今日(5月2日)のお昼休みに、天津市のある大学の先生から、電話がかかってきました。
「ゴールデンウィークのスピーチ特訓から帰ってきた学生の原稿が、規定時間の2分間を30秒ぐらい越えている。どうしたらいいだろうか」という相談です。
私は、
1.3日間で、全ての学生の原稿を完璧に仕上げることはできないこと
2.事実や気持ちを丁寧に書いた少し長めの文章を、スピーチの練習をしながら削っていくことで、
言葉の質が高くなっていくこと
3.コンテスト当日のスピーチと、提出する原稿は、趣旨が同じであれば問題はないこと
4.会場の反応によって間のとり方が変わるのだから、数秒から十数秒の誤差が出ることは、ドーナツのコンテストでは 容認されること
5.ドーナツのコンテストでは、原稿を練り上げていく過程で、自分の好きな表現や気持ちにぴったりの日本語が見つかっ たり、指導者とのやり取りを通じて思考が深まったり視野が広くなったりすることのほうが、制限時間を1秒単位で守 ることよりも大切だと考えていること。
もちろん、意図的に大幅に超過する原稿を用意することは、他の選手との公平性やコンテスト全体のスケジュールへの
影響などの理由から禁ずるべきことではあります。
しかし、壇上でスピーチをしているとき、考えなければいけないのは、「1秒単位の残り時間」でしょうか、
それとも、「相手に伝わっているかどうか」ということでしょうか。
今日、電話で相談してくださった先生は、幸い、後者を大切にしたいという先生でした。
また、特訓に来た学生たちも、自分たちのスピーチが知らず知らずのうちに、形式に囚われていたことに気がついてくれました。その結果、ほとんどの学生の原稿が書き直しとなりました。
そのポイントについては、いつか、『スピーチ練習帳』という本にまとめてみたいと思います。
以前、ある大きなコンテストのスタッフを務めた学生が次のような感想を漏らしたことがあります。
「先生、スピーチが始まったら居眠りを我慢するのが大変でした。審査員もゲストも、観客も、
ちゃんと聞いていないのが分かったし、選手も、相手がいないのに話していて大変そうでした。
みんな、我慢していました」
私は、そういうコンテストとは違うコンテストを開きたくて、
ドーナツというサークルを作り、スピーチコンテストを開催しています。
日本語教育の中で大きな位置を占めるスピーチコンテストが、「つまらないのを我慢する」ものでしかないのであれば、
それは、すなわち、日本語教育そのものが本質的につまらないということに他ならないと思うからです。
私1人でできることはほとんどありませんが、幸い、協力してくれる人が少しずつ増えて、
超有名な日本企業の方も来てくれるようになりました。
関わる人みんなが知恵を出し合って、「見に行きたくなる・参加したくなる」スピーチコンテストをつくっていけたらいいなと思います。
「ゴールデンウィークのスピーチ特訓から帰ってきた学生の原稿が、規定時間の2分間を30秒ぐらい越えている。どうしたらいいだろうか」という相談です。
私は、
1.3日間で、全ての学生の原稿を完璧に仕上げることはできないこと
2.事実や気持ちを丁寧に書いた少し長めの文章を、スピーチの練習をしながら削っていくことで、
言葉の質が高くなっていくこと
3.コンテスト当日のスピーチと、提出する原稿は、趣旨が同じであれば問題はないこと
4.会場の反応によって間のとり方が変わるのだから、数秒から十数秒の誤差が出ることは、ドーナツのコンテストでは 容認されること
5.ドーナツのコンテストでは、原稿を練り上げていく過程で、自分の好きな表現や気持ちにぴったりの日本語が見つかっ たり、指導者とのやり取りを通じて思考が深まったり視野が広くなったりすることのほうが、制限時間を1秒単位で守 ることよりも大切だと考えていること。
もちろん、意図的に大幅に超過する原稿を用意することは、他の選手との公平性やコンテスト全体のスケジュールへの
影響などの理由から禁ずるべきことではあります。
しかし、壇上でスピーチをしているとき、考えなければいけないのは、「1秒単位の残り時間」でしょうか、
それとも、「相手に伝わっているかどうか」ということでしょうか。
今日、電話で相談してくださった先生は、幸い、後者を大切にしたいという先生でした。
また、特訓に来た学生たちも、自分たちのスピーチが知らず知らずのうちに、形式に囚われていたことに気がついてくれました。その結果、ほとんどの学生の原稿が書き直しとなりました。
そのポイントについては、いつか、『スピーチ練習帳』という本にまとめてみたいと思います。
以前、ある大きなコンテストのスタッフを務めた学生が次のような感想を漏らしたことがあります。
「先生、スピーチが始まったら居眠りを我慢するのが大変でした。審査員もゲストも、観客も、
ちゃんと聞いていないのが分かったし、選手も、相手がいないのに話していて大変そうでした。
みんな、我慢していました」
私は、そういうコンテストとは違うコンテストを開きたくて、
ドーナツというサークルを作り、スピーチコンテストを開催しています。
日本語教育の中で大きな位置を占めるスピーチコンテストが、「つまらないのを我慢する」ものでしかないのであれば、
それは、すなわち、日本語教育そのものが本質的につまらないということに他ならないと思うからです。
私1人でできることはほとんどありませんが、幸い、協力してくれる人が少しずつ増えて、
超有名な日本企業の方も来てくれるようになりました。
関わる人みんなが知恵を出し合って、「見に行きたくなる・参加したくなる」スピーチコンテストをつくっていけたらいいなと思います。