予告で、ニコラス・レイ監督の特集がありますというのを見て、観に行くことに。
『理由なき反抗』以外にニコラス・レイのことはまったく知らないけど、予告に出てきたおじさん(おじいさん?)がやたらと面白い。
何だろう、この悲壮感というか大げさ感というか。
予告は、長編遺作の『We Can't Go Home Again』と、妻のスーザン・レイによるドキュメンタリー、『あまり期待するな』だった。
あまり期待するな、とは、NY大学の教授をしていたニコラス・レイが学生に言った、「教師にあまり期待するな」という言葉から取ったらしい。こうゆう身もふたもないというか、卑屈というか、妙に醒めたというか、そんな言葉にがつんときた。しかもなぜか堂々としてる。
なので、タイトルを聞いただけで、感嘆と共に笑ってしまう。他には、ブコウスキーの「勝手に生きろ!」とか、「塵に訊け!」ジョン・ファンテ、とかね。どうして!がつくんだろうか。期待するな、にはついてませんけども。
とにかく、このおじさんは面白い。(と思う。)
『ニックス・ムービー -水上の稲妻』(1980年)は、どうだったかと言うと、こちらはニコラス・レイと、若き友人ヴィム・ヴェンダースの共同監督で、ニコラス・レイを撮ったドキュメンタリーだ。癌の闘病中で、死の間際のニコラス・レイ。そのニコラス・レイを主人公にして、フィクションとノン・フィクションが入り混じる。
撮影がしばらく進んだ頃、ニコラス・レイが、突然、ヴィム・ヴェンダースにキャラクター設定を提案する。
「音楽家で、第一線からは遠のいていて、…うんぬんかんぬん」
ヴィム・ヴェンダース、「どうして音楽家なんだ?それは君とは違うよね?君に、君自身として、出てもらいたいんだ。そうだよね?」
「分かった。」
当時34歳のヴィム・ヴェンダースに一刀両断される、ニコラス・レイ67歳。
こうゆうシーンが印象的で面白いと言うのも、ちょっとどうなのかなとも思うけれど。
ニコラス・レイに、ねじれたユーモアを感じて、惹きつけられるのかも。
『理由なき反抗』以外にニコラス・レイのことはまったく知らないけど、予告に出てきたおじさん(おじいさん?)がやたらと面白い。
何だろう、この悲壮感というか大げさ感というか。
予告は、長編遺作の『We Can't Go Home Again』と、妻のスーザン・レイによるドキュメンタリー、『あまり期待するな』だった。
あまり期待するな、とは、NY大学の教授をしていたニコラス・レイが学生に言った、「教師にあまり期待するな」という言葉から取ったらしい。こうゆう身もふたもないというか、卑屈というか、妙に醒めたというか、そんな言葉にがつんときた。しかもなぜか堂々としてる。
なので、タイトルを聞いただけで、感嘆と共に笑ってしまう。他には、ブコウスキーの「勝手に生きろ!」とか、「塵に訊け!」ジョン・ファンテ、とかね。どうして!がつくんだろうか。期待するな、にはついてませんけども。
とにかく、このおじさんは面白い。(と思う。)
『ニックス・ムービー -水上の稲妻』(1980年)は、どうだったかと言うと、こちらはニコラス・レイと、若き友人ヴィム・ヴェンダースの共同監督で、ニコラス・レイを撮ったドキュメンタリーだ。癌の闘病中で、死の間際のニコラス・レイ。そのニコラス・レイを主人公にして、フィクションとノン・フィクションが入り混じる。
撮影がしばらく進んだ頃、ニコラス・レイが、突然、ヴィム・ヴェンダースにキャラクター設定を提案する。
「音楽家で、第一線からは遠のいていて、…うんぬんかんぬん」
ヴィム・ヴェンダース、「どうして音楽家なんだ?それは君とは違うよね?君に、君自身として、出てもらいたいんだ。そうだよね?」
「分かった。」
当時34歳のヴィム・ヴェンダースに一刀両断される、ニコラス・レイ67歳。
こうゆうシーンが印象的で面白いと言うのも、ちょっとどうなのかなとも思うけれど。
ニコラス・レイに、ねじれたユーモアを感じて、惹きつけられるのかも。