天津ドーナツ

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星雲状態の日本語…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-05-19 04:39:34 | 日本語学習法
 日本語というのは、遠くで見ると、一塊になって存在しているが、さて、その中に入ってみると、いや雲散霧消というかまとまりがない。ときとして、漠然としていて、つかみ所のない気分に襲われる。
 五里霧中と言うが、実は芯が見えないのだ。
 例えてみれば竹輪だね。
 出来たての頃は芯があったのだろうけれど、いまではガランドウだ。
 別の言い方をすると、星雲状態だね。
 もっとも困るのは、スタンダードの形が無いことだろうか。
 どの言語にしたって、スタンダードの形があり、その他にかしこまった形や、砕けた形があるのが普通だ。
 だが、日本語という星雲状態の塊は、芯を覗くと青空だけが見える。
 相対する人間同士の相対的関係や、シチュエーションで、千変万化するからね。


 毎日頻繁に交わす、アイサツの“ことば”にしたって、スタンダードがない。
 「おはようございます」が基本形なのか。「おはよう」が基本か。未だに決着はついていない。
 現実の問題として、年長者なら「おはよう」は使えるが、若者が使える場面は限られる。
 相手次第だ。そうした意味では、「おはようございます」を基本と考えた方が現実的だ。
 しかし、疑問は残る。

 ちょっと、考えてみようか。
 「おはようございます」の、最初の「お」は敬語だ。
 後ろの半分ほどを占める「ございます」も丁寧語という敬語だ。
 するってーと、本体は「はよう」だけしか残らない。
 だが「はよう」だけでは、“ことば”としてハンチクで、使いようがない。
 朝のアイサツの基本の形・スタンダードは・・・

 その上、「おはようございます」という言葉の“拍”は9音節もあって、長ったらしい。
 だから、親密な間柄では「オス」と、極端な省略語(アブリビエーション)となる。
 少し前に、「オハ」という新語を流行らせようと、あるタレントが試みたらしいが、長くは続かなかったな。

 私たち日本人は、初めっから、こうしたスタンダードのない、相手次第の日本語に、どっぷり浸かっているから、この不思議な現象を不思議とは思っていない。
 だから、日本語を外国人に教えている人は、皆さん困る。

 昔、あるアメリカの友人が言っていた。
 「何故、朝のアイサツだけ、敬語まみれにするのか」と。
 なるほど、昼は「こんにちは」、夜は「こんばんは」だ。敬語はつかない。
 そのとき私は、「そりゃ、一日の初めのアイサツを大切にする思いからだろう」と言った。
 彼は、半分納得した。
 「ああ、だから新年のアイサツも、大切だから『おめでとうございます』なんだね」
 しばらくして、彼はつぶやいた。
 「だから、人生最後のアイサツも『ゴしゅうしょうサマ』か。でも、感謝ののアイサツは『オありがとうゴザイマス』じゃないよね。