


属名のLagerstroemia(ラジェルストレミア)は、リンネに自ら集めた植物のコレクションを提供したスウェーデンの東インド会社の責任者 Magnus von Lagerström(1696-1759)にちなんでつけられた。

(写真)サルスベリの枝ぶり(白系、ピンク系、紅系)
 



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ミヤギノハギ(宮城野萩)の花

2008-09-09 09:34:03 | その他のハーブ

今日、9月9日は、 『重陽の節句』です。

“ちょうよう”といわれても何のことやらというぐらいなじみが薄くわからないが、
奇数が重なる月日はめでたい日で年5回しかないが、その中でも9月9日は最もめでたい日でもある。

また、季節の変わり目でもあり“節句”とも呼んでいる。
中国から伝来した風習であり、この五節句には長寿の願いが込められている。
ちなみに五節句はこのようになる。( )内は中国の呼称

1月7日 七草 (人日 じんじつ)
3月3日 桃の節句 (上巳 じょうし)
5月5日 菖蒲の節句 (端午 たんご)
7月7日 七夕 (七夕 しちせき)
9月9日 菊の節句 (重陽 ちょうよう)

9月9日は、特に健康を祈願し、菊の花を浮かべた菊酒を飲んでお祝いをしましょう。
花がなければ、菊の名前がつく酒でも飲みましょう。

キク科の植物を出したかったが、長雨で被害甚大なのがキク科のものだったので
秋の七草“ハギ”の花をアップする。
(キク科の花についてはこちらを参照)

(写真) ミヤギノハギの花


秋の七草は、奈良時代の歌人“山上憶良”が
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」と万葉集に詠んでいることから始まったようだ。
現代的には、「ハギ、ススキ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ」となる。

ここで詠んでいるハギは、古来から日本の山野に生息していたヤマハギのことと思うが、アップしたのはミヤギノハギ。
ハギ自体種の区分けが難しく、専門家をも悩ませているようだ。

見分け方は、卵型の丸みがある葉をしているのがヤマハギで、
葉の先端がシャープにとがって枝がしだれるのがミヤギノハギとなる。

ハギとつき
中秋の名月は今年は9月20日であり、
ハギ・ススキをお団子・お神酒とともに飾りお供えとする月見のイベントは、
縁側・縁台などがある日本家屋にマッチしている。

が、ベランダ、テラスでも合わないことはないが、このような風習をついつい捨ててしまうきらいがある。
我が家でもすっかりこのような風習と季節感を喪失してしまった。

『千恵子は東京に空が無いといふ』と嘆いたが、
東京には田舎がないと嘆く人間がいる。
嘆いているのは田舎から出てきた人間で、
3代東京に住む人間は、東京を汚したのは、田舎から都会に出てきた田舎者だと嘆く。

その田舎者は、よき田舎の伝統と風習を捨ててしまったから都会の田舎者になってしまったのだろう。
いまさら中秋の名月でもなかろうと思いつつも、そこにあった無病息災の願いを忘れ
伝統と文化を忘れてしまったことに気づいてしまう。


東京をはじめとした都市住民は、生活或いはそれらを包括するまつりごとで何を生み出したのだろうか?
破壊尽くしてきたという自負はあるが、残したい伝統を創ったという自負がチョッとない。

秋の七草は、春の七草とは異なり、食べるためにあるのではなく愛でるためにあるが、
その資格を問われるところが厳しい。
やはり花より団子、団子より菊酒。かな・・・・

(写真)ミヤギノハギの葉と枝ぶり


ミヤギノハギ(宮城野萩)
・マメ科ハギ属の落葉低木。秋の七草の一つ。
・学名は、Lespedeza thunbergii.Nakai。ツンベルクと中井猛之進が命名者となる。
・原産地は日本の本州の山野に生え、園芸品種が出回る。
・丈は1~2mで、枝が枝垂れる。葉は長楕円形で先端がとがっている。
・開花期は7~9月で、葉の脇から長い花序を出し、赤紫色の蝶のような花を咲かせる。
・荒地でも強い生命力があるので、道路建設の側面の土砂をおさえるために萩の種を入れてバラマクくそうだ。
・スペースを必要とするので、刈り込んで小さく育てる。

ハギの研究はツンベルクから
ハギ属の植物はヨーロッパに無いので、日本産の萩の研究はシーボルト時代からであり
1867年のA.W.ミクェル(Friedrich Anton Wilhelm Miquel 1811-1871)からといわれている。
ミクエルは、シーボルトが持ち帰った植物標本、原稿などをシーボルトの死後にまとめて、「フロラ・ヤポニカ」第二巻を出版した人物で、彼がいなかったらシーボルトの植物標本などのコレクションは散逸したかもわからない。
彼はシーボルトの標本から日本産の萩11種を確認し、マルバハギなどを新種として発表した。

ミヤギノハギの学名(Leguminosae Lespedeza thunbergii Nakai)には、
ツンベルクと中井の名前が命名者として残されている。
中井は、中井猛之進(1882―1952)であり、東京帝国大学教授、小石川植物園園長、国立科学博物館館長などを歴任した植物学者で、ツンベルクが間違って分類したミヤギノハギを最終的にハギ属に修正したのが中井であり、これが命名者に残ることとなったようだ。

ハギは難しいというのは、さらに異種交配による雑種が多いためのようでもある。
ミントも同じで品種を見分けるのが難しい。

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ジャーマンダーセージ(Germander sage)の花

2008-09-08 08:49:29 | セージ&サルビア
(写真)ジャーマンダーセージの花


ジャーマンだーセージの花が咲いた。
鮮やかな青紫の小花であり、太陽の光を跳ね返し輝いていた。

これからブルーの競演となる。
メドーセージ、パープルメドーセージ、ラベンダーセージ等が夏から咲いており、
コバルトセージ、ジャーマンダーセージが咲き始めた。
コバルトセージとジャーマンダーセージは原産地がテキサスからメキシコと同じであり植生も似ている。
(※ コバルトセージは9月6日に掲載)

ジャーマンダーセージは、
灰緑色の丸めの小さな葉に特色があり、これだけでも彩りとして魅力があるが、
さらに、花の時期はシルバーグレイの葉が霞となり青紫の花を浮き上がらせる。

乾燥気味を好むので、ロックガーデン、玄関先など陽ざしがあり雨がかからないところが向いている。
ただ夏場は、水切れに注意する必要がある。


ジャーマンダーセージの発見
この花は、1876年メキシコのサン・ルイス・ポトシ(San Luis Potosí)の山腹で、
ウィルヘルム・シャッフナー(Schaffner, Johann Wilhelm(Guillermo ) 1830-1882)によって発見された。
彼は、1856年にメキシコシティーに住みついたドイツ人の歯科医であり植物学者でもある。

その2年後の1878年には、英国系アメリカ人のParry, Charles Christopher (1823-1890)も見つけている。
パリーは、コロンビア大学で医学・植物学を学び、アメリカとメキシコ国境の植物調査にかかわり、
数多くの新種を発見・採取する。
医者としてよりも、植物学者、登山家、プラントハンターとしての活動に魅力を感じ、
パリーの名を冠した植物、コロラドの山(Parry Peak 4,082 m )が結構ある。


(写真)ジャーマンダーセージの葉と花


ジャーマンダーセージ(Germander sage)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草。
・学名は サルビア・カマエドリオイデス(Salvia chamaedryoides)。英名は、Germander sage(ジャーマンダーセージ)、Mexican blue sage(メキシカンブルーセージ)。
・原産地は、カリフォルニア、テキサスからメキシコ北部。
・-5℃以上の半耐寒性で、日当たりの良い乾燥した土壌を好む。
・草丈は、30~50cm程度でブッシュ状に横に広がる。
・開花期は、4~5月、9~11月からまでと長く鮮やかな青紫の小さな花が咲く。
・開花期は週1度液肥をあげる。
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コバルトセージ(Cobalt Sage)の花

2008-09-06 09:35:01 | セージ&サルビア
秋の花コバルトセージが咲いた。

昨年咲いたときは、阿部首相が政権を投げ出したが、今年はチョッと早めに咲いたと思ったら
福田首相が同じように政権を投げ出した。
来年はどんなことが起きるのだろうか?
二度あることは三度あるというのでまた無責任首相が登場するのだろうか・・・・・・
或いは溺れるものワラをもつかむというから、かつての社会党との連合のようなことがあるのだろうか?

(写真)コバルトセージの花


コバルトセージの青は
“コバルトブルー”といわれるとても高価なブルーに似ているので名付けられたが、
コバルトの割合が多いほど濃い青になるという。
あまりにも高価なので、絵具としては、ウルトラマリーンなどを混ぜて代替品(コバルトブルーチント)
を作るというからかなりの貴重品であることは間違いない。

上野の都立美術館で『フェルメール』展が開催されているが、
このフェルメールもキャンバスの下地にラピスラズリーを使った高価なブルー(ウルトラマリーン)を使い、
フェルメールブルーといわれるほどブルーの使い方がうまく官能的だ。

この高価な青を使いすぎたので多額の借金が残ったというが、
混雑も過ぎただろうからそろそろ見に行かねば・・・


コバルトセージ発見の謎
キュー植物園のデータベースでは、
コバルトセージは、1975年10月にメキシコで発見されている。発見者は二人で、
一人は、キュー植物園の Harley, Raymond Mervyn (1936~)
もう一人は、メリーランド大学の教授を経てメリーランドにあるNorton Brown 植物園の
名誉教授 Reveal, James Lauritz (1941~) となっている。

これが公式なのだろうが、
ウエスト・テキサス・コバルトセージと呼ぶほどテキサスに誇りを持つ人たちは、
自国の発見者ストーリを展開している。

発見時期は明確ではなかったが、コバルトセージを発見したのは、テキサス生まれの
パット・マクニール(Pat McNeal、Native Texas Plant Nursery)で
デイビス山脈(the Davis Mountains)で発見したという。

デイビス山脈のマニアのサイトを読んでいると、
多様な植物相を持ちえる気候環境化にあり魅力的と感じた。
ここなら、もっと様々なセージなどの目新しい植物があるのではないかと思う。

(写真)コバルトセージの葉は細く香りがある


コバルトセージ(Cobalt Sage)
・シソ科アキギリ属の落葉性多年草で半耐寒性。
・学名はサルビア・レプタンス(Salvia reptans Jacq. )、英名がコバルトセージ、別名は、West Texas cobalt sage。
・原産地は北アメリカ、テキサスからメキシコの乾燥した荒地。
・草丈は、50~80cmで、花が咲く前に摘心をし、丈をつめ枝を増やすようにする。
・開花期は、9~11月で、美しいダークブルーの花が咲く。
・ほふく性と立ち性のものがある。これは立ち性。
・やや乾燥気味でアルカリ性の土壌を好む。
・関東では、冬は地上部が枯れるが腐葉土などでマルチングをして越冬できる。
・さし芽、或いは、春先に株わけで殖やす。

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その56:喜望峰。その認識と植物相⑩

2008-09-05 13:02:38 | プラントハンターのパイオニア、マッソン
~マッソンが採取した植物。==イキシア(Ixia)==

マッソンが採取したイキシアの種名とその数がよくわからなかったが、

イキシアは、アヤメ科に属し約50種があり、南アフリカの南西部と南部地方に生育する。
冬場に成長し夏場は休眠するというからオキザリス・パーシーカラーと同じ生態だ。

このオキザリスもマッソンが多数キュー植物園に採取して送っており、その数48種とも言われる。

マッソンが送ったイキシアは、ハイブリッド種が開発され18世紀後半にはヨーロッパに普及し
今では世界中に普及している。

庭植えは手間が大変なので、鉢植えが適している。
休眠中の夏場は涼しいところで水を与えずに乾燥させたままにする必要があるので、
移動性がある鉢が適し、常識による情けの水は非常識になってしまうので注意が必要だ。

このイキシアの中で緑の花を咲かせる珍しい種がある。
これを発見したのは、マッソン同様にケープの植物相の豊富さに魅了された男で
この発見の紹介をすると・・・・

南アフリカに魅了された男が発見した絶滅種
1883年12月30日、ドイツ生まれの一人の男がケープに到着した。
マッソンから111年後で、この男は、薬剤師としてケープの会社に勤めた。

彼は、ケープ、テーブルマウンテンに魅せられ、植物採取をするようになり、
それからは一直線で、時間が取れるように自営業となり植物採取の範囲を広げていった。
彼の名前は、マルロス(Marloth, Hermann Wilhelm Rudolf 1855-1931)

マルロスは、西ケープの山のなだらかな傾斜で、緑色の花が咲く植物を見つけた、
この植物が “イキシア・ビリディフローラ(Ixia viridiflora Lam.)” で、
この花は、ヨーロッパを魅了することになる。

(写真)イキシア・ビリディフローラ(Ixia viridiflora Lam.)の花
 
(出典)wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Ixia_viridiflora

だが、この花の原種は。いまでは絶滅危惧植物の仲間入りをしている。
滅びゆくもの必ずしも美しいとはかぎらないが、これは美しい。

イクシア(Ixia)の名前の由来
イキシアという属名の由来は二つあり、
一つ目は、それが粘りけがある液から鳥もち、ヤドリギ(viscum)を意味しているギリシア語のixosからきている。
もう一つは、古いギリシャ語で花の色が変わる植物につけられた名前からリンネがつけた。
という二つの説があり、Ixia属は花の色が変わるので二番目の説明が適切のようだ。

種名のviridifloraは、ラテン語でビリディフローラ『緑色の花』viridi+floraを意味する。

マルロスが南アフリカで集めた植物サンプルはドイツに送られ、
Heinrich Gustav Adolf Engler (1844 – 1930)などによって
ベルリンで"Plantae Marlothiana(マルロスの植物)"としてまとめられた。

アドルフ・エンゲラーは、リンネの植物分類法をより自然に近づけた分類体系を提唱し、
“エンゲラーの分類法”で知られる。

マルロスは、後に南アフリカの大学で植物学教授に就任するが、
南アフリカの植物のすばらしさに魅了されてイラスト入りの南アフリカの植物誌を出版する。

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ダークオパールバジル(Dark Opal Basil)の花

2008-09-03 07:34:12 | その他のハーブ

ダークオパールバジルはスイートバジルから品種改良されたもので、
1950年代にアメリカのコネチカット大学植物学の研究員John M. Scarchuk (1913-2000)によって作られた。

その時から話題になったようで、全米のコンテストで賞をもらっている。
たしかに、ダークパープルの葉は魅了的で、観葉植物としても素晴らしい価値がある。

(写真)ダークオパールバジルの葉と立ち姿


この2週間ほど雷雨などの長雨に打たれ、全体的に変になっている。
葉はスイートバジルに先祖帰りをし、緑が多くなっている。

開花もかなり遅れているし、花自体もピンクの色が鮮やかではない。
昨年と比較すると一目瞭然だ。
ただ残念なのは、越冬させようとして手を尽くしたが、春先の寒波でやられてしまった。
亜熱帯の植物を温室外で越冬させるのは難しい。

(写真)9月になって開花したダークオパールの花


ダークオパールバジル(Dark Opal Basil)
・シソ科メボウキ属の耐寒性が弱い一年草。
・学名,Ocimum basilicum var. purpurascens 'Dark Opal' 。英名がDark Opal Basil(ダークオパールバジル)、別名赤バジリコ。
・スイートバジルの改良品で、アメリカでつくられる 。
・ 葉が6~7枚出揃ったら、摘心及び葉を取り、株を大きくする。
・ 草丈:50cm、暗赤紫の葉が特色で、緑色の葉が出ることもある。
・開花期は7~10月。赤が強いピンクの小花が特色。
・屋根下でマルチングして越冬を試みたが、関東では難しい。
・天然の酢とバジルでのハーブビネガーは紫色に染まり美しい。

ダークオパールバジルの開発者
アメリカのコネチカット大学及びJohn Scarchuk によって1950年代に作出された。作出したのは、コネチカット大学の植物学の研究員John M. Scarchuk (1913-2000)で、ジョセフ・レント(Joseph Lent)とともに『ダークオパールバジル』をリリースした。この数十年に作出された植物の中で重要な観賞用のハーブの一つでもあると評された。

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その55:喜望峰。その認識と植物相⑨

2008-09-02 11:24:20 | プラントハンターのパイオニア、マッソン
~マッソンが採取した植物。==エリカ==

==ケープのヒース、エリカ==

“ヒース(heath)”は、イギリス北部・アイルランドの泥炭地のような作物が育たない荒地に
背が低い植物が生えるがこれをヒースと呼んでいる。

1847年に発表されたエミリー・ブロンテの長編小説『嵐が丘』は、
ヒースが群生するイギリス北部ヨークシャーの荒野に立つ館「嵐が丘」を舞台としている。
雪と強い風と低い雲そして見渡す限りのヒース。ここには圧倒的な厳しい自然しかない。

ヒースはこんな厳しい自然の象徴でもあるが、
ケープ地方にも“ケープヒース”と呼ばれる荒地に育つ植物がある。
その数735種というから驚きだ。
マッソンは、そのうちから88種をキュー植物園に送ったという。
このケープヒースの属名をエリカと呼ぶ。

マッソンが送ったエリカの代表としてErica cerinthoides L.(エリカ・コリンジェイド)に登場願うが、
Erica cerinthoides は、 “Fire Erica” とも呼ばれ、南アフリカの乾燥した荒野に広く点々と分布している。
 
(出典)ウイキペディア

種名のcerintheは、ギリシャ語の『ろう状+花(ceri+nthe)』で、
ceriは、ギリシャ語『蝋、ワックス、蜜ろうを意味する"keros"が由来』

ツツジ科のこのヒースは、ケープ地域の荒地でブッシュを形成し
落雷など周期的に起きる火事で自らをリニューアルする知恵で生き延びているという。
最近では、人為的に15年に一度は燃やしているようだ。

マッソンがイギリスに導入したエリカは、1794年にボタニカルマガジンで取り上げられ
18世紀後半から19世紀全般には、ケープのエリカは人気が出たようだ。

(写真) フランシス・マッソンを記念したErica massonii

(出典)Wikimedia Commons

キュー植物園には、フランシスマッソンを記念して命名した“エリカ・マッソニア”がある。
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殿、電柱ですぞ。 辛口セイジ論

2008-09-02 00:36:22 | ニッポンの政治
21時30分から2時間もテレビに釘付けになり、画面から伝わってこない”セイジ”の匂いをかいでいた。

伝わってきた匂いは、”無意味””悪臭”のようだ。

”無意味”とは、味も素っ気もなく価値がないということだが、

価値がないということに気づいていない政治家がいるところが面白いし、
政治家だけでなくテレビに出演した評論家・学者も同じ仲間ということが鮮明になった気がする。

これをあぶりだす試薬は、「自民党総裁選を派手に戦うべし」ということに対して反応を取ることだ。

組織としては、ルールがありそれにのっとって後継者を決めるのが当然だが、
これが”セイジ”の重要なことだと、この2時間はこれに終始していた。

これは、自民党という党の最大の遺産であるとともに、
こんなことに期待しない市民が増えていることに気づかない政治家、評論家、学者、メディアの政治部記者が
まだ多数いるから成立した2時間だったのだろう。
これから1ヶ月もこの調子で脳死させられるのはつらい。

これが見捨てられている最大の事のように思うがいかがだろうか?
こんなことにはうんざりしているし、飽きている。

これまでは、
優秀な官僚がいたので、日本の未来をデザインするシンクタンク機能があり、
これに乗っかってきたからシンク(辛苦かも?)機能を喪失しても、
ポリシーを具体化するという大義名分で、人事ごっこに時間と金を使う余裕があったのだろう。

優秀な官僚機構が失敗の責任を取るという民間では当たり前の”倒産・破産””解雇””降格・減俸”がなく
緊張感がなくなりこれも同じように考えることをしなくなった。
考えることは、”税収がないのでこれ以上使わない”、”借金はしない”ということばかりで、
考えた形跡がないというべきだろう。

優秀な官僚の制度疲労が自民党を或いは政党政治をだめにしたとも言える。
唯一試していないのは、政権交代で、緊張感を取り戻し官僚が立ち直れるかどうかだろう。
政権政党が替われば、政策が変わるので考えざるを得なくなり、生き返る可能性がある。


本質的には、結果責任を取らない組織は腐るのが当たり前で、
シンクタンク機能を別途創るか、官僚制度に結果責任の仕組みを導入し緊張感を取り入れることが必要だと思う。

いづれにしてもコストと時間がかかるので、いま一番即効性があるのが政権交代で優秀な官僚に立ち直って欲しい。
自民党は、無責任な責任を取り、これから政策政党としての基礎を組織・制度として構築して欲しい。

最後に、今日のメディアの評価だが、
ある民放のキャスターを除き私にとっては無意味・無価値でした。

”セージ”の香りは脳を刺激し、消毒されたかなという気分になれるが、
”セイジ”は、腹が立つ香りがしてくるから身体によくない。
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秋の気配。オルトシフォン・ラピアツス(Orthosiphon labiatus)の花

2008-09-01 07:23:28 | セージ&サルビア
オルトシフォン・ラピアツス(Orthosiphon labiatus)は、
南アフリカ北部の岩がごろごろしている高原の崖面に生育する潅木で、丈が1.5mで株張り1mというブッシュを作る。

その様相は、ゴツゴツした荒削りなところがあり洗練された姿ではないが、
乾燥した大地で耐え抜くタフなジーパンのような味わいがある。
きっと、草食動物に食べられないように自分を魅力的に見せないすべを学習した結果ではないかと思う。

オルトシフォン・ラピアツスは、このように魅力的に見せないボディとブッシュで
自分の身を守っているが、
花が咲くと劇的な変身をする。

(写真)ピンクセージとも呼ばれるオルトシフォン・ラピアツスの花


まつげが長~いピンクのサインで魅惑的な刺激を発し、蜂、蝶、鳥などを誘う。
そして、次から次へと咲き、惜しみなく与える。

この種としての狙いを実行する時=開花時期になるが、これを今か今かと探っている。
だから秋の兆しを察知するとすばやく全力疾走に入り
“ピンクセージ”と呼ばれるように、淡いピンクの小花を多数咲かせる。

アキギリ属の植物をセージと呼んでいるので、この花は厳密にはセージではないが、
ピンクの花色をしたセージのイメージを相当満たしているのは確かだ。

ジーパンだけではパーティにいけないが、これに淡いピンクのジャケットなどを合わせると様になりそうだ。
こんな変身が楽しめるタフな植物だ。

(写真)オルトシフォン・ラピアツスの葉


オルトシフォン・ラピアツス(Orthosiphon labiatus)
・シソ科オルトシフォン属の耐寒性がある潅木
・学名がOrthosiphon labiatus(オルトシフォン・ラピアツス)。英名がPink Sage(ピンクセージ)、Shell Bush、Pienk Salie。
・原産地は、南アフリカ北部からジンバブエで、オルトシフォン属はアフリカ、インドなどに35種以上が分布。
・丈は、1~1.5mまで成長するが、毎年花後および春先に摘心し30cm程度の鉢物としている。
・開花期は初秋から晩秋まで咲き、1本の枝にピンクの花が多数咲く。
・花が終わった枝をつめると新しい枝から開花するので花を長く楽しめる。
・耐寒性が強い多年草。手間が要らない。
・木質を若返らせるために、3年に一度は、根元から1/3程度につめる。

名前の由来
・Orthosiphon のOrthoは、ギリシャ語orths(まっすぐな, 正しい)からきており、Siphonは、パイプを意味するギリシャ語のsphnで,まっすぐなパイプを意味する。
・labiatusは、lipped(唇の)を意味し、花の特徴について言っている。

命名者(Lamiaceae Orthosiphon labiatus N.E.Br.)
・命名者のBrown, Nicholas Edward (1849-1934)は、英国の植物学者で、1873年にキュー植物園にアシスタントから勤める。彼は、アロエ・サボテンなどの多肉植物及び南アフリカケープの植物の権威でもある。

コレクター・採取者
・オルトシフォン・ラピアツスの採取者はわからなかったが、1894年に南アフリカで発見された類似のOcimum labiatum (N.E.Br.) A.J.Patonの採取者が気になるので記載しておく。
Rudolf Schlechter(1872-1925)は、ドイツの植物分類学者で、アフリカ・インドネシア・ニューギニア・中南米・オーストラリアを探検し、15カ国で704もの新種を採取した。ランの栽培者としても著名だが、彼の庭園は1945年のベルリン爆撃で破壊された。

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