元NHKのアナウンサーだった塚越恒爾さんのブログを紹介します。
「ファンタ爺の日本語ざっくばらん」
http://www.fantajisan.com/
スピーチ・会話・コミュニケーションについて、きちんと勉強してみたいという人は、
ぜひ読んでみてください。
塚越さんは、「中国の学生にスピーチを教えています」というメールを送った私に、
ご自身の著作「口下手がなぜ人の心をつかむのか」とDVDなどをプレゼントしてくれました。
私のスピーチ指導の原点は、塚越さんの書かれた本やメールでしてくださったアドバイスです。
それは、例えば、以下の記事のようなことです。(塚越さんのブログからの転載です)
かなり昔の話だけれどね、一時代を画した声優の徳川無声さんを覚えているかな。ワシらの少年時代には、無声の「宮本武蔵」が始まると、ラジオにかじり付いて聞いていたものだ。懐かしいね。
その無声翁が、生涯に只一冊、「話術」という本を書いているのだが、これまた名著だったとつくづく思う。
本を読むと、「話術は“間術”なり(間の取り方)」とか、「間(マ)とは、動きて破れざるバランスなり」「真の雄弁は、話術を知らず」・・・など、彼らしい言葉で、表現の極意が書かれているのだが、忘れられないエビソードとして、こんな話が載っていた。
ーーー雄弁術の神さまデモステネス(紀元前三百年ごろのギリシャ人)が、或る時、彼の雷名を慕って遙々訪ねて来た人から、
「先生! どうか雄弁術の秘訣を教えて下さい。」と云われて、次のように答えた。
「折角のお出でだから、虎の巻をお教えしましょう。雄弁術の大家になるには、何よりもまず、自分の態度に注意することが肝要です。」
「なるほど。その次には何が肝要でありましょうか?」
「態度に注意することです。」
「いや分りましたが、その次は何が?」
「態度に注意することじゃ。何度聞かれても“態度”だと答えるぞ。」
「・・・」
(転載ここまで)
今日、これから中華杯スピーチコンテストに、学生を引率して行ってきます。
私は、「学生の日本語がどれぐらいぺらぺらなのか」を見に行くつもりはありません。
そんなのは、わざわざコンテストに行かなくても、毎日のように教室で見ることができるからです。
コンテストで見たいのは、
「今の学生は何を考えているのか」
「話している内容と、声と、態度は一致しているのか。つまり、本気で話しているのか」
ということです。
「北京バイオリン」という映画の冒頭のコンテストで、
技術だけの演奏の時には居眠りをしていたけれど、
主役の少年の演奏の時には指が動いていた、という先生が登場します。
また、有名になった教え子のコンサートを聞き、
「あとどのぐらい商売のための演奏をするんだ」と叱責した先生もいます。
私が憧れているのは、そういう先生であり、
塚越さんのいうように、「(口下手であっても)人の心をつかむ」話し方をする人です。
「ファンタ爺の日本語ざっくばらん」
http://www.fantajisan.com/
スピーチ・会話・コミュニケーションについて、きちんと勉強してみたいという人は、
ぜひ読んでみてください。
塚越さんは、「中国の学生にスピーチを教えています」というメールを送った私に、
ご自身の著作「口下手がなぜ人の心をつかむのか」とDVDなどをプレゼントしてくれました。
私のスピーチ指導の原点は、塚越さんの書かれた本やメールでしてくださったアドバイスです。
それは、例えば、以下の記事のようなことです。(塚越さんのブログからの転載です)
かなり昔の話だけれどね、一時代を画した声優の徳川無声さんを覚えているかな。ワシらの少年時代には、無声の「宮本武蔵」が始まると、ラジオにかじり付いて聞いていたものだ。懐かしいね。
その無声翁が、生涯に只一冊、「話術」という本を書いているのだが、これまた名著だったとつくづく思う。
本を読むと、「話術は“間術”なり(間の取り方)」とか、「間(マ)とは、動きて破れざるバランスなり」「真の雄弁は、話術を知らず」・・・など、彼らしい言葉で、表現の極意が書かれているのだが、忘れられないエビソードとして、こんな話が載っていた。
ーーー雄弁術の神さまデモステネス(紀元前三百年ごろのギリシャ人)が、或る時、彼の雷名を慕って遙々訪ねて来た人から、
「先生! どうか雄弁術の秘訣を教えて下さい。」と云われて、次のように答えた。
「折角のお出でだから、虎の巻をお教えしましょう。雄弁術の大家になるには、何よりもまず、自分の態度に注意することが肝要です。」
「なるほど。その次には何が肝要でありましょうか?」
「態度に注意することです。」
「いや分りましたが、その次は何が?」
「態度に注意することじゃ。何度聞かれても“態度”だと答えるぞ。」
「・・・」
(転載ここまで)
今日、これから中華杯スピーチコンテストに、学生を引率して行ってきます。
私は、「学生の日本語がどれぐらいぺらぺらなのか」を見に行くつもりはありません。
そんなのは、わざわざコンテストに行かなくても、毎日のように教室で見ることができるからです。
コンテストで見たいのは、
「今の学生は何を考えているのか」
「話している内容と、声と、態度は一致しているのか。つまり、本気で話しているのか」
ということです。
「北京バイオリン」という映画の冒頭のコンテストで、
技術だけの演奏の時には居眠りをしていたけれど、
主役の少年の演奏の時には指が動いていた、という先生が登場します。
また、有名になった教え子のコンサートを聞き、
「あとどのぐらい商売のための演奏をするんだ」と叱責した先生もいます。
私が憧れているのは、そういう先生であり、
塚越さんのいうように、「(口下手であっても)人の心をつかむ」話し方をする人です。