先日ふと思い立ち、小さなお片付けを始めた。
家の中の細々としたもの、何となく気になっていたもの。そのうちやろう、片付けようと思っていて、しかしそのままでも特に困らないくらいのもの。
例えば、登録しようと思ってしていない、新聞のビューワー(スマホで紙面を見られるらしい)。壊れたり使わないので処分しようと思っていた小型家電幾つか(具体的には体重計、毛玉取り器、洗濯機の風呂水ポンプ)。昔自分で編んだニット帽とマフラー(もう使わないので何年も処分待ち)。後でチェックしようと思っていて高度を増す紙の山。穴が空いたので繕おうと思っていたポケット。実家から持って来たまま開けていない思い出の段ボール。4枚だけ残ってしまった2円切手(これは姉に手紙を書くことで解決)。何故そこに置いているのかよく分からないまま、毎日そこに戻してしまう洗濯干し用具(これは置き場所の問題)。何年も使っていない、大きめの食器(微妙にかさばる)。籠に入れっぱなしの裾上げ待ちズボン。ある日壊れたノートパソコン(予兆はあった)。読みかけの本。全然読んでいない本。
新しく買おうと思っていた毛玉取り器(これはアマゾンで注文済)。
この感想を書きたい!と思って、書いていないブログ。
映画館からつい持ち帰り、保存するでもなく保存された映画チラシの束。
電池の切れた電卓。
5個あるホチキス(壊れていない)。
部屋の隅の夏用の帽子。
捨ててよいか旦那に訊こうと思っていた、使っていないマスクケース。
思えばどうしてそのままなのか。そのままを嫌がりながら、いざとなると実は居心地の良さも感じる。何となく愛着のある、あれこれの物、あれこれの状態に、よく見たら囲まれている。「これは何?」。
そうこうしていたら、全部特に意味の無い、どうであってもどうでもよいような気がしてきて、ぐるっと一周回って、全て完璧とくつろごうとしている今日。
とは言え、幾つか変化、解決出来た物事もあり、小さな満足も感じている。
実は新しく、簡単な棚を一つ買おうかとまで考えている。模様替えをしたくなっている。細々としたことを愛着という呼び名で解決とし、大きな楽しみに方向転換しつつある自分を、夕闇に包まれつつある部屋に見出している。
今日はちょっと暖かいな。
※写真は二十年前位に自分で編んだ帽子とマフラー。写真を撮ることで処分に成功。