先々週に鶴見から保土ヶ谷(天王町)までの旧東海道を散策したので、
本日は天王町から品濃一里塚まで。
今回は権太坂がありますので、無理をせずのんびりとキツい時には自転車を降りて行く事にします。
本日は天王町から品濃一里塚まで。
今回は権太坂がありますので、無理をせずのんびりとキツい時には自転車を降りて行く事にします。
江戸名所図会や歌川広重の東海道五十三次に描かれた保土ヶ谷宿の帷子橋跡です。
昭和39(1964)年7月に帷子川の河川改修工事で河川の流れを変更して今は埋立れていますが、
以前はここに川が流れていたんです。
昭和39(1964)年7月に帷子川の河川改修工事で河川の流れを変更して今は埋立れていますが、
以前はここに川が流れていたんです。
駅から保土ヶ谷駅までの道が旧東海道であり、宿場内の道ですが名所・旧跡等もないので、
駅前を右に曲がり旧東海道から一本右の平行した道「旧古町橋」の解説板があるところからが古町街道。
保土ヶ谷宿が新町で昔からの道(町)を古町と呼んで別けているそうです。
駅前を右に曲がり旧東海道から一本右の平行した道「旧古町橋」の解説板があるところからが古町街道。
保土ヶ谷宿が新町で昔からの道(町)を古町と呼んで別けているそうです。
旧東海道保土ヶ谷宿内を歩いてJRの踏切手前、金沢道と交差する左手には
金沢横丁道標4基(横浜市地域有形民俗文化財)があります。
「円海山之道」の石柱は天明三年(1783)建立、左面にかなさわかまくらへ通りぬけと刻まれているそうです。
「かなさわ、かまくら道」は天和二年(1682)建立、左面に「ぐめうし道」と刻まれているそうです。
「杉田道」は文化十一年(1814)建立、正面に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と刻まれているそうです。
「富岡山芋大明神社の道」は弘化二年(1845)建立の4基。
金沢横丁道標4基(横浜市地域有形民俗文化財)があります。
「円海山之道」の石柱は天明三年(1783)建立、左面にかなさわかまくらへ通りぬけと刻まれているそうです。
「かなさわ、かまくら道」は天和二年(1682)建立、左面に「ぐめうし道」と刻まれているそうです。
「杉田道」は文化十一年(1814)建立、正面に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と刻まれているそうです。
「富岡山芋大明神社の道」は弘化二年(1845)建立の4基。
JRノ踏切を越えて国道を渡った先に苅部本陣跡。
建物はいつも時代のもかは判りませんが、江戸時代と言う事はないと思います。
建物はいつも時代のもかは判りませんが、江戸時代と言う事はないと思います。
保土ヶ谷宿の上方からの入口。
上方見付跡と一里塚跡の近くにある外川神社。宿外れの神社ってことですね。
今井川の改修工事と道路の拡幅工事に併せて上方見付跡と一里塚跡が作られました。
上方見付跡と一里塚跡の近くにある外川神社。宿外れの神社ってことですね。
今井川の改修工事と道路の拡幅工事に併せて上方見付跡と一里塚跡が作られました。
国道1号、狩場インター手前の保土ヶ谷2丁目交差点を渡って右側の道へ。
こちらの道が旧東海道道なりに進んで、突き当りを左に曲がって道路右を歩いてすぐに
右手に伸びる急な坂道。
権太坂です。ここでは無理せずに自転車を降りて押し歩き。
昭和30年代に道路改修工事される前は寂れた坂道だったそうです。
こちらの道が旧東海道道なりに進んで、突き当りを左に曲がって道路右を歩いてすぐに
右手に伸びる急な坂道。
権太坂です。ここでは無理せずに自転車を降りて押し歩き。
昭和30年代に道路改修工事される前は寂れた坂道だったそうです。
権太坂を登りきって突き当り(境木中学校)のところを左に曲がって投げ込み塚へ寄り道。
昔の行き倒れになった旅人の亡骸を葬った塚。
宅地開発の時に発見され塚が作られたそうです。
昔の行き倒れになった旅人の亡骸を葬った塚。
宅地開発の時に発見され塚が作られたそうです。
境内にそびえるケヤキの木が武蔵国と相模国の境で境木。
境木地蔵尊の前の交差点から下る坂道は焼き餅坂。
20年くらい前は坂の両脇はうっそうとした林でしたが、宅地開発で昔の面影がほぼなくなっています。
20年くらい前は坂の両脇はうっそうとした林でしたが、宅地開発で昔の面影がほぼなくなっています。
焼き餅坂を下って(自転車だとかなり快適)、品濃坂を登った先に一里塚。
日本橋から九番目の一里塚で、道の両側の塚が当時の形で残っている所は、神奈川県内でもこの一里塚だけで県の史跡に指定されています。
塚の裏側は公園となっており、ここで休憩。
戸塚宿までは特に名所・旧跡はなく「○○跡」などの標柱のみなので、帰路の体力を考えここまで。
日本橋から九番目の一里塚で、道の両側の塚が当時の形で残っている所は、神奈川県内でもこの一里塚だけで県の史跡に指定されています。
塚の裏側は公園となっており、ここで休憩。
戸塚宿までは特に名所・旧跡はなく「○○跡」などの標柱のみなので、帰路の体力を考えここまで。
環状2号に出て新横浜方面を目指し、国道16号と交差した所で古道相州道を通って相鉄上星川駅で散策終了。
本日のルートや他の画像は以下の通りです。
本日のルートや他の画像は以下の通りです。
2013年6月23日撮影(プラスオートムービー)
本日のルート
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