鉄道模型のある生活ブログ

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ブラタモリ  復活版で伏見

2024年11月03日 | 雑談

ブラタモリ復活版で東海道53次ならぬ、57次をNHKでやっています。 昨日と今日と明日の連続3日です。

昨日は大津の次の宿が京都を通らずに伏見とのこと。

初めに京都と伏見との分かれ道をやっていたのですが、もちろん私は何度か車で通った道でよくわかりました。

そして伏見

57次の道が赤い線で示されています。 この中に私の家も含まれているので、我が地元です。

右上のブラタモリの文字の下の森の中にある白っぽい中という字に似た場所は大きい方が明治天皇陵、小さい方が昭憲皇太后陵で、散歩のコースです。

 

ここは竹田街道と呼んでいる道ですが、これが当時の東海道だったそうです。この道は車で出かける時には必ず通る。

 

すぐにあるのが、この橋。 京橋と言います。 大阪の京橋ではなくて伏見の京橋。

この辺りが伏見の港だったところで、

これは番組の最後に出てきたCGですが、この辺りです。 港はずいぶん広かった。

この左にある家並みに、坂本龍馬で有名な寺田屋があるあたりですが時代が違う。

ちなみに、この川の突き当たりを右に曲がってゆくと我が家があるんだよ。

 

タモリさん一行が歩いている左横が寺田屋で今や観光の名所なのですが、番組では無視。

 

船に乗りに行っていますが、そのまま我が家まで来るんじゃないかと思うほど近くなんです。

 

月桂冠の酒蔵の横を進む十石ぶね。 タモリさんたちが乗っていますが、この風景はこのブログでも時々出しているのですが、良いところでしょう?

この川は宇治川派流となっていますが、実際には京都疏水の終点です。 そして秀吉の時代には伏見城の堀です。

桜の時期には綺麗ですよ

 

そう、伏見は秀吉の城下町だったのです。 安土桃山時代の桃山にあったのが伏見城。 でも桃山と名がついたのは関ヶ原以後だとか。

 

はーい、伏見城の敷地内に建てられた桃山城です。

 

でもって、城下町だったところに造られた宿場町なので、東海道の宿の中で一番大きかったのが伏見の宿とのことです。

でも、秀吉が作ったので、徳川の世ではどうなったのか? というと、石田三成に攻められて伏見城に籠った徳川の家臣の鳥居元忠が城と共に戦死して伏見城は無くなったので、それで終わりだと思っていたのですが。

 

なんと、徳川家康がこの伏見を引き継いで、とタモリさんがおっしゃています。

 

伏見は徳川の宿場町になったのです。

 

そこに伏見を研究している人が、こんなグラフを持ってきました。

家康が住んでいた場所を年代と共に色で表しています。 緑が江戸です。 青が伏見。

なんと1600年の関ヶ原以降でも伏見に住んでいた期間は長い。 びっくりです。江戸にいたとばかり思っていましたが、これは大坂に秀頼がいるし、京都には帝がいるので、やはり両方に近い伏見が便利だったのでしょう。

だから日本の首都は伏見だったと言っても過言ではない。

 

そして赤ちゃんの顔が出ました。 紀伊、尾張、水戸の御三家の初代が生まれた場所です。 皆んな伏見生まれです。

これも知らなかった。

 

その後、タモリさんたちは御香宮で徳川の紋章を見たのです。

 

これは2019年に私が写した御香宮の拝殿です。 鈴の紐に注目。

 

これは今年の9月に撮影した御香宮の鈴。 鈴に紐がつけていない、コロナが流行った時に外したままだ。 鈴を鳴らそうにも鳴らせないので宮司さんに言うとコロナで危険なので紐を外してあるとの事。 今年の9月ですよ!。 この神社はいまだにコロナが流行っているんだ!!  と呆れているのであります。 今でもまだ紐はありません。 きっと無くしてしまったんだろう。

 

さて、タモリさんたちは

駿河屋に来ました。 この近くには駿河屋が2軒あって、私は土地の高低差で上の駿河屋と下の駿河屋と呼んでいますが、ここは下の駿河屋です。

以前のブラタモリで伏見をやったことがあります。 その時には秀吉の足跡を追っていたのですが、上の駿河屋で秀吉が食べたと言う、蒸し羊羹を食べていました。

 

その時の写真を持ってこちらが分家と説明。近江さんがいる、懐かしい。 私がブラタモリを見始めたときはアシスタントは近江さんだったので、よく覚えている。

分家と言っても400年も昔に分家したのですから、この下の店も恐ろしく長い歴史がある。

こちらでは、蒸し羊羹は日持ちしないので、寒天を使って今の練り羊羹にしたそうで、それも江戸時代の話です。

この人が寒天は伏見の名物なので手に入れやすかったと話していたのですが、寒天は海藻でそれを寒いところで凍らせる様にして作るので、明智の方が産地だと思っていたので、何で伏見がと私はびっくりしたのです。

でも、友人に聞くと、昔の書物に伏見は寒天で有名だったと書いてあったと言う。 それは京都への流通で、伏見港にいろいろなものが入ってきたので、寒天もその一つで大量に扱っていた様です。

 

練り羊羹がこの店でできて、日持ちをするので、東海道の旅人や商人が買って、全国に広がったとか。

 

駿河屋の前で練り羊羹を食べています。 これでブラタモリは終わりですが、

この店の左角に石碑があります。 見えますか?

これは鉄道好きなら絶対に知っているはずの石碑。

「我国に於ける電気鉄道事業発祥の地」と書いてあるのです。 我が国初めての市電は京都駅からここまで来ていたのです。

ですから、この店、下の駿河屋には市電の絵が書いてある羊羹やグッズを売っています。

 

さて、今夜のブラタモリは淀でしょう。 淀城は私の遊び場でしたので懐かしい。

 

と書いたところにLINEが入ってきて、高齢者学校の友人が、今月に行われる文化祭の発表のために東海道57次を選んで、ポスターを書き上げたとの事。 京街道にあたるわけですが、伏見、枚方の宿など、地図や写真も入れて、綺麗に作り上げています。 偶然NHKのテーマと一致した様です。 高齢者の学校、馬鹿にできません

 

 


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