スタンプラリーの季節がやって来たようで・・・。(1)の続き。
横浜ビジネスパークの近くには1千年以上昔から続く「神明社」がありますので寄り道してお参りして来ました。
神明社御由緒
今から1千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷(はんがや)と呼ばれていた平安時代の中頃、天禄元年(970)当社の御祭神・伊勢の天照皇大神が武州御厨の庄の内、榛谷の峯に影向し、それから川井、二俣川、下保土ヶ谷の宮林へ三遷の後、嘉禄元年(1225)神託があって神明の下宮を建て、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け経蔵堂を神照寺と称したと言う。
元和五年(1619)宮居を神戸山山頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。
手水舎の水は地下70メートルの地下水を汲み出しているそうで、人が近寄るとセンサーで水が出て来るようになっています。
手水舎の並びにある池は「人形流し」で知らず知らずのうちに犯した罪や積もり積もった心身のけがれを取り除くための儀式だそうで、人形(ひとがた)の紙で体を撫でて(悪いところは念入りに)、人形に息を吹きかけて人の罪や汚れを付着させた人形を清流に流す儀式。
膝が痛いので念入りに膝を撫で流してみました。
人形に住所と氏名を書き入れていることもありますと解説板に書かれていましたが、実際に池の人形を見ると名前らしき物が書かれた人形が浮かんでいましたが、流れて行かずに漂っているのを見ると名前を書くのはどうかと思いましたね。
再び、YBPに戻りオブジェの見学。
色々と想像してみるのが楽しみ方としては正解なんでしょうね?
YBPの敷地内を歩いて線路を渡り帷子小学校の裏手、帷子川との間の狭い道を歩きながら川を見ていますと対岸に河川へ下りる公園を発見。
釣り糸を垂れている人もいましたが、川の流れが淀んでおり川に入って遊ぶ気になれない水質。
浅瀬の澱みでは鯉の稚魚でしょうか時折、小さい水しぶきが挙っていました。
星川駅に到着。
スタンプは駅構内ですので改札を抜けスタンプを押して次の駅へは電車で移動。
星川駅-和田町駅間での散策ポイントは保土ヶ谷公園ですが、今回はパス。
紅葉の季節か、来年の梅や桜の季節にでもゆっくり訪れたいと思います。
現在の駅舎は相鉄線の高架化工事のための仮駅舎で、ホームも高架への準備のため仮のせいか歩くとところどころベコベコした感じです。
国道16号から横浜新道へ連絡する道路を横切る形で線路が敷かれており朝晩の渋滞解消のために工事中。
和田町の駅もスタンプは駅構内。
しっかりと押して次の上星川駅へ。
普段ですと和田町と上星川の散歩は山の常盤台公園と釜台を経由するのですが、今回はなるべく平地を歩く事にしました。(多少疲れ気味&膝痛)
和田不動尊前を通り、帷子川に沿って民家の間の道を歩き、国道16号へ。
保土ヶ谷中学校下の歩道橋の袂に「和田村道橋改修碑」があるので撮影。
昔の町名が良く判らない(変遷している)のですが、この場所は和田村が管理していた場所なんでしょう。
石碑ついでに少し道を戻り帷子川と相鉄線を渡って反対側の水道道へ。
正福寺へ抜ける交差点の角に庚申塔が建っています。
昔はこの場所に杉山神社が建っていましたが、帷子川の河川改修工事の関係か下水工事の関係か移転して今は庚申塔だけが建っています。
正福寺前と書かれた信号をまっすぐ歩いて行くと本堂前に門扉のように大きな木が立つ正福寺があります。
曹洞宗の禅寺らしいのですが、それ以上の情報はなく庭をうろちょろするのも変ですので門前で撮影しただけで横道へ。
途中、車の通れるくらいの道と交差して民家脇の細い道を進んで行くと一段登ったところに移転した杉山社が見えて来ました。
昔の社はよく知らないですが立派な社です。ただし、境内の広さは以前に比べるとかなり狭くなっているようです。
神社と言えば地元のお祭りですが、盆踊りの櫓を組むスペースはありません。
地元の人としてはお祭りが出来なくなってしまった神社はどうなんでしょうか?
杉山神社を確認した後は上星川駅を目指します。
上星川駅からの散策ルートとしては通称水道山にある西谷浄水場、陣が下渓谷などがありますが、今回はパス。
改札を抜けた正面にスタンプ台がありますのでスタンプを押して今回のスタンプラリーは終了。
途中電車を利用しながらですが、2時間ほどの散策は終了です。
駅間の短い区間だから歩いたり電車に乗ったりして7駅廻れましたが、恐らく他の駅は昨年と同様に「1日乗車券」で一気にスタンプを押しに行ったり二駅づつの散策スタンプラリーになると思います。
では。
横浜ビジネスパークの近くには1千年以上昔から続く「神明社」がありますので寄り道してお参りして来ました。
神明社御由緒
今から1千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷(はんがや)と呼ばれていた平安時代の中頃、天禄元年(970)当社の御祭神・伊勢の天照皇大神が武州御厨の庄の内、榛谷の峯に影向し、それから川井、二俣川、下保土ヶ谷の宮林へ三遷の後、嘉禄元年(1225)神託があって神明の下宮を建て、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け経蔵堂を神照寺と称したと言う。
元和五年(1619)宮居を神戸山山頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。
手水舎の水は地下70メートルの地下水を汲み出しているそうで、人が近寄るとセンサーで水が出て来るようになっています。
手水舎の並びにある池は「人形流し」で知らず知らずのうちに犯した罪や積もり積もった心身のけがれを取り除くための儀式だそうで、人形(ひとがた)の紙で体を撫でて(悪いところは念入りに)、人形に息を吹きかけて人の罪や汚れを付着させた人形を清流に流す儀式。
膝が痛いので念入りに膝を撫で流してみました。
人形に住所と氏名を書き入れていることもありますと解説板に書かれていましたが、実際に池の人形を見ると名前らしき物が書かれた人形が浮かんでいましたが、流れて行かずに漂っているのを見ると名前を書くのはどうかと思いましたね。
再び、YBPに戻りオブジェの見学。
色々と想像してみるのが楽しみ方としては正解なんでしょうね?
YBPの敷地内を歩いて線路を渡り帷子小学校の裏手、帷子川との間の狭い道を歩きながら川を見ていますと対岸に河川へ下りる公園を発見。
釣り糸を垂れている人もいましたが、川の流れが淀んでおり川に入って遊ぶ気になれない水質。
浅瀬の澱みでは鯉の稚魚でしょうか時折、小さい水しぶきが挙っていました。
星川駅に到着。
スタンプは駅構内ですので改札を抜けスタンプを押して次の駅へは電車で移動。
星川駅-和田町駅間での散策ポイントは保土ヶ谷公園ですが、今回はパス。
紅葉の季節か、来年の梅や桜の季節にでもゆっくり訪れたいと思います。
現在の駅舎は相鉄線の高架化工事のための仮駅舎で、ホームも高架への準備のため仮のせいか歩くとところどころベコベコした感じです。
国道16号から横浜新道へ連絡する道路を横切る形で線路が敷かれており朝晩の渋滞解消のために工事中。
和田町の駅もスタンプは駅構内。
しっかりと押して次の上星川駅へ。
普段ですと和田町と上星川の散歩は山の常盤台公園と釜台を経由するのですが、今回はなるべく平地を歩く事にしました。(多少疲れ気味&膝痛)
和田不動尊前を通り、帷子川に沿って民家の間の道を歩き、国道16号へ。
保土ヶ谷中学校下の歩道橋の袂に「和田村道橋改修碑」があるので撮影。
昔の町名が良く判らない(変遷している)のですが、この場所は和田村が管理していた場所なんでしょう。
石碑ついでに少し道を戻り帷子川と相鉄線を渡って反対側の水道道へ。
正福寺へ抜ける交差点の角に庚申塔が建っています。
昔はこの場所に杉山神社が建っていましたが、帷子川の河川改修工事の関係か下水工事の関係か移転して今は庚申塔だけが建っています。
正福寺前と書かれた信号をまっすぐ歩いて行くと本堂前に門扉のように大きな木が立つ正福寺があります。
曹洞宗の禅寺らしいのですが、それ以上の情報はなく庭をうろちょろするのも変ですので門前で撮影しただけで横道へ。
途中、車の通れるくらいの道と交差して民家脇の細い道を進んで行くと一段登ったところに移転した杉山社が見えて来ました。
昔の社はよく知らないですが立派な社です。ただし、境内の広さは以前に比べるとかなり狭くなっているようです。
神社と言えば地元のお祭りですが、盆踊りの櫓を組むスペースはありません。
地元の人としてはお祭りが出来なくなってしまった神社はどうなんでしょうか?
杉山神社を確認した後は上星川駅を目指します。
上星川駅からの散策ルートとしては通称水道山にある西谷浄水場、陣が下渓谷などがありますが、今回はパス。
改札を抜けた正面にスタンプ台がありますのでスタンプを押して今回のスタンプラリーは終了。
途中電車を利用しながらですが、2時間ほどの散策は終了です。
駅間の短い区間だから歩いたり電車に乗ったりして7駅廻れましたが、恐らく他の駅は昨年と同様に「1日乗車券」で一気にスタンプを押しに行ったり二駅づつの散策スタンプラリーになると思います。
では。
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