散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

ひさしぶりに帷子川

2014-05-31 21:14:03 | 散歩

何年か前に帷子川の水源地まで行った事があったんですが、
河口となるとちゃんと行った事がなかったので
本日は河口から歩けるだけ上流まで歩こうと昼過ぎに出発。
そごうを抜けて日産自動車本社脇の川岸を歩いてまずはみなとみらい大橋を渡って対岸へ。
目指すはJR貨物船の跨線橋のある場所。
iPadの「東京時層地図」で文明開化期(明治9-19年)の地図と現在を表示させて確認すると海の中。
現在は河口でも明治初期の河口部はもっと上流。

河口部に到着。
鉄道橋の先、左側からは滝の川が合流。
その先は海になるのでこの辺が帷子川の河口となります。
ここから上流に向かって本日の散策はスタート。

再びみなとみらい大橋。
今度は上流側の歩道を歩いてそこからの風景を撮影。
そごうデパートを真ん中に右側からの流れが帷子川分水路からの流れで
左側の流れが本流。

すぐに川岸に降りたいところですが、残念ながら降り口がなく
とちのき通り交差点まで通り過ぎて日産自動車の敷地を戻って川岸へ。
下の左の画像に見える築地橋から歩いて来た下流を撮影。
東京時層地図で確認するとまだ、微妙に海の上。
品川ー横浜間の線路施設の埋め立て地が今は道路になっていたようです。
国道1号線は横断できないので、そごうの方へ向かい地下通路を通って反対側へ。


地下街を抜けて反対側の築地橋。
上流方面に見えるのが万里橋。

万里橋と下流方面と上流方面を撮影。
今の橋の架橋年は確認し忘れましたが、明治初期の地図と比べると向きが若干違っていますが、
古い橋らしく親柱や欄干の装飾がそれなりの歴史がある橋でした。

万里橋から京急やJRの線路が見えたので
踏切を渡って道があるのかを確認しましたが、行き止まり。
代わりにみなとみらい線が出来て廃線になった東急東横線の高架を
撮影して来ました。
この高架橋も先々は撤去されてしますんでしょうね。
線路を渡れないので横浜駅東口に戻ってみなみ東口連絡通路を通って
西口五番街へ。
新田開発の埋め立てで残した水路、新田間川(新田の間の川)を渡って川岸におり帷子川へ。
相鉄横浜駅のホームの先、線路下が新田間川と帷子川が合流して下流へ向かう場所。
以前、帷子川散策を行った際にはここを終点としてした地点です。

そのまま上って行き、平沼橋。
正確には国道13号の帷子川に架かる橋が現在は平沼橋と呼んでますので元平沼橋。
幕末の横浜開港に合わせてよこはま道を作った際に架けた橋が元平沼橋で以前は
JR線と相鉄線の踏切があったんですが、開かずの踏切となってしまいフェンスで封鎖され
渡る事ができなくなっています。(昔の浮世絵と解説の看板があります。)

明治期の地図を参照するとこの辺りが以前は河口であったようです。
上のアーチ状の橋が平沼橋で下の橋が元平沼橋。

次の橋は平沼一之橋。
ここら辺は治水事業のせいかなのか、まっすぐな川の流れで上流・下流を見ても面白みなし。

沼野橋。
地図で確認すると以前は川幅も大きく橋も架かっていません。
川の両脇は田んぼや畑、塩田が広がっており道路もなく渡河する必要もなかったんでしょうね。

帷子川に架かる橋ではないのですが、帷子川と接続した新田間川に架かる烏帽子田橋。
昔の地図を見ると帷子川とは接続していなかったのですが、治水のためでしょうかこの地点でつながっています。

国道16号(八王子街道)の帷子川に架かる尾張屋橋。
高架橋なので、階段を上って尾張屋橋から撮影。
対岸へ渡って、階段を下りて反対車線側に行って階段を上って川を越えてまた階段を下りてと
撮影にも一苦労。
下流方面に右に直角に曲がる流れは石崎川。
帷子川と石崎川に挟まれた地域が新田開発で埋め立てられた平沼一帯。
万里橋手前で帷子川と再び合流しています。


水道橋。
明治後期には西谷浄水場からの水道が敷かれており水道が通っていたので水道橋。
上流では左側から保土ヶ谷区今井町を水源とする今井川が合流しています。

地図と現在の風景。
合流地点の川の流れは変わっていないようですが、帷子川の先の流れが急角度に曲がっており
河川改修工事が行われた事が判ります。

明治初期と現在の比較地図と現在の風景。
精度が高いかどうかはちょっと不明ですが、明らかに陸地。
現在の橋の下流で急角度で南に曲がっていた様子が確認できます。

天王橋でも上流と下流側を行き来するのに横断歩道のある場所まで行かねばならず遠回り。

現在の帷子橋の上流と下流側を撮影。
昭和30年代の河川改修工事で今の流路になっていますが、工事以前は相鉄天王町駅南側に川が流れており
帷子橋もそこに架かっていました。

地図で確認しつつ、現在は旧帷子橋モニュメントがある公園で撮影。
浮世絵で描かれている保土ヶ谷宿の帷子橋はこの橋ですが、川の流れも風景も変わり過ぎています。
江戸時代初期の新田開発(埋め立て)以前は帷子橋の下流が帷子川の河口部だったようです。


本日のルート


帷子川河口から天王町まで(画像を動画化)
コメント
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