日本語というのは、遠くで見ると、一塊になって存在しているが、さて、その中に入ってみると、いや雲散霧消というかまとまりがない。ときとして、漠然としていて、つかみ所のない気分に襲われる。
五里霧中と言うが、実は芯が見えないのだ。
例えてみれば竹輪だね。
出来たての頃は芯があったのだろうけれど、いまではガランドウだ。
別の言い方をすると、星雲状態だね。
もっとも困るのは、スタンダードの形が無いことだろうか。
どの言語にしたって、スタンダードの形があり、その他にかしこまった形や、砕けた形があるのが普通だ。
だが、日本語という星雲状態の塊は、芯を覗くと青空だけが見える。
相対する人間同士の相対的関係や、シチュエーションで、千変万化するからね。
毎日頻繁に交わす、アイサツの“ことば”にしたって、スタンダードがない。
「おはようございます」が基本形なのか。「おはよう」が基本か。未だに決着はついていない。
現実の問題として、年長者なら「おはよう」は使えるが、若者が使える場面は限られる。
相手次第だ。そうした意味では、「おはようございます」を基本と考えた方が現実的だ。
しかし、疑問は残る。
ちょっと、考えてみようか。
「おはようございます」の、最初の「お」は敬語だ。
後ろの半分ほどを占める「ございます」も丁寧語という敬語だ。
するってーと、本体は「はよう」だけしか残らない。
だが「はよう」だけでは、“ことば”としてハンチクで、使いようがない。
朝のアイサツの基本の形・スタンダードは・・・
その上、「おはようございます」という言葉の“拍”は9音節もあって、長ったらしい。
だから、親密な間柄では「オス」と、極端な省略語(アブリビエーション)となる。
少し前に、「オハ」という新語を流行らせようと、あるタレントが試みたらしいが、長くは続かなかったな。
私たち日本人は、初めっから、こうしたスタンダードのない、相手次第の日本語に、どっぷり浸かっているから、この不思議な現象を不思議とは思っていない。
だから、日本語を外国人に教えている人は、皆さん困る。
昔、あるアメリカの友人が言っていた。
「何故、朝のアイサツだけ、敬語まみれにするのか」と。
なるほど、昼は「こんにちは」、夜は「こんばんは」だ。敬語はつかない。
そのとき私は、「そりゃ、一日の初めのアイサツを大切にする思いからだろう」と言った。
彼は、半分納得した。
「ああ、だから新年のアイサツも、大切だから『おめでとうございます』なんだね」
しばらくして、彼はつぶやいた。
「だから、人生最後のアイサツも『ゴしゅうしょうサマ』か。でも、感謝ののアイサツは『オありがとうゴザイマス』じゃないよね。
五里霧中と言うが、実は芯が見えないのだ。
例えてみれば竹輪だね。
出来たての頃は芯があったのだろうけれど、いまではガランドウだ。
別の言い方をすると、星雲状態だね。
もっとも困るのは、スタンダードの形が無いことだろうか。
どの言語にしたって、スタンダードの形があり、その他にかしこまった形や、砕けた形があるのが普通だ。
だが、日本語という星雲状態の塊は、芯を覗くと青空だけが見える。
相対する人間同士の相対的関係や、シチュエーションで、千変万化するからね。
毎日頻繁に交わす、アイサツの“ことば”にしたって、スタンダードがない。
「おはようございます」が基本形なのか。「おはよう」が基本か。未だに決着はついていない。
現実の問題として、年長者なら「おはよう」は使えるが、若者が使える場面は限られる。
相手次第だ。そうした意味では、「おはようございます」を基本と考えた方が現実的だ。
しかし、疑問は残る。
ちょっと、考えてみようか。
「おはようございます」の、最初の「お」は敬語だ。
後ろの半分ほどを占める「ございます」も丁寧語という敬語だ。
するってーと、本体は「はよう」だけしか残らない。
だが「はよう」だけでは、“ことば”としてハンチクで、使いようがない。
朝のアイサツの基本の形・スタンダードは・・・
その上、「おはようございます」という言葉の“拍”は9音節もあって、長ったらしい。
だから、親密な間柄では「オス」と、極端な省略語(アブリビエーション)となる。
少し前に、「オハ」という新語を流行らせようと、あるタレントが試みたらしいが、長くは続かなかったな。
私たち日本人は、初めっから、こうしたスタンダードのない、相手次第の日本語に、どっぷり浸かっているから、この不思議な現象を不思議とは思っていない。
だから、日本語を外国人に教えている人は、皆さん困る。
昔、あるアメリカの友人が言っていた。
「何故、朝のアイサツだけ、敬語まみれにするのか」と。
なるほど、昼は「こんにちは」、夜は「こんばんは」だ。敬語はつかない。
そのとき私は、「そりゃ、一日の初めのアイサツを大切にする思いからだろう」と言った。
彼は、半分納得した。
「ああ、だから新年のアイサツも、大切だから『おめでとうございます』なんだね」
しばらくして、彼はつぶやいた。
「だから、人生最後のアイサツも『ゴしゅうしょうサマ』か。でも、感謝ののアイサツは『オありがとうゴザイマス』じゃないよね。