散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

展示ハシゴして散策。

2008-09-15 19:53:39 | 日記
昨日は横浜美術館へ源氏物語の1000年を観賞しに行きましたが、本日は横浜都市発展記念館で特別展示されている『横浜ステーション物語 そこは昔、海だった・・・』を見に行って来ました。
前期:平成20年9月13日(土)~11月16日(日)
後期:11月20日(木)~平成21年1月12日(月・祝)
入館料:一般500円
前期見に行くと後期の入館料100円割引券がもらえます。
明治から昭和までの横浜駅にまつわる鉄道や都市形成の歩みを地図やポスター、チラシ、写真で解説展示しています。
また、1階ミュージアムショップでは図録横浜ステーション物語(1,700円)が販売されていますので、これを購入すれば展示内容は全て判ります。
展示を見終わった後、ショップで本を見てこれで十分だと思いました。
一般の書店では入手不可?
展示の中にありましたが、二代目横浜駅遺構が気になり歩いて行くか電車で行くか考えつつ、ついでにビル裏手の旧居留地消防隊地下貯水槽跡へ
横浜情報文化センターと横浜都市発展記念館の裏手の中消防署日本大通出張所跡地にある建設時期は明治26年の煉瓦造りの貯水槽。
更についでに横浜開港資料館(旧イギリス領事館)で開催中の『白船来航』も見に行く事にしました。
横浜開港資料館は近くまできて外観を眺める事はありましたが、中に入るのは多分初めて。
建物内には元英国領事館らしく落ちついた雰囲気のあるロビーと開港当時の地図が壁に架かっており、中庭には玉楠の木が植えられており、この玉楠の木の近くで日米和親条約(安政元年、1854年)の締結が行なわれたそうです。他には獅子頭共用栓やガス灯が配置されています。

開催期間は2008年7月30日~10月26日
入館料は大人200円。
黒船がやって来てから半世紀後アメリカ太平洋艦隊(白船)が来航して来た時の歓迎に湧く横浜と東京を伝える資料が展示されています。
新聞記事や写真、絵はがきなど当時の歓迎ムードが伝わって来ます。
1階のショップでは開港当時の絵はがきや資料など販売されており、『吉田新田ができるまで』(300円)を購入。
絵はがき1枚100円で5枚を買うと400円。
こう言う値引きを見ると4枚欲しかったら5枚で400円払って9枚欲しかったら10枚にして800円支払った方が得した気分になるのは貧乏性でしょうか?
桟橋に大型客船が見えたので足を伸ばしてみました。
途中、大桟橋まで行くのは止めて公園整備工事中の『象の鼻』の工事具合をチェックしながら客船を眺められる場所へ移動。
着々と工事は進んでいるようで、この象の鼻公園が出来上がれば、みなとみらいの臨港パークから新港パーク、赤レンガパーク、(象の鼻公園)、大桟橋、山下公園と海に面した部分が一続きの公園になります。
気に入った風景が見られる場所を探す楽しみがまた、ひとつ増えそうです。
ついでに(行き当たりばったり)歴史的建造物を訪ねる散策。
上段左から新港橋梁。大正元年8月建設の100フィート・ポニー型ワーレン・トラスの鉄道橋で浦賀船渠制作。
赤レンガ倉庫。1号倉庫は大正2(1913)年、2号倉庫は明治11(1911)年建築。
汽車道。 明治44年に開通した臨港鉄道の一部(約500m)を利用した遊歩道。
下段左から港三号橋梁(旧大岡川橋梁)。建設時期は明治25年?で平成9年に旧大岡川橋梁の夕張側橋梁部分を転用縮小して移設。横浜市認定歴史的建造物。
港二号橋梁、港一号橋梁。建設時期は明治40年(架設は明治42年)、制作はアメリカン・ブリッジ社。

廃線となり高架橋だけが残され、壁面に描かれた絵を見ながら高島町へ。
正面に見えるマンションの建設中に二代目横浜駅基礎等の遺構が見つかり一部保存されているということで現地で現物を確認です。
二代目横浜駅遺構です。
横浜市認定歴史的建造物のプレートがあり、良く読んで見ると『第二代横浜駅駅舎基礎遺構および横浜共同電燈会社裏高島発電所遺構』と書かれています。
駅舎は1914(大正3)年建築で、発電所は1907(明治40)年頃だそうです。
下の画像のレンガ部分は駅舎の基礎遺構でガラスの蓋がされている部分は発電所の第二海水引入口の遺構で二つの歴史上貴重な遺構が重なった珍しい遺構だそうです。

一昨日の小田原宿-畑宿徒歩行の筋肉痛がじわりと来ており、余り歩く気はなかったんですが、気付くとあっちへふらふら、こっちへふらふらと思いつくままに歩いてしまいました。
始めからこんなに移動するならばチャリで来れば良かったと反省。
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東海道五十三次 小田原宿-畑宿 其の二

2008-09-15 11:56:57 | 旧東海道
旧道をバス停で言うと奥湯本入口、奥の茶屋、葛原、ホテルはつはな前、須雲川と通り過ぎ、左手上方に箱根バイパス、右手下方に須雲川を見ながら後方から来る車を避けつつ歩道を探して道路の右へ行ったり、左に行ったりしてゆるやかな坂を歩いて行きます。

須雲川IC、初花を過ぎて道路ぎりぎりに参道の階段がある駒形神社です。
取りあえず、神社はその地域の高台にありますので参詣がてら周りの集落を確認する意味で階段を上り境内へ。
須雲川を挟んで反対側にはキャンプ場らしきものがあり、社正面の山の中腹には民家がポツポツと・・・。
再び国道に戻り、数十メートル進むと臨済宗鎮雲禅寺山門脇に流れる霊泉の滝。
近くにいるだけでひんやりとした涼しい空気が流れて来て、熱を持った体には心地好く暫し立ち止まって休憩!
車で箱根というとターンパイクや新道を走り急坂というイメージがありましたが、歩いてみると今のところキツい坂はなく保土ヶ谷の権太坂の方が急でキツいと思います。たあだし、緩やかといっても何キロも続く坂道ですので体力を徐々に奪われているような気はします。
須雲川橋の手前、橋を渡って女転坂を登る手前の左手に見つけた看板。
須雲川自然探勝歩道。
設置された地図を見ると峠を越えるのに馬に乗った女性が転がり落ちるほどだった事から名前が付いた旧道の女転坂は通行不能となっているようです。
それならば、多少回り道に見えますが徒歩行ならではの須雲川自然探勝歩道を歩いた方が良いと思いこちらの道を選択。
女転坂の標柱を撮影して行く事にしました。
歩道ですので安心して(足下には注意して)のんびりと周りの景色を眺めながら歩いて行きました。
500メートルほど林道を歩き、岩の上に架けた簡易木橋を渡り山道の階段を登り国道732号に合流。


畑宿発電所バス停付近に合流してすぐ、右側に須雲川自然探勝歩道の続き(一部旧東海道)の割石坂がありましたので、国道を避けてこちらのルートを選択。
ところどころ江戸時代からの石畳という標識を確認し、木々に覆われた歩道を進んで行きます。

再び国道732号に合流。
200メートルほど歩くと左手に国指定史跡箱根旧街道という標柱が建っていましたので、国道を逸れて旧道へ。
箱根旧街道に入ると始めは下り坂です。
道幅も狭く昼間も木々に日差しが遮られ、夜間は全く歩けない道です。
途中の大澤坂は当時の石畳の道が一番良く残っているそうで、苔むした石畳の上を歩きましたが、雨が降った後は滑って危ないので足下に注意が必要です。
また、何ヶ所か石畳についての解説がありその解説によれば、石畳は小石と石とを突き固めた地面の上に、石と石とを組合わせて並べており、さらに石畳の横に、縦に排水路を持っているそうです。
山側には埋め土をして谷川には排水路と並木を植えて土手を造っています。(下段中央)
また、石畳の排水の工夫としては石畳の上を流れて来た雨水を石畳の外に追い出すために斜めの排水路を設けているそうです。
排水路は上流側に小さな石、下流側に大きな石を斜めに敷き、段差を造り出し水は大きな石の側面に伝わり並木敷土手の外にある沢へ流れ出るようになっているそうです。(下段右)

大澤坂と石畳

箱根旧街道の石畳を抜けると畑宿。
バス停本陣跡を数メートル進んだ先の右手に本陣茗荷屋跡があります。
小規模ですが日本庭園があり、幕末の安政4年11月26日アメリカ初代総領事ハリスが江戸入りの途中ここで休憩、観賞したそうです。
大正元年に全村火災の折り、本陣は焼失。庭園はそのまま姿で残る。
畑宿駒形神社と境内。
末社『照心明神』『菅原神社』『太子堂』

畑宿のはずれ国道の上り坂カーブの始まりを曲がらずに真っすぐ進むと箱根路東海道(箱根旧街道)です。
畑宿一里塚。
江戸から23番目の一里塚。本日3つめで最終目的地。
修復・復元されたものですが、当時の形態を留める数少ない一里塚です。
ここまで間に休憩を取りながらですが全行程5時間半。
シャツを着替え一休み。
歩きました(約14キロ)、撮影しました(298枚)、汗かきました(シャツ2枚)、水分も摂りました(2リットル)
帰りは畑宿バス停から箱根湯本駅へ。
バスに乗ると30分で箱根湯本駅です。
あっという間です。
次回は畑宿一里塚から芦ノ湖、箱根関所まで!

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