先月は、「ん」で表されるハミングの音は、大きく分けてみると、<n><m><ŋ>の三つに分かれるといった。
今日はこれを、小さい<ン>で表す撥音(撥ねる音)から、考えてみる。
撥音というのは、どうやら三味線のバチからの連想でハネル音・撥音となったらしい。私は、このハネルというニュアンスに、いささか抵抗を感じているのだが・・・ま、それはともかく、“小さい「ン」”の音の実際は、前記の三つの音・<n><m><ŋ>で出されていることを、多くの人は、ほとんど意識していない。
実例で示めすことにしよう。
○ とんま ちょんぼ はんぷ の<ん>は、何れも<m>の音。
○ がんこ こんろ ぶんか の<ん>は、何れも<n>の音。
○ ねんが なんぎ がんぐ れんげ だんごの<ん>は、何れも<ŋ>の音なのだ。
解説すると、<ん>の後ろに、唇音の破裂音(マ行・バ行・パ行)がくると、気づいているかどうかは別にして、どなたも自然に<m>の音を出している。
2列目の例は、最も多いケースで<n>となる。後ろに(マ・バ・パ以外)の音が来れば、殆どこの音になる。この<n>は、ナ行の子音でもある。
例外的に、3列目の鼻濁音がある。このケースは、<ん>の次に「が・ぎ・ぐ・げ・ご」が来た場合に限る。
よく「関西人は鼻濁音を出さない」とか、「鼻濁音は次第に消滅しつつある」という説があるが、それは「助詞のガ」を鼻濁音とするかしないかであって、上記の場合には、関西人でも鼻濁音を出している。それを意識していないだけの話だ。だから、日本語の鼻濁音は無くなりはしない。
試みに、この3列目を、鼻濁音ではなく発音してごらんなさい。ちょいと難しいぜ。
ところで、ここ3回連続で、日本語の中の「ん」の音について、述べてきた。
皇国思想の国学派は、「ん」の存在を認めようとはしなかったし、50音の5×10にも、その席はなく、音図の尻尾扱いだ。イロハにしても、最後に取ってつけたように「ん」と叫んで、グリコのオマケだ。
だが、日本語から「ん」を除くことなど出来ないのは、明白な事実である。
わたくしは、この3回を通じて、「ん」の日本語での役割を確かめてきた。
そして、はっきりと主張する。
『「ん」は、日本語のみならず、全ての肉声の根源なのだ』と。
いま、音を出さずに息を吐いてみる。声帯の振動を伴わない呼気だ。
その“音のない呼気”を、口腔の奥(第一ホルマント)で、共振させれば、その音は<ん>となり、響きの中心を、少し前に移せば母音の<う>音となる。
ここから、顎を開いて行くに従って、<う>は<お>になり、顎をさらに開けば<あ>の開放音となる。
この<ん>→<う>→<お>→<あ>の声音をバック・ボーンとして、日本語の声音は、形づくられている。
この音の流れを軸にして、日本語の音の表現の全てが構成されている。
即ち、「ん」は、声音が生まれる“産声”であり、音の始まり、原点なのだ。
重ねて言おう。
「ん」は、尻尾でもなければ、オマケでもない。日本語の根源の音なのだ。
今日はこれを、小さい<ン>で表す撥音(撥ねる音)から、考えてみる。
撥音というのは、どうやら三味線のバチからの連想でハネル音・撥音となったらしい。私は、このハネルというニュアンスに、いささか抵抗を感じているのだが・・・ま、それはともかく、“小さい「ン」”の音の実際は、前記の三つの音・<n><m><ŋ>で出されていることを、多くの人は、ほとんど意識していない。
実例で示めすことにしよう。
○ とんま ちょんぼ はんぷ の<ん>は、何れも<m>の音。
○ がんこ こんろ ぶんか の<ん>は、何れも<n>の音。
○ ねんが なんぎ がんぐ れんげ だんごの<ん>は、何れも<ŋ>の音なのだ。
解説すると、<ん>の後ろに、唇音の破裂音(マ行・バ行・パ行)がくると、気づいているかどうかは別にして、どなたも自然に<m>の音を出している。
2列目の例は、最も多いケースで<n>となる。後ろに(マ・バ・パ以外)の音が来れば、殆どこの音になる。この<n>は、ナ行の子音でもある。
例外的に、3列目の鼻濁音がある。このケースは、<ん>の次に「が・ぎ・ぐ・げ・ご」が来た場合に限る。
よく「関西人は鼻濁音を出さない」とか、「鼻濁音は次第に消滅しつつある」という説があるが、それは「助詞のガ」を鼻濁音とするかしないかであって、上記の場合には、関西人でも鼻濁音を出している。それを意識していないだけの話だ。だから、日本語の鼻濁音は無くなりはしない。
試みに、この3列目を、鼻濁音ではなく発音してごらんなさい。ちょいと難しいぜ。
ところで、ここ3回連続で、日本語の中の「ん」の音について、述べてきた。
皇国思想の国学派は、「ん」の存在を認めようとはしなかったし、50音の5×10にも、その席はなく、音図の尻尾扱いだ。イロハにしても、最後に取ってつけたように「ん」と叫んで、グリコのオマケだ。
だが、日本語から「ん」を除くことなど出来ないのは、明白な事実である。
わたくしは、この3回を通じて、「ん」の日本語での役割を確かめてきた。
そして、はっきりと主張する。
『「ん」は、日本語のみならず、全ての肉声の根源なのだ』と。
いま、音を出さずに息を吐いてみる。声帯の振動を伴わない呼気だ。
その“音のない呼気”を、口腔の奥(第一ホルマント)で、共振させれば、その音は<ん>となり、響きの中心を、少し前に移せば母音の<う>音となる。
ここから、顎を開いて行くに従って、<う>は<お>になり、顎をさらに開けば<あ>の開放音となる。
この<ん>→<う>→<お>→<あ>の声音をバック・ボーンとして、日本語の声音は、形づくられている。
この音の流れを軸にして、日本語の音の表現の全てが構成されている。
即ち、「ん」は、声音が生まれる“産声”であり、音の始まり、原点なのだ。
重ねて言おう。
「ん」は、尻尾でもなければ、オマケでもない。日本語の根源の音なのだ。