気ままに三百六十五日

気ままな三百六十五日趣味に没頭したいけれど?

那須疎水

2017-10-18 | とちぎ

やっとやっと晴れました
貴重な晴です
今日一日だけの青空のようです

大物洗濯
布団干し
と大忙しです

やっと一段落

先月の事になります、9月20日環境センターの那須疎水見学バスツアーに参加致しましたが
那須疎水はきいていましたが、詳しいことは何も知らずにおりました

日本三大疎水と言われる那須疎水
世界灌漑施設遺産として登録されました

那須野が原は不毛の原野でした
明治に入り、開拓された地

明治に入り、華族により大規模農場が開拓され
鉄道や道路が誘致され現在の発展の礎になっています
その時代に農場を開拓された方々です

西郷従道(侯爵) 薩摩藩士。元勲。参議、元帥、海軍大将等 <248ha>

松方正義(公爵) 薩摩藩士。元勲。参議、大蔵・総理大臣等 <1640ha>

山形有朋(公爵) 長州藩士。元勲。参議、陸軍・総理大臣等 <761ha>

品川弥二郎(子爵) 長州藩士。枢密顧問官、内務大臣等 <226ha>

山田顕義(伯爵) 長州藩士。参議、司法各卿、司法大臣等 <111ha>

三島通庸(子爵) 薩摩藩士。県令、土木局長、警視総監等 <1037ha>

佐野常民(伯爵) 佐賀藩士。農商務大臣、日本赤十字社設立等 <257ha>

青木周造(子爵) 長州藩士。公使、外務大臣、枢密顧問官等 <1576ha>

鍋島直大(子爵) 佐賀藩藩主。イタリア全権公使、式部長官等 <383ha>

毛利元敏(子爵) 長府藩藩主。豊浦藩知事等 <1326ha>

戸田氏共(伯爵) 大垣藩藩主。駐オーストラリア全権公使等 <883ha>

でも現在はこの大規模農場は失敗、残っていませんが~

華族だけでなく士族など開拓入植も盛んにおこなわれましたが、開拓予定地は水が乏しく飲料水にも事欠く状態で
開拓者は大変な苦労でした
地元有志らにより飲料水、灌漑用水確保のため那須疎水の開削が急ピッチで進められました

明治18年に那須疎水幹線水路16.5kmが完成翌9年に支線水路95.7㎞も完成
約1000haの水田灌漑用水、生活用水が確保され開拓が飛躍的に進み
那須野が原発展の礎になりました

那須野が原では水の一滴は血の一滴と言われる貴重なものとして受け継がれ
現在も清水が守られているんだそうです

那須疎水開削以降も用水の不足や用水の維持管理、漏水等々問題も多く昭和42年から平成6年まで国営総合農地開発事業
で新たな水源確保、施設の近代化が図られ深山ダム、赤田調整池、戸田調整池、など築造水源確保

上記、ネット検索しました


那須野が原でこんなに水との大変なかかわりが有ったことを初めて知りました
現在は豊かな農地が広がっています

酪農も盛んです

でも、この地の発展には
先人たちの血のにじむような苦労が有ったんですね


那須野が原資料館



入植当時の住民の家
こんな家だったそうです
那須野が原は冬は底冷えする寒い所です
すき間風が入り込んでさぞ寒かったでしょう


那須野が原は那珂川と箒川に挟まれた約4万haの広大な複合扇状地
水は地下に潜り水が無いんです

那珂川や箒川の川沿い以外は不毛の原野が広がっていて
江戸から東北に行く旅人も難儀した地域だったようです


始めは鬼怒川までの疎水が計画されましたが、水運より鉄道による運送の時代になり
那須野が原の疎水が作られました



華族による大農場



別荘地としても発展しました
現在の礎になっています


千本松牧場の脇を流れる那須疎水です
水流が早いです


疎水沿いに遊歩道が有ります


水車が回っていました

今はリゾート地としてぎわっていますが
この地は未だ100年ほどの歴史しかない所です

先人達の血のにじむような苦労で開かれた開拓地だったんです
感慨深い思いです
コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 那須に | トップ | 神社仏閣御朱印 »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
先人たちの血のにじむような苦労! (どんこ)
2017-10-18 19:25:47
おっしゃる通りですね。
先人の有志は百年後の暮らしを見据えていたのでしょうね。
熊本にも南阿蘇疎水がありますよ。

それにしても今の政治はこういう将来を展望した施策を立ててて実行しているでしょうか?
あの福島原発に象徴される行き当たりばったりの対応を見るにつけ
政治の貧困や上に立つ人の器の小ささを痛感しています。
政治家もわが身かわいさで右往左往、疎水事業に関わった先人の意気のかけらも感じません。

偉大なる業績を拝見しながら、ついつい愚痴が出ました。
返信する
(・⊆・)フムフムフムフム (キミコ)
2017-10-18 21:54:35
関東とは全く縁のない生活で お恥ずかしいながら那須については
どこにあるかも知りません(調べろよ!って^^;)

機械もないような時代に大変な苦労で人が住める土地にするのに
どこでも大変な苦労があったのだと今更ながらに知らされました
出来てしまえばそれが当たり前の風景で何の疑問もないというのに・・・

疎水といえばぱっと浮かぶのが京都の琵琶湖疎水です
あれも京都で学校生活を送ったので何度も見る機会がありましたが
考えてみたら琵琶湖からよくまあ水を引っ張ってきたものだと
恐れ入るばかりです( ▲lll)
「当たり前」はあたりまえでないのですよねえ・・・
返信する
晴天 (mari)
2017-10-19 10:47:19
大物洗濯、 布団干しと忙しかったですね。
雨降りばかりなので、太陽のありがたさを感じます。

疎水の三大疎水、初めて知りました。
琵琶湖疏水、安積疏水、那須疏水…だと知りました。
いつか訪れたいと思いました。
返信する
疎水 (magamik)
2017-10-19 11:26:22
お早うございます。
水がいかに大切かということがよくわかりました。
那須の開拓には立派な方々も加わっておられたのですね。
私が知っているのは敗戦後中国からの引揚者が那須の地を大変な御苦労をされ開拓されたことです。
今住んでいる伏見にも琵琶湖疏水が流れていますし、疎水ではありませんが生まれ故郷の愛知知多半島も水が少なく愛知用水が引かれ潤っています。
なみなみと流れる那須疎水、先人たちの汗と涙の結晶ですよね。
いいお話ありがとうございました。

返信する
那須疎水 (ころん)
2017-10-20 12:00:20
効云った場所で立ち上がる先人の努力あればこそ
発展するのですね・・
、華族により開発されたことが良かったと思います。
水が大切と云うことも解りました。
大宮見沼田んぼも開発されて今観光・・農園となっています。
返信する
どんこ様 (みーばあ)
2017-10-23 09:52:24
おはようございます
返信大変遅くなって申し訳ありません
那須疎水にかけた先人たちの思い並大抵では無かったんですね
その思いは、平成7年まで続いていました
同じ県民なのに今迄全く知らずに過ごしていました
不毛の大地が、一大農業地域になるまでの長い苦労が有ったんです
今この地域は栃木県では酪農も盛んで、肉牛生産
牛乳生産、牛乳は本州では一番だそうです
そして今、1000年の森を目指して活動されているそうです
返信する
キミコ様 (みーばあ)
2017-10-23 09:58:38
おはようございます
コメント返信遅くなってすみません
那須は那須野御用邸のある地域です
今は広々とした田園風景が広がり、豊かな農地になっていますが
江戸時代には草木も無く旅人が嘆くほど不毛の大地が広がっていたそうです
想像できません
先人たちの苦労がどれほどだったかと偲ばれます
一口に水路を作ると言っても、その苦労は並大抵ではなかったようです
水との戦いは、つい平成7年まで続いていたようです
栃木県民なのに知りませんでした
今も。1000年の森を視野に活動されているそうです
返信する
mari様 (みーばあ)
2017-10-23 10:02:35
おはようございます
コメント返信遅くなって申し訳ありません
この日一日だけでしたね
そのあとまた雨ばかりで~
今日は台風が過ぎて、やっと明日からは晴れ間が戻って来そうですね
那須疎水、三大疎水なんですよね
栃木に居ながら知らないことばかりでした
今は豊かな農地が広がるこの大地が、草木も無い不毛の大地だったなんて想像できません
先人たちの苦労がしのばれます
返信する
magamik様 (みーばあ)
2017-10-23 10:07:59
おはようございます
コメント返信遅くなって申し訳ありません
那須疎水、聞いてはいましたが詳しくは全く知りませんでした
豊かな農地が広がるこの那須地方
100年余り前は不毛の大地だったなんて想像付きません
それだけ先人たちの苦労が有ったという事ですよね
つい先年まで平成7年までこの地の水との戦いが有ったんだという事を初めて知りました
今は、1000年先までも豊かな地で有るように1000年の森を目指した活動をされているそうです
返信する
ころん様 (みーばあ)
2017-10-23 10:11:43
おはようございます
コメント返信遅くなって申し訳ありません
明治の時代になって開拓された地
それまでは草木も生えないほどの不毛の大地だったなんて今の風景からは想像できません
先人たちの苦労がいかばかりかとしのばれます
きれいな水を保ち1000年先も豊かであるようにといま、活動されているそうです
1000年先も豊かであってほしいですね
返信する

コメントを投稿

とちぎ」カテゴリの最新記事