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阪神・淡路大震災の教訓、能登半島地震ではいかされないまま

2025年01月28日 12時15分47秒 | 一言

 阪神・淡路大震災30年の報道を目にしてよみがえった記憶があります。校庭に山のように飾られた黄色い菜の花。1995年4月に取材した兵庫県西宮市立小学校の入学式の光景です。

 当時、大震災から3カ月近くたっても被災地では6万人が避難生活を送っていました。学校の多くも避難所として使われていました。その小学校も体育館に約100人が避難中のため、入学式は屋外の校庭で行いました。菜の花は教職員から新入生への心づくしでした。

 式では入学するはずだったのに震災で亡くなった子のことも紹介されました。新入生の中には避難中の子どももいました。避難している体育館から校庭での式に出席し、また体育館に帰ります。避難生活を共にする人たちからは次々と「おめでとう」の声がかかりました。

 母親は避難所の炊き出しを手伝い、ガス会社に勤務するという父親は毎日、復旧作業にあたっていました。「ちゃんとした家で入学式を迎えさせてやりたかった」と母親はもらしました。

 あれから30年たったのに、石川県の能登半島地震では教訓がいかされないままです。被災者は劣悪な環境に置かれ、災害関連死は300人近くに上ります。復興は進まず、人口が流出。校舎も被害を受け、子どもの数も減っています。輪島市では学校の大幅な統廃合も検討されています。

 体や心に傷を負いながらも必死に生活を立て直そうとする人たちに国はしっかりと手をさしのべてほしい。あの日子どもたちに贈られた菜の花のように。


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