最終的にタイトルのような過酷な散歩となった本日の散策は小田急線愛甲石田駅からスタート。
今回の散策のテーマは鎌倉時代のご家人「愛甲三郎」と「小野小町」、「古墳」。
先ず最初は愛甲三郎のお墓と伝えられている内のひとつ、円光寺の宝篋印塔。
宿愛甲の交差点を渡った角に庚申塔があり、右側面には崩れ掛けの文字ですが多分、「右大山」と刻まれています。
円光寺。
路地から真っすぐに緩やかな爪先上がりの坂の先に山門があります。
門脇には「僧兵武術道」と書かれた看板があり、ちょっと気になりましたが第一目的の宝篋印塔を探索。
本殿脇の崖際にそれらしきものがあったので撮影。
円光寺の裏手を周り、小田急線の高架を渡り、更に国道246号を横断して住宅街を奥に進み、突き当たりを右に曲がって熊野神社へ。
境内には康暦2年(1380年)と刻まれた大変貴重な石灯籠があり撮影。
東名高速の高架、愛甲橋を渡って右へ。
今回の目的(テーマ)愛甲三郎屋敷跡です。
特別な建物とか跡があるのかと思ったら小さな社の神明神社境内に標柱があるのみ。
熊野神社の参道に「あつぎの文化財独案内板」に愛甲小学校近くに道祖神があると書かれていたので、寄り道をして確認。
双体の道祖神。年代は未確認。
田圃の中にあるようなお寺、宝積寺。
こちらの境内にある五輪塔が愛甲三郎季隆のお墓と伝えられているそうです。
円光寺の宝篋印塔とどちらが本当のお墓なんでしょうかね。
宝積寺の裏手の山といいますか、裏手にまわって奥へ進んで行くと道路から奥まったところに薬師堂があります。
道路の拡張や宅地化のために移動して来たのでしょうか、石仏や石標が多く置かれていました。
「相州※荻野新宿」と刻まれた石柱がありましたが、かなり離れた場所から運ばれて来ているようです。
折り返しに近づく小野神社へ向かう途中の玉川野球場横の分れ道で見つけた庚申塔?
風雨による劣化でしょうか、かなり刻面が崩れています。
平安時代、延長五年(927)の延喜式に記載されている歴史ある神社。
説明書きによると愛甲氏の本家は横山氏で小野妹子の子孫と伝えられているそうです。
玉川を渡って小高い小山、木々に囲まれた山の上に小町神社があります。
由来緒によるとこの地は小野小町の出生地といわれているそうですが、小野妹子に小野小町。
日本史で習った人達が登場です。
社殿としては鎌倉時代、源頼朝の側室「丹後の局」は北条政子に対する恐怖のあまり白髪となるが、小野小町の霊に祈ったところ黒い髪を取り戻す事ができたことに感謝し、この社を建てたと伝えられているそうです。
小町神社で折り返し、玉川に沿って下流方向へひたすら歩き、東名高速の高架橋と国道246号が交差するとこで国道246号を厚木方面へ。
船子洞門の信号の右手の小山が地頭山古墳。
墳形 : 前方後円墳
規模 : 全長72m、後円部径約36m、高さ約7m、前方部幅約24m、高さ約4m
築造 : 5世紀前半~中頃(推定)
だそうですが、フェンスで囲まれており中はどうなっているか良く判りませんし、残念ながら形も確認できませんでした。
ここから小田急本厚木駅まで歩き本日の散策は終了。
途中、道を間違えたり探したり、寄り道したりでかなり歩きました。
歩行距離は16.4km。スタートとゴール時間は12:03:35 ~ 17:13:42。所要時間は約5時間10分
今回の散策のテーマは鎌倉時代のご家人「愛甲三郎」と「小野小町」、「古墳」。
先ず最初は愛甲三郎のお墓と伝えられている内のひとつ、円光寺の宝篋印塔。
宿愛甲の交差点を渡った角に庚申塔があり、右側面には崩れ掛けの文字ですが多分、「右大山」と刻まれています。
円光寺。
路地から真っすぐに緩やかな爪先上がりの坂の先に山門があります。
門脇には「僧兵武術道」と書かれた看板があり、ちょっと気になりましたが第一目的の宝篋印塔を探索。
本殿脇の崖際にそれらしきものがあったので撮影。
円光寺の裏手を周り、小田急線の高架を渡り、更に国道246号を横断して住宅街を奥に進み、突き当たりを右に曲がって熊野神社へ。
境内には康暦2年(1380年)と刻まれた大変貴重な石灯籠があり撮影。
東名高速の高架、愛甲橋を渡って右へ。
今回の目的(テーマ)愛甲三郎屋敷跡です。
特別な建物とか跡があるのかと思ったら小さな社の神明神社境内に標柱があるのみ。
熊野神社の参道に「あつぎの文化財独案内板」に愛甲小学校近くに道祖神があると書かれていたので、寄り道をして確認。
双体の道祖神。年代は未確認。
田圃の中にあるようなお寺、宝積寺。
こちらの境内にある五輪塔が愛甲三郎季隆のお墓と伝えられているそうです。
円光寺の宝篋印塔とどちらが本当のお墓なんでしょうかね。
宝積寺の裏手の山といいますか、裏手にまわって奥へ進んで行くと道路から奥まったところに薬師堂があります。
道路の拡張や宅地化のために移動して来たのでしょうか、石仏や石標が多く置かれていました。
「相州※荻野新宿」と刻まれた石柱がありましたが、かなり離れた場所から運ばれて来ているようです。
折り返しに近づく小野神社へ向かう途中の玉川野球場横の分れ道で見つけた庚申塔?
風雨による劣化でしょうか、かなり刻面が崩れています。
平安時代、延長五年(927)の延喜式に記載されている歴史ある神社。
説明書きによると愛甲氏の本家は横山氏で小野妹子の子孫と伝えられているそうです。
玉川を渡って小高い小山、木々に囲まれた山の上に小町神社があります。
由来緒によるとこの地は小野小町の出生地といわれているそうですが、小野妹子に小野小町。
日本史で習った人達が登場です。
社殿としては鎌倉時代、源頼朝の側室「丹後の局」は北条政子に対する恐怖のあまり白髪となるが、小野小町の霊に祈ったところ黒い髪を取り戻す事ができたことに感謝し、この社を建てたと伝えられているそうです。
小町神社で折り返し、玉川に沿って下流方向へひたすら歩き、東名高速の高架橋と国道246号が交差するとこで国道246号を厚木方面へ。
船子洞門の信号の右手の小山が地頭山古墳。
墳形 : 前方後円墳
規模 : 全長72m、後円部径約36m、高さ約7m、前方部幅約24m、高さ約4m
築造 : 5世紀前半~中頃(推定)
だそうですが、フェンスで囲まれており中はどうなっているか良く判りませんし、残念ながら形も確認できませんでした。
ここから小田急本厚木駅まで歩き本日の散策は終了。
途中、道を間違えたり探したり、寄り道したりでかなり歩きました。
歩行距離は16.4km。スタートとゴール時間は12:03:35 ~ 17:13:42。所要時間は約5時間10分