気ままに三百六十五日

気ままな三百六十五日趣味に没頭したいけれど?

足尾銅山光と影を調べるツアー

2017-07-13 | とちぎ

曇り空
どんよりとしています
気温は上がらなくても湿度はかなり高いですから
やっぱり暑くなってきました



7月8日
環境学習センターのバスツアーに参加
足尾へ行って来ました
34、5名の参加
子供さんも4人ほど参加でした


足尾の歴史館で足尾の歴史を勉強
足尾は江戸時代から昭和48年まで400年にわたり銅山の町として栄えて来たところです

実は、足尾と言えば銅の精錬などによる鉱毒被害、
煙害で山の木が枯れ渡良瀬川の大洪水がおきた
とかそう言う負の遺産しか思い当たりませんでした


1550年戦国時代に発見される
1741年寛永通宝製造(足字銭)
その後衰退
1868年明治政府に没収され
1872年民間移管
1877年古河市兵衛が買収経営者に成る(明治10年)

古河市兵衛氏は
恵まれない生い立ちで無学だったことから
教育に熱心で、学校を作り
病院を建て町に貢献したり
先進的な技術設備の導入で生産を急速に伸ばし日本の銅産出の40%を産し近代化を進める日本産業の礎になりました

1884年足尾銅山、銅生産日本一に成る(明治17年)
1887年松木村で大規模山火事(明治20年)

1890年渡良瀬川の大洪水で鉱毒被害が拡大(明治23年)
1891年田中正造、第2回帝国議会で鉱業停止要求(明治24年)
1897年鉱毒被害民大挙押し出し、足尾鉱毒叙防工事命令
     銅山周辺で植林開始
     有毒ガス排出の中の植林はほぼ無効だった(明治30年)

1901年田中正造、天皇に直訴しようとして取り押さえられる(明治34年)
     
     田中正造の鉱毒問題に対する活動や、谷中村廃村などは良く聞くことでしたが

大正
1916年銅山全盛期
     人口38428人、宇都宮に次ぐ栃木県内第2位の人口(大正5年)

1940年労働力不足を補うため朝鮮人労働者を構内作業に従事させた(昭和15年)
1944年 中国人強制連行構内作業  (昭和19年)
1973年2月28日操業停止閉山
     輸入鉱石による精錬事業のみ継続 (昭和48年)

平成
1989年JR足尾線貨物線廃止
     精錬事業停止(平成元年)
     精錬設備を利用し産業廃棄物リサイクル事業

1996年5月、足尾に緑を育てる会結成

     植樹デースタート(平成8年)
     現在は毎年4月第4土日に植樹デー実施

現在山肌剥きだしだった足尾の山も緑が戻りつつあります

歴史資料館ではトロッコに乗れます
足尾はトロット発祥の地
全国からトロッコを集めてるんだそうです

トロッコに乗りました





精錬所跡 

精錬所跡








足尾鉱山で働いた人達、廃村となった松木村の先祖の無縁塔が有ります


坑夫の墓


栃木県内の町の事も知らないことが沢山なりました
鉱害で大変な目にあった町と言う印象しか持っていませんでしたが、非常に栄えていた町だったことは意外でした

古河市兵衛、古河家三代により学校や病院が建てられ街中はトロッコ軌道が走り無料で乗り降り出来たそうです

負の遺産だけでなく光の部分を知る事が出来たツアーでした
コメント (16)
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